◇◇【闇】を【光】に<善循環>させる【神の愛=主イエス】!(その1)◇◇
【2008年3月31日(月)に作成した<第455回>に加筆】
●日の輝きと暴風雨とは、同じ空の違った表情にすぎない。
運命は、甘いものにせよ、にがいものにせよ、
好ましい糧として役立てよう(へッセ)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは!ご愛読に感謝します!
最近の日本で起きている事件・事故のテレビ報道を観ていると気づくことがあります。
それは事件や事故を解説してくれるコメンテーターとして宗教家が存在しない事です。
細かく見れば、瀬戸内さんなどが登場していることはありますが、特に牧師や神父が
残虐な事件や不条理な事故について【聖書】の立場で解説する事はないでしょう。
様々なコメンテータの解説も、結局は「疑問」に対する「解答」が見当たらないまま
個人も社会も、さらに悪化・腐敗・堕落する<悪循環>に陥っているように感じます。
一方でCNNでは、恐るべき事件や事故の時には、宗教界からも積極的に発言します。
「こんな時だからこそ、神様を疑わず<信仰>を守りましょう!祈りましょう!」
最悪な事件や不条理な事故が【福音伝道】の<絶好のチャンス>となっているのです。
そうです!人生においても事業においても、絶好調の時よりも、最悪のどん底でこそ、
【神の愛=主イエス】は最も身近にいてくれて、体感できることは感謝感激です!
●神の恵みと助けとが示されているのは、とくに困難な時期に、いつも我々の暗い
運命のどこかある一点が明るくされることによってである(ヒルティ)
●<かけがいのないもの>(マザー・テレサ>
苦悩の中にある時、孤独な時、問題を抱えている時、
このことを思い出すと、励まされます。忘れないでください。
‐あなたは神の御手にあるということ
‐そして、あなたが苦悩の中で、最も苦しんでいる、まさにその時、
神のまなざしがあなたに注がれているということ
‐あなたは神にとってかけがいのないものだということ
<最悪のピンチ>を<絶好のチャンス>に転用して<善循環>を産み出せる心意気こそ
個人でも社会でも常に再起・再出発できる<敗者復活>の原動力だといえるでしょう。
●善の勝利についての絶望は常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)
●事物の光明的半面に着眼する者、これ信者なり。
暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり。
信者は 常に健康を祝し、成功を讃え、 聖徳をよろこぶ
不信者は 常に疾病を語り、失敗をなげき、悪徳・罪悪を憤る(内村鑑三)
●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三)
映画『タイタニック』にしても、人災ともいえる不条理な悲惨すぎる事故であっても、
単に人間の不義・不正などの【闇】を暴く事ではなく、そんな最悪な状況にあっても
最も貴重で美しい【神の愛=隣人愛】を<主要テーマ>にして【再現・復活】させて
悲惨な事故の犠牲者の献身を<無駄死>とせずに<善循環>させることは見事ですね。
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるように
する方がよいと考えられたのである(アウグスティヌス)
●悪いことの中にも、なにほどかの善の魂がまじっている。
人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア)
一方で日本では戦時中に起こった「沖縄集団自決問題」がたびたび波紋を呼んでいます。
特に、ノーベル賞作家である大江健三郎氏の著作『沖縄ノート』で描かれてきた内容が
事実に反するということで、名誉毀損を訴える法廷裁判闘争にまでなってしまいました。
私なりに冷静に歴史的証言を調べると、明らかに大江健三郎氏や左翼的人権運動家たちの
主張は捻じ曲げられていると理解します。
現在も91歳で生存していて、裁判の原告の一人でもある元軍人の梅澤隊長という人物は
海上特攻作戦を命じられたにもかかわらず、部下を特攻で死なせたくない!という一念で
攻撃方法を工夫し、上層部に計画変更を具申して許可させたエピソードまである人です。
熱心なカトリック信者でもある曽野綾子さんもあまりにも反軍的・反日的な言動に疑問を
抱き、自ら50日間も島に宿泊し綿密な取材をして『沖縄ノート』の内容が虚偽であると
証明したほどです。
しかし、大阪地裁の裁判官は原告側の証言を事実として認めずに全面的に否決したのです。
問題となっている二つの島で何が起きたのか?隊長は島民に自決するように命じたという
証言は全くの虚偽であり、本当は素晴らしい<人間ドラマ>が起こっていたのです!
戦後になって、軍関係者にしか遺族補償がされないという法制度がありました。そのために
島民の生存者が対象外であるので、島の村長から元隊長は何度も頼まれることになるのです。
つまり、遺族年金の対象になるために「集団自決は軍命令であった」ことを証言して欲しいと
言う嘆願でした。元隊長は当時の島民があまりにも貧困で苦しんでいることを気の毒に思って
虚偽を承知の上で証言したということが事実なのです。
当時の事情を知っている生存者の証言では、日本軍は何度も「死ぬんじゃない!」と説得して、
貴重な手榴弾を島民が持っていたのも、あくまでも攻撃のために渡したのであって、死ぬ為に
渡せるほどに日本軍には豊富な武器弾薬もありませんでした。
では何故多くの人々が「集団自決」を決断したのかは、皆さんもご存知の「万歳クリフ」でも
有名なサイパンの島民の悲惨な最後を知っていたからなのです。
実はサイパンにいた日本市民の60パーセントは、この二つの島民の移住者であったそうです。
アメリカ軍の攻撃は恐ろしく、降参しても女性は連行され老人や子供達はガソリンで焼かれる
という悲惨な最後を知っていたのです。実際に沖縄も「鉄の雨」と言われるほどの艦砲射撃が
何日間も続く中で、追い込まれた沖縄の島民は隊長に自決させてくれと何度も頼んだそうです。
しかし、隊長も部下も、「決して死ぬんじゃない!」と説得して、限られた食糧まで提供して
島民のために非武装地帯を設けて避難させることまでしたのです。
さらに沖縄は日本本土を守るために「捨て石(いけにえ)」にされたという主張もありますが、
最後の援軍に向かった戦艦大和には、島民のために大量の物資を運んでいたという事実まで
あるのです。
従って、私たちは主要メディアや多くの人権運動家や社会主義者的立場の有識者の発言だけで
決め付けることは危険であると思います。以前の私も「日本軍は酷いことしかしなかった」と
思い込んでいました。
<「沖縄集団自決問題」についての詳細>
★「新しい歴史教科書をつくる会」http://www.tsukurukai.com/
★「南木の資料室」 http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/index.html
★沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (曽野綾子)
(ワックBUNKO) (単行本)
社会主義思想やヒューマニズムに基づく懐疑的批判精神は【闇:不完全・悪徳】を暴くことは
得意ですが、何でも疑って完全否定する危険性を、内村鑑三はすでに百年前に警告しています。
●<社会主義>[1907年5月] (内村鑑三)
キリスト教に似て、しかも最も非なるものを、
今日わが国において唱えらるる社会主義となす。
これ聖書にいわゆる「不法の隠れたるもの(テサロニケ後書2-7)」なり。
これに敬虔なし。恭順なし。平和なし。
これ単に不平と頑抗と破壊の精神なり。
これ、しもべを主にそむかせ、子を親にそむかせ、弟を兄にそむかせ、
弟子を師にそむかしむるの精神なり。
すなわち特に叛逆の精神なり。
服従を絶対的に拒絶せしむる悪魔の精神なり。
余輩は長き忍耐の後にこの断言を発せざるを得ざるに至りしを悲しむ。
日本で起きた日航機事故を描くドキュメンタリーでも、どうしても事故の原因や責任問題に
<焦点>をあてるものとなって、<愛と自由>を描いた映画『タイタニック』のようには
行きませんね。
「あんな悲惨な事故・事件は二度と起こさせない!」「再び経験をしたくない!」といった
社会的正義感や道義心が先に立つからでしょう。
しかし、現実には、不条理な事故も残虐な事件も繰り返されて、さらに悪化しているように
思えます。つまり<最悪>を<最善>に活かせないから起こる<悪循環>といえるでしょう。
このように【闇:不完全・悪徳】深き中にも【光】である【神の愛】を見つけ出すためには、
単なるヒューマニズム(人道主義)や社会主義思想の批判精神では困難であると痛感します。
●社会の腐敗のみに注意する者は終いに自身も腐敗の渦中に巻き込まれる危険がある(内村鑑三)
●我々は結局何を目指すべきか、世の中を知りこれを軽蔑しないことだ(ゲーテ)、
●汝の内なる光、闇にはあらぬか省みよ(ルカ伝11‐35)
●神は善きを視るに敏くして、悪魔は悪を探るに巧みなり。神は奨励する者にして、
悪魔は失望せしむる者なり(内村鑑三)
●神の神たるは人の善きを思うて悪しきを思わざるにあり。
悪魔たるは人の悪しきをのみ思いえて人の善きを思いえざるにあり(内村鑑三)
★★【その2】につづく★★