■<一日一生:2月2日>(内村鑑三)
●わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、
わたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝している。
これは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、
すべての聖徒に対していだいているあなたがたの愛とを、耳にしたからである
(コロサイ書1-3~4)
信、望、愛とは三つであって、じつは一つである。
信なくして望は起らないが、
しかし望なくして信を維持することはできない。
愛はまた望よりその活動の動機をあおぐものであるが、
望たえし後の愛は、油のたえし燈火のごとくに、熱と光とをうしなって、
ついにまたもとの暗黒にかえるものである。
望を供せずして愛を強(し)うるは無慈悲である。
望のたらざる信は頑固であって冷酷である。
望は三人の姉妹の仲でもっとも女らしい者である。
彼女の側にはべるがゆえに、愛は義務の羈絆(きはん)を脱して自由なるものとなる。
彼女のやさしき感化をうけて、信は頑強たるをやめて温雅なるものとなる。
望は天の和気をよんで地の渋苦を融(と)く。
望に温(あたた)かき涙がある。
彼女は天の扉を開いてその中におるわれらのしたう聖き姿をあらわすものである。
★★★
●ほむべきかな、私たちの主イエス・キリストの父なる神。
神はその豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、
それにより、私たちを新たに生まれさせて、生き生きとした希望を抱かせる(ペテロ第1書1‐3)
【神の愛=主イエス】に信愛して、【神の愛=主イエス】への【礼拝:★讃美★祈り★感謝】によって、与えられる無限の【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】と日々新たな【バイタリティ:生活力=生命力+活力】のおかげで、現実的不可能で世間的非常識と思われるような、どんなに<望み得ない望み>でも、心に抱くことができて、日々多くの【神の愛の奇蹟】を体感できます!ハレルヤ!主の恵みに感謝します!栄光を主に帰します!アーメン!
●望み得ないことを、なおも望み信じ続ける!(ロマ書4‐16~18)
●希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、
聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように(ロマ書15-13)
●キリスト教は理想ではない、事実である。理想が事実となって顕れたるものである。
すなわち真個の理想である。「なすべき」はキリスト教ではない、「なしうる」がキリスト教である (内村鑑三)
●失望は不信なり、信仰は無限の希望を意味す(内村鑑三)
●信仰と希望(内村鑑三:ヘブル書11-1)
既に見るところのものは、これを望むの要なし
解し得ることを信ずるは知識にして信仰にあらず
信仰の貴きは解し得ざることを信じ、
理由なくしてでなく愛のゆえに信ずること
愛の示すところの事を解し得ざる事にこれを信ずる
有限の我等が無限の神に対して幼心を抱くにいたって救われる
すなわち、幼子となりて救われる
皆さんが【神の愛=主イエス】と<相思相愛の関係>で結ばれて、心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】の実現を<希望>から<確信>に至らせる<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で前進し続けて活躍されることを心より応援しています!
●望まなければ(希望がなければ)何事も成就しません。希望[楽天]は人を成功に導く信仰です
(ヘレン・ケラー)
●楽天主義者は、信じ、試み、そして目標を成し遂げる(ヘレン・ケラー)
●希望は思想なり(シェークスピア)
●この世を動かす力は希望である。やがて成長して果実が得られるという希望がなければ、
農夫は畑に種をまかない(ルター)
●全てのことは願うことから始まる(ルター)
●我らは希望の中に救われたり(内村鑑三)
●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり(内村鑑三)
●なおも神の御手に御心に逆らわず、勇気と希望をすこしも捨てぬ。
私は静かに耐えまっすぐに前進する(ミルトン)
●希望(ヒルティ)
十字架は重いが、ふしぎなことに
おまえがそれを担うやいなや。それがおまえを担ってくれる
初めは闇夜だが、行く手は真昼の明るさ
その道を進む者は「勇者」と呼ばれる
おまえの力は小さくとも
おまえが帰依した主の力は偉大だ
おまえの星は暗い夜空に輝きわたり
今日は死に、明日はいのちによみがえる
●神は聖徒たちに、異邦人の受くべきこの奥義(秘められた計画)が、
いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。
その奥義の計画とは、あなた方の内におられるキリスト、栄光の希望です((コロサイ書1-27)
●希望はわたしたちを欺くことがなく失望に終わらせない。わたしたちに与えられた聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからである(ロマ書5-5)
●【人は希望的動物】(内村鑑三)
前進を望むは自然にして後ろを顧みるは不自然なり
後ろにあるものを忘れ、前にあるものを望む
希望は健全にして、回顧は不健全なり
●「後にあるものを忘れ、前にあるものを望む(ピリピ書3-13)」と、
罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と生命と成功と愛とに向かって進まんのみ
(内村鑑三)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!