◇◇ 我々が目指すべきもの(その2)◇◇<改訂版・再掲載>
【2001年1月14日に作成した<第57回>に加筆】
★★【その1】のつづき★★
欧米ではスポーツ界、音楽・芸能界、政財界でも、有名人がTV番組を通して、十字を切って
祈る姿を目にします。勝利や成功して感謝する時にも、悲しみ苦難に直面した時にも人目を
気にせずに、自然に身についています。
彼等が公然と【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を実践するのは単なる形式的・風習・儀礼では
ないと思います。
心底満足した<勝利者のポーズ>として、悲劇・苦難に心痛める<共感者のポーズ>として、
美しく感動的です。
彼らの【礼拝:★讃美★祈り★感謝】の実践とは、迫害・弾圧の2000年前から延々と
続けられた殉教の上に維持継続された事実の<生き証人>なので常に活き活きとしていて、
素晴らしく美しく感動があるのだと私は思います。
●ひとを信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいという願望と気分とを
起こさせるものは、その経験をした人たちの証言である(ヒルティ)
●父(神)を世に示さん為には隠るるなかれ。
自己を世に示さざらん為に隠れよ(内村鑑三)
●神の力強い活動によって働く力が、私たち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、
あなた方が知るに至るようにと、祈っている(エペソ書1-19)
日本社会では、正真正銘の「クリスチャン」でも、人前やTV番組を通して、十字を切ったり、
神に祈る姿を目にするのは珍しく、身内の葬式や教会内だけのように感じます。
恐らく日本のクリスチャンは社会全体が巨大な【神の教会】のようには感じていないからだと
思います。だからといってクリスチャンや教会の無力を批判したり嘆くことも、社会のことを
軽蔑することも無用です!
私たちの日本社会は、<戒律:武士道>こそを尊重する、いまだに<旧約の時代>だから、
当たり前とも言えるでしょう。
<旧約の時代>は【戒律遵守】なので世間体・憲法(法律)・道徳・倫理など自己の外に戒律が
ある<他人本位>社会と思います。
【戒律・基準・掟】が【キリスト精神】を受け入れる<自己本位>へと生まれ変わない限りは、
【神の愛=主イエス】に従うことは、日本では<掟破り・アウトロー・異端>といえます。
●先ず人間を改造せよ、そうすれば人間の環境はおのずから変化する(ヒルティ)
●誰でも新しく生まれ変わらなければ、神の国を見ることはできない(ヨハネ伝3‐3)
●独立を説くなかれ、キリストを説くべし(内村鑑三)
世界の歴史を観れば、ギリシャやローマなど、どんなに強大な帝国でも、言語も無いような
未開の民族でも最後には【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】を受入れて掟だらけの
≪旧約の時代≫を卒業しました。
まして素晴らしい歴史と伝統を持つ日本ならばこそ、【神の愛=主イエス】を受入れることは
時間の問題です。
そして、大切な武士道も道徳・倫理も様々な組織の掟など【戒律】が守られずに乱れている、
現代日本社会は、いよいよ<旧約の時代>が終焉を迎えている兆候だと楽しみにしています!
夜明けほど闇深くて冷え込むみます。また【光】が真昼の太陽ように近づけば、隠されていた
<陰(闇)>もくっきりと明らかにされます。今こそ<新約の時代>到来に準備する時ですね。
●正しい者の道は夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる(箴言4‐18)
●起きよ、光を放てよ、汝の光来たり、エホバの栄光汝の上に照出たり。
視よ暗きは全地をおおい、闇は諸々の民をおおわん。されど汝の上にはエホバ照出たまいて、
その栄光汝の上に顕わるべし(イザヤ書60-1~2)
●主をおのれの喜びとせよ。主に自らをゆだねよ、
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、
主は計らい、主が成し遂げてくださる。
あなたの義を光のように、
あなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる。
主の前に静まり沈黙して主に向かい耐え忍びて主を待ち望め。
おのれの繁栄の道を行く者や悪だくみをする者のことで心を悩まし、いら立つな
(詩篇37-4~7)
日本の現状の腐敗やキリスト教会組織の無力を、批判する事も、憤る事も、悲しみ嘆く事も
簡単です。しかし私たちは一歩前進して積極的・創造的・肯定的な【神の愛=主イエス】に
信愛して必ず実現すると確信して前もって<歓喜!感動!感謝!>しようではありませんか!
●光明的面に着眼する者、これ信者なり。
暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり(内村鑑三)
●絶えず偉大な思想に生き、ささいなことを顧みないように努めなさい(ヒルティ)
●God is marching on.(神は常に前へ前へと進み給いつつあり)
●人は止まらんとし、神は動かんとし給う
人は固執せんとし、神は溶解せんとし給う
人は制定せんとし、神は産出せんとし給う(内村鑑三)
●キリスト教の神は是(しかり)<yea/yes>である、
否(いな)<nay/no>ではない (コリント後書1‐19)
神は建つる者であって、壊す者ではない、奨励する者であって、批難するものではない
(内村鑑三)
●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり
(内村鑑三)
私のような最悪の忘恩・背信・極悪非道の放蕩息子であっても、【神の愛=主イエス】は
決して見捨てる事なく愛されている<恩恵>が日本の<明るい未来>を証明しています!
●女がその乳飲み子を忘れて、
その腹の子を憐れまないようなことがあろうか。
たとい彼らが忘れるようなことがあっても、
私(主)はあなたを忘れることはない(イザヤ書49‐15)
●主よ、あなたが彼らをお守りになります
あなたはこの時代からとこしえまでも
彼らを保たれます(詩篇12‐7)
●彼が神への信頼を失わずに、その試練をきり抜けるならば、他のいかなる
道でも達せられないほど、神に近づくことができる(ヒルティ)
●希望は失望に終わることはない。何故なら私たちに賜っている聖霊によって
神の愛が私たちの心に注がれているからである(ロマ書5‐5)
<超歓喜!超感動!超感謝!の大讃美!大絶賛!大称賛!>の≪ファンファーレ!≫として
【神の愛=主イエス】への【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を明るく元気に捧げましょう!
●わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる(詩篇103-2~5)
皆さんが得意分野で【ビジョン:理想・夢・志】を高く掲げて、来るべき<新約の時代>を
早く実現させるために<歓喜!感動!感謝!>の【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を実践して
【福音の勢力】【愛と自由の戦士・神の僕】【世の光・地の塩】となって活躍されることを
心より応援しています!
●偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語れ(エペソ書4-25)
●聞く人に恵みが与えられ徳を高めるように、その人を造り上げるのに役立ち益になる言葉を
必要に応じて語りなさい(エペソ書4-29)
●恐れるな、語りつづけよ、黙っているな。
あなたには私が共にいるからだ。
誰もあなたを襲って危害を加えるようなことはない。
この町には私の民が大勢いるからだ(使徒行伝18-9~10)
●我はただ語る。人が聴いても語る。聴かないでも語る。
我は我が歓喜を語らずにはいられない。我はヒバリがさえずるごとく
人が聴く聴かざるに関せず語る。我は黙するにはあまりに嬉しくある。
それであるから語るのである(内村鑑三)
●ただ自ら慎み注意して、あなたの魂をよく守りなさい。あなたが目で見たことを忘れず、
生涯心から離すことのないようにしなさい。
あなたはそれらを子や孫たちにも語り伝えなさい(申命記4-9)
●まことに、御言葉は、あなたのごく身近くにあり、あなたの口にあり、
あなたの心にあって、あなたはこれを行なう事ができる(申命記30‐14)
●善き音信(オトズレ)をシオンに伝える者よ、高い山にのぼれ。
善き音信をエルサレムに伝える者よ、力の限り強く声をあげよ、声をあげて恐れるな。
ユダのもろもろの町に言え、「あなた方の神を見よ」と。
見よ、主なる神は大能をもって来られ、その御腕は世を統治される。
見よ、主の勝ち取られたものは主と共にあり、そのはたらきの実りは、主の御前にある。
主は牧者(羊飼い)のように、その群れを養い、御腕でもって小羊を集め引き寄せ、
ふところに抱き入れて携えゆき、
乳を飲ませている母をやさしく導かれる(イザヤ書40-9~11)
●兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。
これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、
あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
どんな言葉で私が福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、
あなた方はこの福音によって救われます。
さもないと、あなた方が信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう
(コリント後書15-1~2)
●I for Christ;
Japan for the World;
the World for Christ;
And All for God.(内村鑑三)
ハレルヤ!主の恵みに感謝します!
栄光を主に帰します!アーメン!
今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい!
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)