◇◇【自己本位】の【個人主義】&【キリスト信仰精神】を目指そう!(その2)◇◇
【2001年7月26日に作成した<第165回>に加筆】
★★<個人主義>と<利己主義>の違いについて考える★★
★★【その1】のつづき★★
歩行者の道路横断にも日米で違いがあります。特にNYマンハッタンでは信号機のランプを
見て横断しようとする人は≪おのぼりさん・旅行者≫である事を証明してスリや盗人などに
カモにされると聞きます。
何故、そんなにもNY市民が平気で信号無視をして横断するのかには理由があるのです。
それは急いでいる事もあるでしょうが、あくまでも自己判断と自己責任に従っているのです。
まず前提として、自動車は常に交通渋滞しており、信号機自体がうまく機能していません。
たとえ信号機が赤(ストップ)でも、自分の目測と自己経験で自動車が充分遠くにいるならば、
各人の自己判断で思いきって横断します。
日本でよく使われる「信号機、みんなで渡れば怖くない」というように周囲がするから私も
やるという「あなた任せ」の無責任な判断とは丸っきり異なるのです。
それは、小さい頃からの教育から由来しているとも言われています。つまり、信号機や
運転手の判断に盲従するのではなく、自分自身の判断を重視するという【個人主義】が
徹底しているからです。
興味深い事は、日本人には無謀にも見える、NY市内の信号無視の横断歩道で人身事故は
ほとんどないそうです。
その反面、日本では信号機に忠実に従ったあまりに、左折・右折車に巻き込まれる事故が
横断歩道で多発しています。せっかくの信号機も「青」だから進めばよいという盲従した
判断ではかえって危険過ぎるのです。
これらは日米での小さな生活習慣の違いかもしれませんが、そこにも【神の愛=真理】は
示されているのだと思います。
社会的ルールや世間体を自分勝手な【利己主義】な態度で破れというのではありませんが、
あまりにも<お上・政府・官僚>や<雇い主・オーナー>や<先例・法律・戒律>などの
<他人任せ>の判断ばかりを重視して【個人主義】が重視されない環境は、結局は横暴な
【利己主義】か、盲従する<自己保身・身内主義>しか生まれないのではないでしょうか。
【個人主義】とは<個人>が所有する【神の愛=主イエス】から委ねられた最善能力である
【自由意志と自己判断】を大切にする事であるかからこそ、【隣人・社会】の【自由】と
公正や<個人の尊厳>を重視できる【隣人愛精神】に通じる道であると私は考えます。
●人間生活は意志の自由に基づいており、それに、神は自由な人間と、みずから進んで働く
僕とを欲していられるからである(ヒルティ)
●あなたにゆだねられていることを守りなさい。そして、俗悪なむだ話と、
偽りの「知識」による反対論を避けなさい(テモテ前書6―20)
●人間の無私の献身によって隣人たちの幸福を生み出したり、それを固めたり、
また増進したりするためにはたらく時、初めて真の人間、つまり神の似姿になり始める。
ただ自分のために存在するならば、人間とは一体何であろうか
(イスラエルの祈り:ヒルシェ)
●人はただ信仰によってのみ自由とされるのであって、いかなる意味においても
行為の正しさによって自由をえるのではない(ルター)
21世紀の<新世紀>は日本も世界も個人の【タレント:個性・才能・可能性】が尊重される
<個人の時代>であると、私は楽しみに期待しています。
そこで問われるのは、従来の日本に多く見られる<他人(社会)本位>の立場で活躍してきた
20世紀型の個人・個性はもはや時代遅れではないかということです。
これからは≪自己本位≫の【個人主義】を尊重した【自主独立:自由・独立】の立場にある
個性を最善発揮した個人が、いよいよ表舞台に登場してくる時代が到来したからです!
【神の愛=主イエス】に託された【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮する<個人>は
多様性を尊重し<国際人>として十分に通用する【愛と自由の戦士・神の僕】だと思います。
●あなた方が、私から学んだ事、受けた事、聞いたこと、見たことはこれを実行しなさい。
そうすれば、平和の神があなた方と共にいますであろう(ピリピ書4―9)
ところで、あまりに【自己本位】の自己判断だけに任せては【個人主義】もまた危険な事を
私たちは理解しています。
従って【個人主義】が勝手な【利己主義】や独善・偽善・高慢・忘恩などに陥らせない為に、
真理や正義や至上の愛を<理想>として指針とする【信仰精神】が大切な≪道標・羅針盤≫に
なると私は考えます。
●理想主義なるものは、ひとつの信仰、ひとつの内的確信にほかならない(ヒルティ)
信仰深く慈愛と正義に満ちたダビデ王でさえも、絶対的権力を得ると≪姦淫と殺人の罪≫を
犯したということを私たちは知っておくべきでしょう。
そして、彼が自ら暴走した【利己主義】によって生まれた独善・横暴・傲慢・忘恩の道から、
哀れなるダビデを救い出すのは、彼自身の心に活き続けていた【信仰精神】でした。
(サムエル前書12‐7、詩篇51全体<罪の悔い改め>)
●ああ神よ、我が為に清き心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新たに興したまえ
(詩篇51‐10)
天国と地獄を体験して見事に救済されたダビデに示されるように【神の愛=主イエス】に
【礼拝:★讃美★祈り★感謝】できる【キリスト精神】は【個人主義】を最善発揮できる
無限大の健全な【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】と日々新たな
【バイタリティ:生活力=生命力+活力】を与えてくれるます!
●キリストは我が教師にあらず、我が救い主なり、我が生命なり、また我が復活なり
(内村鑑三)
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に超越して最も多く他を利して
最も多く己を利するの道を教えたり(内村鑑三)
自己の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を信頼して自己の≪自由意志と決断≫に任せる
≪自己本位≫の【個人主義】を最善発揮するために【神の愛】への【信仰精神】があれば、
一切心配ご無用ですね!ハレルヤ!栄光を【主イエス】に帰します!
●いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ単なる幻想である
(ヒルティ)
●神への愛だけが、我々を徹底的にエゴイズムから解放する事ができ、
またすべての本当の自己改善の始まりである(ヒルティ)
●心をつくして神を愛せよ、それからあなたの欲することを為すが良い(ヒルティ)
●神の無限の力に頼りて我等は我等の信じるがごとくに全ての事をなすを得るなり
(ピリピ書4‐13)
皆さんが自己の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】と【タレント:個性・才能・可能性】を
最善発揮できる≪自己本位≫の【個人主義】を尊重して【神の愛=主イエス】に対して
【礼拝:★讃美★祈り★感謝】できる【信仰精神】【キリスト精神】を支えとしながら、
<21世紀型日本人>であり、<自由人>であり、【愛と自由の戦士・神の僕】として
自己と世界を喜びと感動と自由と愛で満たす活躍をされることを心より応援しています!
●偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語れ(エペソ書4-25)
●聞く人に恵みが与えられ徳を高めるように、その人を造り上げるのに役立ち益になる
言葉を必要に応じて語りなさい(エペソ書4-29)
●完全なる職業は他人を喜ばして我もまた喜ぶの職なり(内村鑑三)
●強いられてするのでなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためでなく、
本心からそれをしなさい(ペテロ前書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりに
すべきである。神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)
●人間のうちに善をのばしてやり、彼らの心に善に対する愛好心を注ぎ込むことが
必要である(ヒルティ)
●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず
神の僕にふさわしく行動しなさい(ペテロ第1書2‐16)
●語るための真理にあらず、信じて行なうための真理なり(内村鑑三)
●神が私たちに下さったのは臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである
(テモテ後書1‐6)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)