◇◇【キリスト精神】⇔【常時歓喜!不断祈祷!万事感謝!】(その1)◇◇
【2004年1月22日に作成した<第325号>に加筆】<改訂版・再掲載>
●いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
(テサロニケ前書5‐16~18)
●望みて喜び、患難に耐え、常に祈れ(ロマ書12-12)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
日本の公式の歴史的記録においてキリスト教が伝道普及されたのは1549年に始まる
宣教師ザビエルによるカトリック伝道はあまりにも有名です。
その後プロテスタントの伝道は米国の監督派から派遣された宣教師リギンズにより
1859年に始まったそうです。
ザビエルに比べて、プロテスタントの日本伝道の第1号が無名であるのは、彼が病弱で
わずか9ヶ月の日本滞在であったこともあるようです。
日本の歴史的に見れば、カトリックの伝道よりも、後のプロテスタントの伝道が
成果をあげたことはリギンズの中途半端で世間的に見れば失敗に終わったことが
かえって功を奏したと私自身は理解します。
彼の道半ばの【ビジョン:理想・夢・志】を継承して、「我こそは!」と多くが
起ち上がる【チャンス】となり、ヘボンなど各宗派の宣教師が続々と日本の各地に
集中して来日してきたからこそ、一気に全国に布教できたのだと思われるのです。
●正義は敗れて興り、不義は勝ちて滅ぶ(内村鑑三)
●成功した事業を見れば、誰かが勇気ある決断を下していたことが分かる(ドラッカー)
●私は失望などしない。なぜなら、どんな失敗でも次への前進の新たな一歩となるから
(エジソン)
伝道の成果として、日本ではいわゆる「クリスチャン(キリスト教徒)」に対する
「イメージ」が「真面目で敬けんな人たち」として定着した事は、ある意味では
成功したといえるかもしれません。
しかし、「真面目で敬虔である」ことは【神の愛=主イエス】が喜ばれ私たちに望まれる
【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】が体現する<人生理想>とは言えません。
【聖書】は「【常時歓喜!不断祈祷!万事感謝】であれ!」と明確に示しているからです。
●いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
(テサロニケ前書5‐16~18)
【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】が<キリスト者の理想>ならば、キリスト教会信者でなくても、誰もが憧れて互いに尊重できる【生き方】であり、世界中の全ての人々にとって不変の【人生理想】といえるのではないでしょうか。
●神は何らかの教会制度や、さらにある一定の学問の中に限られてはいない。
そのようなものがなくとも、神は自らを知らしめ給う(ヒルティ)
●教理を知らないでもクリスチャンである者が少なくない。
キリスト教は証明せらるべき教義ではなくて、生活さるべき一つの生命である
(ヘンリー・ドラモンド)
●キリストが心にかけた事は民衆自身のことと一致する(クロムウエル)
●イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも永遠に変わることがない(ヘブル書13‐8)
ところで、いつも前向きで元気で素直に祈り感謝できる晴れた日ばかりではありませんね。
<多忙な日常>と不安と恐怖と憎悪と悲嘆を伴う【患難辛苦】が待っていることも事実です。
たとえ現実の自分の姿と【理想の生き方=キリスト精神】に大きな差があっても、私たちは失望したり、自己嫌悪に陥ることも、<理想>を放棄する必要はありません。
確かに<人生理想>の【常時歓喜!不断祈祷!万事感謝!】を<人生目的>とするならば、困難ですが、人生目的を実現させる【実現手段】であり【心意気】とすれば、なるほど!と納得できるはずです。
つまり<人生目的>の実現のためには「【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】であれ!」と言い換える事ができます。
●なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
神がキリスト・イエスによって上へ召してお与えになる賞を得るために、
目標を目指してひたすら走ることである((ピリピ書3-13~14)
●光に向かって進め。そうすれば影はあなたのうしろに落ちるだろう(ヒルティ)
それならば、【神の愛=主イエス】が望み喜ばれ愛される【人生目的】とは何でしょうか?
【聖書】を通じ【神の愛=主イエス】と交流することで私自身は次のように実感しています。
<熱き思い燃える心><青年(青春)の心>に思い浮かぶ【ビジョン:理想・夢・志】の中に自分が目指すべき【人生目的:使命・天職】が示されている!という確信に至る希望です。
●あなた方の内に働きかけて、その願い(志望)を起こさせ、かつ実現に至らせるのは
神であって、それは神が善しとされるところだからである。
何事も、つぶやかず疑わないで(不平や理屈を言わずに)行いなさい(ピリピ書2-13~14)
●青年の夢を軽んじてはならない。それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に
応じたものであり、したがって、またその人の使命とも一致することが多い。
つまり、人の使命も最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである(ヒルティ)
●あなたの夢は何か、あなたの目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう(ガンジー)
●青春の夢に忠実であれ(シラー)
●素晴らしい人生、それは青年時代に考えた事が壮年になってから実現されることである
(A.d.ヴィニー)
●少年の頃の理想主義の中に、人間にとっての真理が潜んでいる。
そして少年の頃の理想主義は何ものにも変えることが出来ない人間の財産である
(シュバイツァー)
私たちの心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】の中に
【人生目的:使命・天職】】を見出して挑戦しようとする時には、私たちの<心意気>が
<希望>に満ち溢れて【常時歓喜!不断祈祷!万事感謝!】であることを体感しましょう!
●人を豊かにするのは、その人の心なのだ。人の持ち物ではなく、
その人そのものによって豊かになるのである(H・W・ビーチャー)
●人は目的なり志なりを立てて、その実現に努力することが成功への道です。
その努力には、目的の財産や権力を得るにふさわしい人格をつくることも含まれています
(ヘレン・ケラー)
私たちの【ビジョン:理想・夢・志】を【人生目的:使命・天職】として前進させるには
短期的成果を求めるのではなくて、【長期的視野・大局観】で挑む事ではないでしょうか。
例えば、地球一つの生命体とする【ガイア理論】を提唱したラブロック博士の心意気にも
示されていると思います。
「百年の視野で進め!」と言うテーマで朝日新聞に掲載されている記事によれば、
当初は科学者や専門家から反発批判されて受入れられなかったと書かれています。
科学者の視点がミクロ志向となり専門化・細分化して短期的成果主義に陥っている中で、
ラブロック博士は地球全体としての科学的観察も大切なことだと主張したのです。
【神の愛】にも通じる【マクロ的視点・大局観】を見失うことなく、たった一人からでも
提唱し続けて、ようやく30年後の現代に、世界の老若男女の誰もが理解できる理論へと
確立されたことは【神の愛の勝利】だと私は信じます。ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●私は何ごとも恐れず、自分が最善と認めることを行っている(ヘレン・ケラー)
●二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めた。ひとりは泥を見た。 ひとりは星を見た。
(フレデリック・ラングブリッジ:英国の詩人)
地球全体で廃棄物ゼロを目指すパウリ氏の「ゼロ・エミッション」という概念にしても
94年に発表された時には、単なる「理想論」であり、実現不可能と見なされましたが、
現代では限られた地球資源のリサイクル化や環境問題を解決するために<常識>です。
パウリ自身も応えています。「私は百年後の将来の実現を目指しているのです!」
私たちの心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】も
百年単位で実現させるくらいの、崇高遠大にデッカく育て上げましょう!
●<吉田松陰が亡くなる一年前に弟子に送った漢詩>
「志を立てるためには人と異なることを畏れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目前の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように」
(NHK「その時歴史が動いた」より)
●小さな円を描いて満足するより、大きな円の、その一部分である弧になれ
(ブラウニング)
★★【その2】につづく★★