【2008年7月12日に作成した<第465回>に加筆】
◇◇<不自由>を突き抜けて【自由】に導く【神の愛=主イエス】!(その1)◇◇
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
●私たちは踏みなれた生活の軌道から放り出されると、もうだめだと思います。
が、実はそこに、ようやく新しいよいものが始まるのです(トルストイ)
皆さんも【御言葉】でご存知のように【神の愛=主イエス】は【自由】を与えてくれます。
●自由を得させるためにキリストは私たちを解放して下さったのである(ガラテヤ書5-1)
●真理(主イエス)はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●神(愛)に仕えることを自由という(ヒルティ)
●絶対の自由は、ただ神にのみ仕えて他の一切のものには仕えないことである(ヒルティ)
●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
●兄弟たち、あなた方は、自由を得るために召し出されたのです。
ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい
(ガラテヤ書5-13)
しかし、直接与えてくれるというよりも、【試練】を通じて<不自由>を体験させられて
【神の愛=主イエス】に信愛して<不自由>を突き抜けて得られるのではないでしょうか。
先日紹介したように、私の愛用していたパソコンがある朝、突然に動かなくなりました。
これまでも、2回パソコンのハード・ディスクがクラッシュしてしまい、全てのデータを
損失してしまいましたが、この<不自由>な【試練】おかげで、パソコンの性能は向上し、
<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】は燃え盛り
皆さんに【福音伝道】するための【自由】が<パーワー・アップ>できたのです!
●【真の自由】(内村鑑三)
◆真の自由は発意である ⇔ Unconditional(無境遇)
◆真の自由は正しき選択である ⇔ 霊性本来の標準に従う~霊的生命達成の道
◆真の自由は善き意志を行う能力である
●真の自由は消極的状態でなく積極的状態である
何事をも為しうる状態又能力でなく,ある事を為さずしてある他のことを為す能力
⇔善悪を判別して悪を避けて善を行う能力
●自由とは理想にあらず、境遇にあらず、能力である
●Ican do that which is right.(我は正しき事を為し能う)
●本当の自由な心とは「認める」と言う事である(ゲーテ)
●自由人にふさわしく行動しなさい。
ただし、自由をば悪を行う口実として用いず神の僕にふさわしく行動しなさい
(ペテロ第1書2‐16)
●自由は己を治むるの意なり。自由は己を神に委ね、
しかれども強いられて委ねるにあらず、自ら求めて委ねるなり(内村鑑三)
●人はただ信仰によってのみ自由とされるのであって、いかなる意味においても
行為の正しさによって自由をえるのではない(ルター)
●自由とは、あらゆる特権を有効に発揮させる特権である(カント)
●あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた
運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である(フランクル)
●真の自由とは、すべてのことを己の基準でなしうることである(モンテー二ュ)
●人間に残された最後の自由は、どんな状況にあっても、その中で自分の態度を
決めることだ(フランクル)
●私は人格をすべて表現するために自由を望む(ガンジー)
とはいっても、予想外で突然に訪れる【試練】による<不自由>は大変なショックです。
もともと弱虫で根性もなくケチでお調子者で、無知・無能・無責任で、怠け者な私には
【試練】で<不自由>な状況に追い込まれるたびに<悪魔の声>が聞こえてくるのです。
「もうおしまいにしたら?お前の伝道なんか自己満足で誰も必要としていないのだから」
「あきらめた方がいいよ、これ以上やっても無駄だし、時間と金がもったいないよ」
「神様が、お前に『止めなさい!』と命じている証拠だよ。これからは真面目に働け!」
どれもこれも痛切で、私のヤル気を失わせ、無気力に追い込む<名文句>ばかりです。
そんな時には、私の大好きな映画『エクソシスト』の主人公の【試練】を思い出します。
【神の愛=主イエス】に従って献身しようとする【愛と自由の戦士・神の僕】にとって
<最大最強の宿敵>は自分自身に存在する【闇:不完全・弱さ・悪徳・不義】であって、
<悪魔の声>は【心の闇】を鋭く厳しく正確無比に時に応じて奇襲攻撃してくるのです。
そうです!私たちが【ビジョン:理想・夢・志】を目指す時には、【試練】が与えられ
前に進むには<不自由>で、退却するには<容易>な<狭き門>の前に立たされます。
【自己否定:自己嫌悪・自己不信】に導く厳しく正確な批判勢力である<悪魔の声>は
実は<狭き門>に導いていてくれる素晴らしい招待状です!批判勢力に感謝します!
●狭き門より入れ!滅びに至る門は大きく、その道は広い。
そして、そこから入って行く者は多い。命に至る門は狭く、その道は狭い。
そして、それを見出す者は少ない(マタイ伝7-13~14、ルカ伝13-24)
●私はキリストのためならば、弱さと侮辱と危機と迫害と行き詰まりとに甘んじよう。
何故なら、私が弱い時にこそ、私は強いからである(コリント後書12-10)
●批評せらるる者となれよ、批評する者となるなかれ(内村鑑三)
●我々は敵の鋭い監視の下に生活するときにのみ、克己、厳しい正義愛、
自分自身に対する不断の注意といった大切な諸徳を知り、かつ行う事を学ぶのである
(ヒルティ)
突然のパソコンの故障で、私の【福音伝道】を前に進むに<不自由>にさせらたのには
時に応じた重大な【御心:聖意・聖旨】が示されていると私は確信しています。
従来から述べてきたことですが、【聖書】の最重要な【預言】であり【御言葉】として
太古の植物を再生・復活させる事で<エデンの園の復活;肉食文明の完全根絶>させて
<武力解放・恒久平和>が実現するということを私は確信しています。
●神は仰せられた「見よ、私は全地の上にあって、種を持つ全ての草と、
種を持って実を結ぶ全ての木をあなた方に与えた。
それがあなた方の食物である。また、地の全ての獣、空の全ての鳥、
地をはう全てのもので命の息のあるもののために、食物として全ての緑の草を与える」
すると、そのようになった(創世記1-29~30)
●神である主は、東の方エデンの園を設け、そこに主の形造った人を造られた。
神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良い全ての木を
生えさせた。園の中央に命の木と、それから善悪の知識の木とを生えさせた
(創世記2-8~9)
●私(主)は全地のおもてにある種をもつ全ての草と種のある実を結ぶ全ての木とを
あなた方に与える。これはあなた方の食物となるであろう(創世記1‐39)
●命ある者には、食物として全ての青草を与える(創世記1‐30)
●川のほとり、その両岸にはあらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、
実も絶えることもなく、毎月、新しい実をつける。
その水が聖所から流れ出ているからである。その実は植物となり、その葉は薬となる
(エゼキエル書47‐12)
●野菜を食べて互いに愛するのは、超えた牛を食べて互いに憎むのにまさる
(箴言15‐17)
●狼と子羊は共に草をはみ
獅子は牛のように、わらを食べ、
ヘビは塵をその食べ物とし、
私の聖なる山のどこをおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。
と主は仰せられる(イザヤ書65-25)
●狼は子羊と共に宿り、ヒョウは子山羊と共に臥し、子牛、若獅子
肥えたる家畜共にありて小さき童子(ワラベ)に導かれん。
雌牛と熊とが共に草を食べ、その子らが共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。
乳飲み子はコブラの穴の上で戯(タワム)れ、
乳離れした子はマムシの子に手を伸べる。
私の聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。
主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである(イザヤ書11-6)
●主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼等は剣をうち変えて鋤となし、
その槍をうち変えて鎌となし、国は国に向かいて剣をあげず、
戦闘のことを再び学ばない(イザヤ書2‐4)
●主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない(ミカ書4-3)
●その日には、私は彼らのために、野の獣、空の鳥、土を這うものと契約を結ぶ。
弓も剣も戦いもこの地から絶ち、彼らを安らかに憩わせる。(ホセア書2-20)
●私はエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、
諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。
(セカリヤ書9-10)
●あなたの地は再び不法を耳にすることなく、暴虐と破壊と崩壊は領土のうちから絶える。
あなたの城壁は「救い」と城門は「栄誉」と呼ばれる(イザヤ書60-18)
現在の<キリスト教>は【十字架】と<12月25日:クリスマス>を<旗印>にすることで
欧米民族の<太陽神>に接木された【神の愛=主イエス】であり未完成であると思います。
主流派の<キリスト教権威>に反論する<批判勢力>は【十字架】やクリスマスの月日を
間違いであると攻撃しており、ご存知のように【主イエス】の生涯も否定し続けています。
私は、現代まで人類を導いて来てくれた<キリスト教会権威・組織>に心より感謝します。
しかし<既成キリスト教権威>の主張する神学や【聖書】解釈が完全だとは思いません。
【神の愛=主イエス】は異教徒である私たちに【聖書】について<新しい道:新思想>を
切り拓くことを望まれていると実感するからです!ハレルヤ!
●真理は教会より大なり!(内村鑑三)
●【聖書と活けるキリスト】(内村鑑三)
聖書は大なり、しかれども活けるキリストは聖書よりも大なり。
われらもし聖書を学んでかれに接せざれば、われらの目的を達せりと言うあたわず。
聖書は過去における活けるキリストの行動の記録なり。
しかしてわれらは今日かれの霊をうけて、新たな聖書を作らざるべからず。
古き聖書を読んで新しき聖書を作らざる者は聖書を正当に解釈せし者にあらず、
聖書はなお未完の書なり、しかしてわれらはこれにその末章の材料を供せざるべからず。
●新思想とは;
★新鮮なる思想
★人に新希望を供する思想
★人に新生命を供する思想
★人に新計画を供する思想
★羽翼を張りて中天に翔(アガ}らんとする意欲を興す思想(内村鑑三)
★★【その2】につづく★★