<信仰の綱>(内村鑑三)
われは聖人でもない、義人でもない。
われはただ神の義を慕う者である。その援助(たすけ)を哀求する者である。
われのなし得る事はただ一つである。
すなわち神の恵み深きことを信ずる事である。
そうして、もしこの信仰がわれをすべての罪より潔め得ないならば、
われの潔まる道はほかに一つもない。
信仰、キリストにおいて現われたる神の恵みを信ずること、
これが、わがすべての徳であって、わがすべての自満(ほこり)である。
もしこの信仰の綱が断(き)れるならば、
われは奈落の底にまで落ち行くべき者である。
●私たちが滅び失せなかったのは、主の恵みによる。
主のいつくしみは絶えることがなく、のあわれみは尽きることがない。
それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。主こそ私の受ける分です。
それゆえ、私は主を待ち望みます。」と我が魂は言う。
主を待ち望む者、主を尋ね求める魂に向かって主は恵み深い。
主の救いを静かに待ち望むことは善い。人が、若い時に、くびきを負うのは善いことだ
(哀歌3-22~27)
●私は人に用いる索(ツナ)、すなわち愛のきずなで彼らを引いた。私は彼らにとってはそのあごの「くびき」をはずす者のようになり、やさしくこれに食べさせてきた(ホセア書11-4)
【神の愛=主イエス】の恵み深い<愛のきずな>は、私たちが心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】を目指す時には、【ミッション:使命・天職】完遂までは不死身であり不滅で前進し続けられる<安全(セイフティ)ネット>となってくれます!
●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
途方にくれても、行き詰まらない
迫害にあっても、見捨てられない
倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)
●人に知られていないようで、認められ
死にかかっているようで、生きており
こらしめられているようで、殺されず
悲しんでいるようで、常に喜んでおり
貧しいようであるが、多くの人を富ませ
何も持たざるようで、全てのものを持っている(コリント後書6‐9~10)
皆さんにとって、<新年2008年>が、【ビジョン:理想・夢・志】に挑戦する飛躍の一年となりますように心より応援しています!
★★★A Happy New Year !【善き年】をお迎えください!★★★
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!