●<祈祷の特権>(内村鑑三)
私に金がなくとも、知識、能弁、健康がなくとも、
私は国のために、同胞のために、人類のために、大なることをなすことができる。
私は祈ることができる。祈祷をもって神の心を動かし、
彼の恩恵をこの悩める地上に呼び求むることができる。
祈祷は、神が人としての私に、
ことにクリスチャンとしての私に賜わりし最大の特権である。
私はこれを用いずしてよかろうか。
私はたびたび、私にこの特権を賦与せられしことを忘れる。
私は実は勢力者なるに、その勢力を用いずして、常に貧弱を嘆く。
なんと愚かなる私ではないか。
人は窮すれば人に頼む。人の援助(たすけ)を得て窮地を脱せんとする。
そして人の援助の絶えし時に、行き詰まりたりと言う。
彼は、おのれに祈祷の特権あるを忘れるからである。
何がなくとも祈る心はある。
これさえあれば、われに万物ありである。
そしてわが祈祷に応えて、一たび聖霊のわれに下るあらんか、
われは強き者となりて、有り余る能力(ちから)をもって、
また他人をも助くることができる。
祈祷の哲理を解せずといえども、祈祷の実力を知る。
われは弱き人である。されども祈祷の人である。
ゆえに強くせられ、また人を強くすることができる。
大なるかな、祈祷の特権。
●この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった(ヨハネ伝1-12)
●自由は意志の自由にかぎらず、また思想の自由にとどまらず、実行の自由をもいう。
我れ我がなさんと欲することをなすを得て、我に真正の自由あるなり。
しかして、神がキリストをもって信者に賜う自由はこの自由なり。
困難の山をも動かし、積弊の桑樹をも抜きて海に移しうるの自由なり。
信者の特権は神の全能の使用権に他ならず(内村鑑三、所感p334)
●乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました(ピリピ書4-11)
私たちが【神の愛=主イエス】と個人的に直接に霊的交流できる【自主独立:自由・独立】と【礼拝:★讃美★祈り★感謝】の<特権>が与えられていることは何と素晴らしい恵みでしょうか!!
この<アメージング・グレイス(驚くばかりの余りある恵み)>である【自主独立:自由・独立】と【礼拝:★讃美★祈り★感謝】の<特権>を最善発揮して、皆さんが【神の愛=主イエス】と共に【世の光】【光の子】として活躍されることを心より応援しています!
●起きよ、汝の光を放て、主の光が臨み、主の栄光が汝の上に輝いているからだ
見よ、闇が地をおおい、暗闇が諸国の民をおおっている。
しかし、汝の上には主が輝き、主の栄光の臨在が汝と共にある
国々は汝の光の内に歩み、王たちは汝の輝きに照らされて歩む(イザヤ書60-1~3)
●いつの日も御前で忠節と義とをもって、恐れなく神聖なる奉仕を捧げる特権を私たちに得させる(ルカ伝1-75)
●暗闇と死の陰に座している者たちを光で照らし、我らの歩みを平和の道に導く(ルカ伝1-79)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!