【2008年6月29日に作成した<第463回>に加筆】
◇◇【神の愛=主イエス】は<最高!最善!最美!>の<熱血コーチ>!(その1)◇◇
●凡庸な教師は、ただしゃべる
良い教師は、説明する
優れた教師は、自らやってみせる
偉大な教師は、心に火をつける(ウィリアム・アーサー・ワード)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
皆さんもご存知だと思いますが、最近のTVドラマでは、<熱血教師>ものが人気です。
私は「ルーキーズ」が大好きです。主人公に【神の愛=主イエス】を感じるからです。
【ビジョン:理想・夢・志】を見失ってしまった時に、自分だけでは再起・再出発できず、
世間や家族からも見捨てられて、孤立無援の人生最悪な<どん底>に落ち込んでしまって、
もはや万策尽きて、途方に暮れてしまっても、一切の心配ご無用です!
私たちには、ドラマの<熱血教師>以上の、<最高!最善!最美!>の<熱血コーチ>が
いつでも、どこでも、何度でも、必ず助けに来てくれるからです!ハレルヤ!
世間的常識では、どんなに孤立無援で、<無一物>の悲惨な境遇に追い込まれたとしても、
私たちが【ビジョン:理想・夢・志】を望む<熱き思い燃える心>が少しでもあるならば、
【神の愛=主イエス】は、最後の最後まで、<いつも一緒!>にいて応援してくれるので
いつでも恐れず安心して【ビジョン:理想・夢・志】を最優先して前進し続けましょう!
●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
途方にくれても、行き詰まらない
迫害にあっても、見捨てられない
倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)
●人に知られていないようで、認められ
死にかかっているようで、生きており
こらしめられているようで、殺されず
悲しんでいるようで、常に喜んでおり
貧しいようであるが、多くの人を富ませ
何も持たざるようで、全てのものを持っている(コリント後書6‐9~10)
●生活は必ず不断の進歩であって、その日その日が一つの創造であるべきである
(ヒルティ)
●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり
(内村鑑三)
●The best is yet to come!<最善の時はこれからだ!>(ブラウニング)
<最高!最善!最美!>で<熱血コーチ>の【神の愛=主イエス】に応援協力してもらうには、
【聖書】を完全読破することも、キリスト教会信者になることも、絶対条件だとは思いません。
ご存知のように【聖書】には有名な「ぶどう園の労働者(マタイ伝20-1~16)」という
【主イエス】が教え示された興味深い<たとえ話>があります。
【神の愛=主イエス】は【ぶどう園=天国】に帰るように夜明けから、私たちを招き続けます。
朝一番に労働者となった人々は、世間も認める立派な<キリスト教会信者>といえるでしょう。
一方で、夕方になっても、【ぶどう園】に近づかなかった人々がいます。私もその一人です。
私は【神の愛=主イエス】に反して、平気で自分勝手に享楽的な人生を過ごし続けてきました。
そんな教会や【聖書】に無縁な私でも、【神の愛=主イエス】は喜んで招いてくれるのです!
さらに、驚くべきは、代々の敬虔なクリスチャンでなくても、世間的に<無一物>であっても
歴史上の立派な【聖者】と同格の<特権・恵み>に優先的に預かれるのです!ハレルヤ!
◆「ぶどう園の労働者」のたとえ(マタイ伝20-1~16)
「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、
夜明けに出かけて行った。
主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、
『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、
同じようにした。
夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、
最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。
最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。
しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
それで、受け取ると、主人に不平を言った。
『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して
働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』
主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。
あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように
支払ってやりたいのだ。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさを
ねたむのか。』
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
【神の愛=主イエス】は世間的にもキリスト教会からも<落ちこぼれ・アウトサイダー>こそ
そして、自分でさえ【ビジョン:理想・夢・志】を見失いかけている<罪人>を、最優先して
【神の愛=御霊】が私たちの<心>に直接に訪問して助けに来てくれるのです!感謝!
●『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、
行って学びなさい。私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。
(マタイ伝9-13)
●イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である。
私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコ伝2-17、ルカ伝5-32)
●言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない
九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(ルカ伝15-7)
●言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。
(ルカ伝15-10)
●「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、
そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で罪人の頭(カシラ)の最たる者です
(テモテ前書1-15)
●風[聖霊]は思いのままに好むところに吹く(ヨハネ伝3‐8)
●罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、
多くの罪を覆うことになると、知るべきです(ヤコブ書5-20)
ドラマ「ルーキーズ」の熱血教師のように私たちが心に抱く<最愛の我が子・我が分身>の
【ビジョン:理想・夢・志】に【神の愛=隣人愛】の【ミッション:使命・天職】を自覚し、
<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で挑戦する迄
忍耐強く、私たちを、内から外から励まし慰め勇気づけ希望を確信へと導いてくれます!
●子たちよ、御子キリストの内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、
確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません
(ヨハネ第1書2-28)
●私は初めから、以上のことを確信し、思い巡らした後、こう書き残した。
「主の御業はすべて良く、時が来れば、主は必要なことをすべて満たされる。」
「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。どんなものも時が来ればその良さが
証明される。さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。主の御名をほめたたえよ
(シラ書〔集会の書〕39-32~35)
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、神は聞き入れてくださる。
これが神に対する私たちの確信である(ヨハネ第1書5-14)
★★【その2】につづく★★