【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【真友&霊的兄弟】の【神の愛】!②

◇◇【主イエス】は【真の友】&【霊的兄弟】!(その2)◇◇<改訂版・再掲載>
【2006年1月19日に作成した<第396回>に加筆】 
★★【その1】のつづき★★

実際に私自身がそうだったのです。私の実家も兄弟・親族もキリスト教とは無縁でした。
にもかかわらず、実家の書棚にポケット・サイズの【英語対訳版・新約聖書】(ギデオン協会)が、
誰も知らないままに保存されていたのです。

サラリーマン時代の私は、望みの米国勤務が実現したので、実家に立ち寄った際に、
米国勤務に役立つ本を探した時のことです。

それまで誰にも気づかれずに収まっていた【聖書】の方から、私を招いてくれたのです!
「英語がきっと役に立つよ!」そのおかげで、私は【聖書】と共に、憧れの地アメリカに
渡れたのです!帰国後の私にとって、【聖書】は欠かせない【同志・戦友】となりました。

もし、英語対訳版でなければ、私は実家で【聖書】と出会うことはなかったでしょう。
単なる偶然ではなく【神の愛の奇蹟】です!ハレルヤ!栄光を主に帰します!

16年後の今日現在から振り返れば、何と絶妙なタイミングであったか、恐ろしいほどに
美しい出来事であることを証言します!

●天の下では、何事にも定まった時期あり、すべての営みには時がある。
 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
 植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。
 殺すのに時があり、癒すのに時がある。
 崩すのに時があり、建てるのに時がある。
 泣くのに時があり、微笑むのに時がある。
 嘆くのに時があり、躍るのに時がある。(伝道の書3-1~5)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)

私の実体験から考えるなら、【神の愛=主イエス】との出逢いには前提条件はありません。教会信者でなくても大丈夫、境遇も資格も無関係です。

【神の愛=主イエス】との出逢いは【霊感:インスピレーション・ひらめき】を大切にして、始めは憧れと好奇心だけで十分だと思います。

私の最初の【出逢い】は少年時代に観た映画「ベン・ハー」に登場したイエス・キリストの<生き様>でした。特に鮮やかに心に刻まれたシーンがあります。

それは主人公のベン・ハーが無実の罪で奴隷船へと連行される途中のことです。
恐らくそこはナザレの町なのでしょう。
ベン・ハーは水も与えられず、歩き続けて疲れきって、ついに道端に倒れてしまいます。
しかし、周囲の人々は、棍棒を持った番兵が怖くて近づくこともできません。

ベン・ハーがもう終わりだと観念した時のことです。
水の入ったお椀をそっと彼の口元に差し出す人がいるではありませんか!
ベン・ハーはその手をつかんで顔を見上げます。
灼熱の太陽を背にして、その方の顔は逆光ではっきり見えません。

その時です、背後から怒鳴りながら巨漢の番兵がやって来ます。
巨漢の番兵が棍棒を振り上げて、今にも≪その方≫を背後から殴りつけようとしました。
すると≪その方≫は立ち上がり、後ろを振返って、怒った番人と向かい合います。

それまで怒って腕を振り上げていた番人が、表情を変えて、殴りつけようとした自分を
恥ずかしく思ったような顔をして、静かにその場を立ち去って行くのです。

映画では≪その方≫【主イエス】の表情を一度もアップで見せることはありませんでした。<うしろ姿>や逆光で影の顔だけで表現されて、一体何者なのかは解りません。

それでも幼かった私は「この人は何と優しくて強い人なんだろう!」と感動したのです。

【主イエス】の姿に憧れと好奇心が起こり、【心の奥】に静かに留めていたので、それから20数年後に「英語対訳版」の【聖書】に手を差し伸べることができたのです。

【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】による全ての計らいに心から感謝しています!

●創造者、主、すべてを形づくり、確立される方。その御名は主。主はこう言われる。
「私を呼求めよ。そうすれば、私はあなたに答え、あなたの知らない隠された理解を超えた大いなる事を、あなたに告げ知らせよう」(エレミヤ記33-2~3)
●【神を見ること(内村鑑三)】
 神を見るとは夢幻(マボロシ)の彼を見るということではない
 また神秘的に彼を感ずるということでもない
 神を見るとはイエス・キリストを真(マコト)の神として認むることである

【聖書】を通じて憧れと好奇心で身近な【敬愛の対象】となって、いよいよ【主イエス】が【真友】&【霊的兄弟】となるということは具体的にどういうことでしょうか?

【聖書】に記される【キリスト伝:イエスの生涯と教え】を<人生理想>として見習って、自己の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を満足させる【ビジョン:理想・夢・志】を目指すこと気づくはずです。

【主イエス】に信頼して、【主イエス】ならばどうするか?を考えて、決断と実行する時は、失敗しても苦にはなりません。【真友】&【霊的兄弟】の【神の愛=主イエス】を通じて私たちは<現実>に失敗しても、<理想>に生きていることの大切さを学ぶからです!

●われキリストにならわんと欲して、キリスト伝を学ぶ。学んで、それから、
 ますます倣(なら)うの難さを知り、知りて、それから失望し、失望して、
 それから自己の罪を覚り、覚りて、それから、ついに彼の十字架にすがり、
 すがりて、それから、やや少しく倣いうるに至る。
 先ず、キリストに殺されなくては、キリストにあり生き、
 彼の如く行うことはできない(内村鑑三

皆さんが【聖書】を通じて【真友】&【霊的兄弟】である【主イエス】と相思相愛の関係で<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】に満ち溢れて心に抱く<最愛の我が子・我が分身>の【ビジョン:理想・夢・志】に前進されることを心より願っています。

●あなたは悟しをもって導き、後には栄光のうちに受入れて下さいましょう。
 天ではあなたの他に私は誰を持ち得ましょう。
 地上ではあなたの他に私は誰をも慕い望みません(詩篇73‐24~25)
●かつて書かれた事柄は、すべて私たちを教え導くためのものです。それで私たちは、
 聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです(ロマ書15-4)
●我々は何をなすべきか、またそれをいかに為すかについて、決して無頓着であっては
 ならない。いやむしろ我々はすべての勤勉と才能とを真剣に活用しなくてはならない。
 ただし、野心や所有欲からではなくて義務感と神への愛からそれをしなければならない。そして、事の成否は、神に委ねるべきである(ヒルティ)
●神が私たちに求め給うのは、わたしたちと共にいますこと、神に心を寄せる者を見出し、その心を神みずからの霊によってさらに育て、かつ生き生きとさせること、これ以外の何ものでもない(ヒルティ)
●汝は何事にも慎み苦難を忍び、伝道者の業をなし、汝の職をまっとうせよ(テモテ後書4-5)

霊性:魂[勇気]・善意・良心】に従って【ビジョン:理想・夢・志】を目指して、
どんなに失敗し、挫折しようとも、たとえ無理解で孤立無援になろうと、道を外れて
<泥だらけ>になろうとも、【神の愛=主イエス】と共に再起・再出発しましょう!

●人格は平静の中では作られない。試練と苦しみを通してのみ、魂は強くなり、
 野心は燃え、成功は成し遂げられる(ヘレン・ケラー
●あらゆる失敗は成功に向かう第一歩である(ウィリアム・ヒューエル)
●あなたがころんでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに
 関心があるのだ(リンカーン)
●人生でもっとも輝かしい時はいわゆる栄光の時でなく、落胆や絶望の中で
 人生への挑戦と未来への完遂の展望がわき上がるのを感じたときだ(フローベル)
●私たちのもっともすばらしい栄光は、決してくじけないことではなく、
 くじけるたびに、起きあがってくることにある(オリバー・ゴールドスミス)
●私は落胆しない.なぜなら,どんな失敗も前へ進むためのステップになるからだ
エジソン

私のような弱小の意気地なしの臆病な愚かな人間であっても【神の愛=主イエス】を
【真友】&【霊的兄弟】として迎えるなら【神の愛=主イエス】に励まされ導かれて、
何度でも起ち上がり、<ハッピー・エンド>に向かって前進し続けられます!

●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
 一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を
 耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、また、その完成者である
 イエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走り、
 キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めている
 (ピリピ書3-13~14)
●罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と生命と成功と愛とに
 向かって進まんのみ(内村鑑三
●なおも神の御手に御心に逆らわず、勇気と希望をすこしも捨てぬ。
 私は静かに耐えまっすぐに前進する(ミルトン)
●神に近づきなさい、そうすれば神もあなた方に近づいて下さるであろう(ヤコブ書4-8)
●恐れてはならない、私はあなたと共にいる
 驚いてはならない、私はあなたの神である
 私はあなたを強くし、あなたを助け
 我が勝利の右の手をもって、あなたを支える(イザヤ書41‐10~14)
●神は我等の避け所また力なり、悩める時の最(イト)近き助けなり。
 されば、たとえ地は変わり山は海の中央に移るとも我等は恐れじ(詩篇46‐1)
●あなたの神、主は、あなたのただ中におられる救いを施す勝利の勇士だ。
 主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与え
 新しくされる。主は高らかに歌って、あなたのことを喜び給う(ゼパニヤ書3-17)
●目を高く上げて、誰が天の万象(万軍)を創られたかを見よ
 この方は、その万象(万軍)を数えて呼び出し、一つ一つその名をもって
 呼ばれる。この方は、勢力に満ち、その力は強い、一つも、もれるものはない
イザヤ書40-26)

混迷している現代日本社会にあって、【真友】&【霊的兄弟】である【主イエス】と共に、社会や自己の【闇】に失望せず、堕落妥協することなく、【世の光・光の子】となって<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】に燃え盛り皆さんの心に抱く<最愛の我が子・我が分身>の【ビジョン:理想・夢・志】を死守して世界を舞台に活躍されることを心より応援しています!

●あなたにゆだねられている事を守りなさい。そして、俗悪な無駄話と偽りの
 「知識」による反対論を避けなさい(テモテ前書6-20)
●夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる(ディズニー)
●志が一度確立すれば、人に求めたり、世の中に願ったりすることもなく、断固とし、
 一人でも楽しみながら実行する(吉田松陰
●今日も、明日も、困難が待ち受けている。しかし、それでも、わたしには、夢がある
キング牧師
●幾たびか辛酸を経て、志ははじめて固まるものだ。その志を貫くためには、
 玉となって砕けることを本懐とすべきであって、志をまげて瓦となってまで、
 生きながらえるのは恥とする(西郷隆盛
 ★<玉>=価値あるもの[正義・名誉]⇔<瓦>=がらくた[生き甲斐の無いもの]