【2008年3月14日に作成した<第453回>に加筆】
◇◇【祈祷の勢力】となって世界の自由独立に<献身>しよう!◇◇
●【祈祷の勢力】(内村鑑三)
世の大事業と称えらるるものは皆祈祷の力によりて成りしものなり。
祈祷の力によらずして建てられし国家は虚偽の国家にして
永久不変の基礎の上に据えられしものに非ず、
祈祷の力によらずして成りし美術に天の理想を伝うるものあるなし、
祈祷は精神的生命を得る唯一の秘訣なり
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
【神の愛=主イエス】が<この世>に存在することを実感して認めることは困難ですが、
もし理性的に考えるとしたら、
「【神の愛=主イエス】が存在するならば、何もしなくても<万全>にしてくれるから
我々が余計なことをしない方が善い!」という発想が成り立つかもしれません。
だから責任感や正義感が強い人ほど万全な<神の存在>を認めることはできないのかも
しれません。
何故なら、どうせ完全無欠の神が、最後には我々を助けてくれて最善にしてくれるなら、
不完全の人間として何もせずに、頼りきって無責任になる自分が許せないからです。
そこで【神の愛=主イエス】は世間的に有名・有能であろうと正義感・責任感があろうと、
世間的に無力・無能で不義不忠の無責任な私のような立場であろうと、老若男女の誰でも
実践できる素晴らしい<解決策>を提供してくれたことを感謝しています!
それは【神の愛=主イエス】に対する【礼拝:★讃美★祈り★感謝】<祈祷の勢力>です!
●祈りは信仰を生み、信仰は愛を生み、愛は貧しい人々のためへの奉仕を生みます。
(マザー・テレサ)
●神様は天高く遠くにおられるが、祈るなら神様がこの地に降りてこられ、
さらに神様の能力と私たちの努力を結び付ける。(ガースパリン:仏作家)
●朝の祈りは神様の慈悲と祝福の倉庫を開く鍵であり、
夕方の祈りは神様の守りの御翼の影に隠していただく入り口である
(ヘンリー・ビーチャー)
●私たちの生きた祈りと賛美が少しでもあるなら、
神様は千里の道をかけてでも私たちに会いに来てくださるだろう(アーロンド)
例えば、地球環境が今日現在まで破滅しないで存在できているのは何故なのでしょうか?
人間の叡智と努力と天然の自助努力と幸運で存続できたとみなす人が大半かもしれません。
しかし、生命に不可欠である大気にしても、純粋な水分にしても、わずかの分量しかなく、
そのバランスがほんの少しでも変化するだけで<致命的>状況となり絶滅に至るそうです。
原子の世界でも、プラスとマイナスの陽子が衝突するだけで、瞬時にして<物質世界>は
無になると想定されているそうですが、何故衝突せず存在しているかは未解明なままだと
聞きます。
私の内臓にしても、全てが私の思い通りに動いているわけではなく、いつ停止するかは
解りません。
つまり、自分の身体にしても、この世全体を形成する原子世界にしても、地球環境でも、
宇宙の天体移動にしても、全て日々新たに働き続けているのは、単なる偶然でしょうか?
私は【聖書】と<実体験>を通じて【神の愛=主イエス】のおかげだと確信できました!
【神の愛=主イエス】が私たちの【礼拝:★讃美★祈り★感謝】<祈祷の勢力>に応えて
【神の愛=主イエス】と人間の【チーム・ワーク&チーム・スピリット】で実現されると
体感します!
●我らのなお滅びざるは主の慈悲・仁愛(いつくしみ)による。
その憐憫(あわれみ)の尽きざるによる。
これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大いなるかな(エレミヤ哀歌3-22~23)
●我が父の愛は無限なり、彼は我の滅びることを欲(ねが)い給わず、
彼は我につきて永久に絶望し給わず、
ゆえに我もまた自己につきて絶望することなく、
彼の無限の愛を信じてはばからずして今日起ちて彼に往かん
(内村鑑三:ルカ伝15‐18・放蕩息子の帰郷)
●これらの小さい者の一人が滅びることは、天に在ますあなた方の父の御心ではない
(マタイ伝18‐14)
【主イエス】は率先して【礼拝:★讃美★祈り★感謝】をいつもどこでも実践されました。
そして【聖書】【キリスト精神】の<根本精神>には<祈祷の勢力>が根ざしています。
●求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門をたたけ、さらば開かれん
(マタイ伝7-7、ルカ伝11-9)
●誰でも求める者は得て、捜す者は見出し、門をたたく者には開かれる
(マタイ伝7-8、ルカ伝11-10)
●【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】(テサロニケ前書5‐16~18)
いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
●望みて喜び、患難に耐え、常に祈れ(ロマ書12-12)
●祈りの時、信じて求めるものは、みな与えられるであろう(マタイ伝21‐22)
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録(賀川豊彦)
●わが祈祷が聴かれないと言う時に、祈祷以上が聴かるるのである。
祈祷が聴かれないのではない。我等が祈求むるところ、
思惟うところよりもいたく過(マサ)りて聴かるるのである(内村鑑三)
私たちが【礼拝:★讃美★祈り★感謝】<祈祷の勢力>に参加しないと<この世>は
どうなるでしょうか?
自分の精神的・肉体的・経済的・社会的な【自主独立:自由・独立】の<安全保障>を
<お任せ>している事になると思います。まさに<運命>を他人にまかせているような
ものでしょう。
●運命はこころざし有るものを導き、こころざし無きものをひきずってゆく(セネカ)
●キリストを神として拝するも我等の良心は少しも品性の堕落を感じません。
のみならず、帝王を崇拝して自由を失い、富豪を崇拝して威権を隕(オト)せし国民も
イエスを神として崇め奉りて、その失いし自由と独立を回復した例は人類の歴史に
幾度もあります(内村鑑三)
【神の愛=主イエス】と【礼拝:★讃美★祈り★感謝】<祈祷の勢力>でつながる事で、、
【神の愛=主イエス】は無限の【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】と
日々新たな【バイタリティ:生活力=生命力+活力】で<パワー・アップ>してくれます!
●わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹<心の奥底>から生ける水が
川となって流れ出るであろう(ヨハネ伝7-38)
●私は、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に豊かに流れをそそぎ、
わが霊をあなたの末にそそぎ、わが恵みと祝福をあなたの子孫に与える(イザヤ書44-3)
【礼拝:★讃美★祈り★感謝】<祈祷の勢力>にある者は【ビジョン:理想・夢・志】を
常に目指して、老いても益々若々しくて<青春まっしぐら>です!
●あなたは知らないのか、聞いていないのか、主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その叡智ははかり知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は、新しく力を得て、ワシのごとく、翼を張りてのぼり
走れども疲れず、歩めども倦まざる者となる(イザヤ書40‐28~31)
●神は我をして我以上の思想を語らしめ、我以上の事をなさしめ給う。
神に頼る我は小なりといえどもはなはだ大なる者なり(内村鑑三)
●イエスと共にある者は;
◆青春の詩的理想を持続することができる
◆単純にして一貫せる生涯を完全に遂行できる
★平民の友★自由の主張者★理想の追求者
にしてその
★実行者★大革命家★大詩人★大預言者
●青年、壮者とは;
常に不可能を計画する人
常に大改革を望む人
常に詩人的にして夢想する人
常に利害にうとき人
常に危険を感ぜざる人 (内村鑑三)
●キリスト信者たる栄誉の一つは、よわき取るに足らざるこの身をもって、
なおも大望を抱いて、その一部分を遂行しうるにあり(内村鑑三)
日本に現存するキリスト教会の大半は、新しい教会信者が増えず、高齢化が進み、
固定的な信者は平均してわずか2~30名であると聞きました。
牧師の数も不足していて教会の存続すら困難であるとも言われています。
しかし、教会信者は減少傾向でも、【キリスト教】に関心ある人は増加しているそうです。
【神の愛=主イエス】への【礼拝:★讃美★祈り★感謝】<祈祷の勢力>が不足するならば、
今こそ<教会の外>にいる私たち【キリスト熱愛者】が<祈祷の勢力>で活躍しましょう!
●真理は教会よりも大なり(内村鑑三)
●神は何らかの教会制度や、さらにある一定の学問の中に限られてはいない。
そのようなものがなくとも、神は自らを知らしめ給う(ヒルティ)
●教理を知らないでもクリスチャンである者が少なくない。キリスト教は証明せらるべき
教義ではなくて、生活さるべき一つの生命である(ヘンリー・ドラモンド)
●キリスト教は解するに最も難き宗教なり、
余はこの世においていまだかつて真正のキリスト信者を見たることなし。
しかれども解するの難きはその誤びゅうなるの証拠にあらず、
一人のキリスト信者なきは余が信者たりえざるの理由となすに足らず。
余は全世界に一人の信者なきもひとり確実なるキリスト教の信仰に達せんと欲す
(キルケゴール)
【神の愛=主イエス】は<我が心>を【教会:神の宮・神殿】とする事を最も喜ばれます!
そして、<我が心>は【神の愛=主イエス】への<歓喜!感動!感謝!>の<心意気>で
【神の愛=主イエス】に【礼拝:★讃美★祈り★感謝】<祈祷の勢力>に満ち溢れさせて、
【神の愛=御霊】と共に【神の愛=隣人愛】を育て、世に種をまく<愛の畑>にしましょう!
●私たちは神の同労者である。あなた方は神の畑であり、神の建物である(コリント前書3-9)
●我らは活ける神の宮なり!(コリント後書6-16)
●あなた方は神の宮であって、神の御霊が自分の内に宿っている(コリント前書3‐16)
●我々は神の内に生き、働き、存在している(使徒行伝17‐28)
●神が私たちの内に住まわせた御霊は、ねたむほどの愛をもって私たちを見守っておられる
(ヤコブ書4‐5)
私たち個人個人が<祈祷の勢力>に参加し結集して世界の<万事万物>の自由独立のために
【神の愛=主イエス】へ<歓喜!感動!感謝!>の【礼拝:★讃美★祈り★感謝】する事で
【ビジョン:理想・夢・志】を<旗印>に掲げながら【霊性:魂[勇気]・善意・良心】と
【神の愛=隣人愛】を最善発揮して世界中を<最高!最善!最美!>の【神の愛の奇蹟】で
満ち溢れさせる【愛と自由の戦士・神の僕】となって活躍される事を心より応援しています!
●真の祈りは、ただの祈りではない、一種の預言である。
即ち必ず成就すべきことを前もって語に表することである(内村鑑三)
●心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世には無い(ガンジー)
●心をこめないで言葉をさがすより、言葉をさがさないで祈りの中に心をこめる方がよい(ガンジー)