●<省察>(ゲーテ)
ああ、人は何を願うべきか。
じっとしていた方がよいか。
しっかり自分を守っていた方がよいか。
それとも活動する力がよいか。
ささやかながら自分の家を建てるべきか。
それともテントの下に住むべきか。
岩をたのみとすべきか。
かたい岩でさえゆらぐものを。
一つのことがだれにでもあてはまりはしない。
めいめい自分のすることに注意せよ。
めいめい自分のいるところに注意せよ。
立っている者は倒れないように注意せよ。
★★★
●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)
●行け、汝が道を、勝利の道を、勇みて、つはものの行くがごとく、行け、我が友よ、いざ行け、友。
(ベートーベン「歓喜の歌[シラー]」より)
●人は自己を失わなければどんな生活を営んでもよい。
自分の本領に留まるならば一切を失ってもかまわない(ゲーテ)
私たちが、どんなに挫折・失意にあおうと、倒れても、何度でも起ち上がり、<歓喜!感動!感謝!>で
前進し続けられる<我が道>とは、私たちを創造された方で、私たちを知り尽くして、最も愛されている【神の愛=主イエス】に信愛することで発見でき体感することができます!
●信仰は人によっては迷信のごとくに見える。信仰は確かに一種の冒険である。
これに従って、あるいは失敗におわるかもしれない。
しかしながら、信ずる者は信仰の迷信でないことを知る(内村鑑三)
●キリスト教は理想ではない、事実である。理想が事実となって顕れたるものである。
すなわち真個の理想である。「なすべき」はキリスト教ではない、「なしうる」がキリスト教である (内村鑑三)
●私たちは自らの道を探し求めて主に立ち帰ろう(エレミヤ哀歌3-40)
●汝の道を主にゆだねよ、
主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、
光のごとく汝の義をあきらかにし、
真昼のごとく汝の訴えをあきらかにし給わん(詩篇37-5~6)
【神の愛=主イエス】に信愛して、皆さんの心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】に示されている【我が道:使命・天職】に<確信>を抱いて、【神の愛=主イエス】と共に、<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で活躍されることを心より応援しています!
●ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。
それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことである(ロマ書14-5)
●自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります(ヘブル書10-35)
●私たちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです
(ヘブル書3-14)
●主をおのれの喜びとせよ。主に自らをゆだねよ、
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、
主は計らい、主が成し遂げてくださる。
あなたの義を光のように、
あなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる。
主の前に静まり沈黙して主に向かい耐え忍びて主を待ち望め。
おのれの繁栄の道を行く者や悪だくみをする者のことで心を悩まし、いら立つな(詩篇37-4~7)
●主は人の一歩一歩を定め、主は御旨にかなう道を備え、その行く道を喜ばれる。
人は倒れても、まっさかさまに倒されはしない。全く打ち捨てられることもない。
主がその手を助け支えられるからである。
若いときにも老いた今も、わたしは見ていない。
主に従う人が捨てられ、あるいはその子孫が食物を請い歩くのを見たことがない。
(詩篇37-23~25)
●命と信心とにかかわるすべてのことは、
主イエスの神聖の力によって、私たちに与えられている。
それは、御自身の栄光と力ある業と徳とによって
私たちを召し出してくださった主イエスを認識させることによる(ペテロ後書1ー3)
●この栄光と力ある業とによって、尊く素晴らしい大いなる約束が私たちに与えられている。
それは、あなた方が世にある欲のために滅びることを免れ、神の本性にあずかる者となるためである
(ペテロ後書1-4)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!