【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【自由人】に導く【神の愛】!①

◇◇【聖書】⇔【自由人】としての教養!(その1)◇◇<改訂版・再掲載>
【2004年11月26日に作成した<第352回>に加筆】
★★現代「リベラル・アーツ(liberal arts):大学の一般教養課程」に思うこと★★

●学問の上に学問がある、しかして深き学問は常に信仰と一致する(内村鑑三

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!

先日のTV番組で「リベラル・アーツ」が紹介されたのを観て改めて考えさせられました。

「リベラル(liberal)」の語源はラテン語の「liberras」であり、奴隷関係からの解放を
意味するそうです。

ローマ時代末期の4~5世紀に「自由人としての教養:自由7科」として設定され中世西欧の
大学の基礎科目へ継承され、日本では大学の「一般教養課程」に定義されているようです。

文法、修辞学、論理学、天文学、音楽、算術、幾何から出発して、神学、法学、医学などへと
様々な基礎分野に拡大して行きました。

現代日本にある「リベラル・アーツ(一般教養課程)」は、有識者・学者の視点によれば
現代若者にとって魅力に欠け通用せず、目的を失いつつあると嘆かれる存在のようです。

「【自由人】であるための【教養】」ならば、【聖書】こそ「リベラル・アーツ」です!
【聖書】は【自由】の正体を明確にして、【自由】を得て、【自由】に生きる【道】を
示しているからです。

●真理はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
●あなた方が召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を肉の働く
 機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい(ガラテヤ書5‐13)
●自由を得させるためにキリストは私たちを解放して下さったのである(ガラテヤ書5-1)
●自由は己を治むるの意なり。自由は己を神に委ね、しかれども強いられて委ねるにあらず、
 自ら求めて委ねるなり(内村鑑三
●キリストによりてのみ真正の自由と独立とあり。そは彼は霊魂の自由を与える者なればなり(内村鑑三

【聖書】の示す【自由】の正体は単なる<状態・境遇>ではなく【神の愛】から与えられた【実践能力】であることは、特に日本では意外に知られていないようです。

●【真の自由(内村鑑三)】
  ◆真の自由は発意である    ⇔ Unconditional(無境遇)
  ◆真の自由は正しき選択である ⇔ 霊性本来の標準に従う~霊的生命達成の道
  ◆真の自由は善き意志を行う能力である 
●真の自由は消極的状態でなく積極的状態である
  何事をも為しうる状態又能力でなく,ある事を為さずしてある他のことを為す能力
  ⇔善悪を判別して悪を避けて善を行う能力  
●自由とは理想にあらず、境遇にあらず、能力である
●Ican do that which is right.(我は正しき事を為し能う)
●他のいかなる自由よりも、先ず第一に良心に従って知り考え信じ、かつ言うことの
 自由を我に与えたまえ(ミルトン)
●自由のあるところのみ、道徳は行なわれる(内村鑑三

<何者>かにとらわれていない、奴隷関係でない状態である【自由】であるということは、心に【フロンティア精神:チャレンジ、オープン・マインド、ポジティブ/プラス思考】が満ち溢れて<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で世間体や先入観・固定観念にとらわれることなく、心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】を目指して、挑戦的・実践的・革新的に前進し続ける<幼な心>や<青年の心>である自分を体感できます!

●青年、壮者とは;
         常に不可能を計画する人
         常に大改革を望む人
         常に詩人的にして夢想する人
         常に利害にうとき人
         常に危険を感ぜざる人  (内村鑑三

【青年の心】に抱く【ビジョン:理想・夢・志】に【ミッション:使命・天職】を発見して実現目指す<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で生きるために、【霊性:魂[勇気]・善意・良心】と【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮できる!【自発的能力:自由i意志と決断・実行】こそが【聖書】が導いてくれる【自由】であると私は理解します。

●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためでなく、
 本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりに
 すべきである。神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)

さらに【聖書】の教える【自由】には【神の愛】と共に生きるための【独立】が伴います。
この【自由・独立】をあわせて【自主独立精神】であると私は実感しています。

日本の世間一般で言われる「独立」は自ら生計を立てる「経済的自立」「社会的自立」が
強調されるようです。

【キリスト精神】における【独立】とは15世紀末に英国ピューリタン清教徒)による
造語から由来していると内村鑑三は説明しています。

ラテン語の「デペンデンシャ:依頼する」に対して「イン:非」の立場を指すことであり、「依頼を否認する」<意思表明>である「インデペンデンス:Independence(独立)」が生まれたということになります。

●汝ら互いに愛を負うの他、何物も人に負うなかれ(ロマ書13-8)

【キリスト精神】の目指す【独立】とは、単なる「経済的・社会的自立」というよりも、
【この世の勢力:富・権威・名声】より、まずは【神の愛】に依頼して、仕えることを
選びとって、神の前に「独り立つ状態」であると理解するべきでしょう。

【神の愛=隣人愛】に生きる事は【自由】であり【この世の勢力:富・権威・名声】から
【独立】である事が【自主独立:自由・独立】精神であり、個人主義に通じると言えます。

●神に使役されんための自由なり。神に面と面を合わして語らんための独立なり(内村鑑三
●独立を説くなかれ、キリストを説くべし(内村鑑三
●神にすがる依頼心ありて始めて真個の独立と威厳と自尊はあるなり(内村鑑三
●神(愛)に仕えることを自由という(ヒルティ)
●絶対の自由は、ただ神にのみ仕えて他の一切のものには仕えないことである(ヒルティ)
●個人は分かつべからざる者である。個人は人そのままである。
 神の子、永久の存在者、自由独立不滅の固有性を有し、全世界を代価に払うても
 あがなうことのできないほど、貴いものである(内村鑑三

ここで誤解せず注目するべきことは、【この世の勢力:富・権威・名声】より【神の愛】を最優先する【独立】は、世俗を捨てて世間から遠ざかる隠遁生活を目指すのではありません。世間で真に勝利することを目指すのです!

キリスト教は世をあきらめずして、世に勝たしむるものなり(内村鑑三
●真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない(ヒルティ)
●神に従う生活をしない者は、ただ怖れにばかり支配される(ツィツィンドルフ・同胞教会設立者)
●我れ神に依頼(ヨリタノ)みたればおそれなし。人、我に何をなし得ようか(詩篇56-11)

【キリスト精神】【自主独立:自由・独立】は自分の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮させるには世間を活用し【この世の勢力:富・権威・名声】は<目的>ではなくて、<実現手段>として、【ミッション:使命・天職】のために有効活用する道だといえます。

●独立とは必ずしも他の援助を絶つということではなく、自己の有する全ての実力を
 活用する事をいうのである(内村鑑三
●天の定めたる労働を求め、衣食のこれに伴うのを知って感謝する。(これキリストに
 よってその霊魂の救われた者のすることであります)衣食は天職の遂行に伴う必然の
 附随物であります(内村鑑三
●先ず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは 全て添えて与えられる
 であろう(マタイ伝6‐33)
●ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのもの(衣食住の必要)は加えて
 与えられる。(ルカ伝12-31)<実現手段>として有効活用する

★★【その2】につづく★★