■<一日一生:9月5日>(内村鑑三)
●正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、彼らをそのすべての悩みから助け出される。
主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。
正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。
主は彼の骨をことごとく守られる。その一つだに折られることはない(詩篇34-17~20)
恩恵はただちに来るものではない、
困難をとおして来るものである。
困難は恩恵(めぐみ)を身に呼ぶための中間物である。
燃料なくしては火がないように、
困難がなくして信仰も歓喜(よろこび)もない。
火に先き立つものは煙である。
信仰に先き立つものは疑懼(おそれ)である。煩悶である。
これありて、これに天よりの火がうつりて、
はじめて天よりの平安(やすき)と喜楽とがわれらの心にきたるのである。
困難を経ずして深き信仰をえんとするは、
まず煙を見ずして火と暖とをえんとするがごとくである。
★★★
●【恩恵としての患難】(内村鑑三)
神は無益に患難を下し給わず、これを自己かまたは他人を救うために下し給う。
患難はたしかに神の恩恵なり、これなくしてわれも人も罪悪を去りて正義の神に帰るあたわず。
●試練と祝福は密接に関連している(ヒルティ)
●患難のための恩恵にあらず、恩恵のための患難なり
患難は手段にして恩恵は目的なり(内村鑑三)
●【患難の解釈】(内村鑑三)
患難はこれを消極的に解すべからず、積極的に解すべし。
これを神の刑罰として解すべからず、神の恩恵として解すべし。
神の憤怒の表彰として解すべからず、その自愛の示顕として解すべし。
恩恵はすべて身の患難にして、麗の幸福なり。
麗の幸福と解してすべての患難は患難たらざるにいたる。
●【困難の歓迎】(内村鑑三)
困難は我をして神に接近せしめまた人に鍛接せしむ
困難は我の単独を破り、我をして人類の一員たらしむる。
尊むべきかな困難!
私たちが心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】を目指す時にも、まず世間だけでなく、親密な家族や身内からも反対され孤立無援の<患難辛苦>がやって来るでしょう。
そして、この最悪な<患難辛苦>のおかげで、私たちを<最高!最善!最美!>に導いてくれる【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】な【神の愛=主イエス】との<出遭い>があることは<歓喜!感動!感謝!>です!ハレルヤ!
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、これに対抗することはできるであろう。
私は神のおかげで困難になれてきた。神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムエル)
●患難を避けんとするなかれ、これに勝たんとせよ。
独り自らこれに勝たんとするなかれ。神により勝たんとせよ(内村鑑三)
●嘆くのはやめて旅をし続けるがよい。すでに与えられたものをしっかり守れ。
この午後をなお歩み続けるならば、夕べには平和がさし招くであろう(ヒルティ)
皆さんが【神の愛=主イエス】に信愛することで、日々直面する逆境や逆風に立ち向かい、<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で【ビジョン:理想・夢・志】【ミッション:使命・天職】に前進し続けることを心より応援しています!
●鳥が大気の抵抗に逆らって飛び立つように、逆境に挑む力こそが人間を飛翔させるのだ
(ロア・バストス)
●人間はすべて夢想家だ。
春の日の柔らかな霞、長い冬の晩の赤い炎を見ながら夢想する。
このとき偉大な夢を忘れてしまう者もいるが、
太陽の光のもとにでる日を待ち望み、
逆境にあっても、
夢を大事に育み大きくする者もいる。
夢は必ず叶うと心から信じていれば、その日は必ず来る(ウィルソン)
●束縛があるからこそ
私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ
高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ
私は走れるのだ
涙があるからこそ
私は前に進めるのだ(マハトマ・ガンジーの遺言となった詩)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!