【2000年11月16日に作成した<第13回>に加筆】
◇◇【神の愛=主イエス】⇔私を愛してくれる≪スーパー・ヒーロー≫!◇◇<改訂版>
●私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している
<Very Important Person in God' Eye>(イザヤ書43‐4:V.I.P.の語源)
●女がその乳飲み子を忘れて、その腹の子を憐れまないようなことがあろうか。
たとい彼等が忘れるようなことがあっても、私(主)はあなたを忘れることはない
(イザヤ書49‐15)
私たちは正義の味方である≪ヒーロー≫が大好きです。特に世代を超えて歴史を越えて
老若男女の誰からも愛される≪ヒーロー≫像には共通の特徴があるように感じられます。
世界で誰にでも愛される憧れの≪ヒーロー≫は完全無欠ではなく、何かしら私たちと
共通する<弱点>があることです。
ウルトラマン、スーパーマン、スパイダーマンなどに代表される<変身者ヒーロー>は、
日頃は優柔不断で、目立たない存在です。さらに時間的制約や<天敵の存在>があって、
いつでもどこでも絶対的に強いだけでは人気者の≪ヒーロー≫にはなれないようです。
見方を変えれば、ただ<強い:完全無欠>よりも、自分と同じように<弱味・弱点>が
あるからこそ親近感を抱くのではないでしょうか。
<弱点・弱味>があっても、有事危急には、正義と自由と愛のためなら、たった独りでも、
勇ましく起ち上がる<生き様><死に様>にこそ、共感できて敬愛されるのだと思います。
【主イエス】はどうでしょうか?皆から人気者の愛される<ヒーロー像>でしょうか?
私たちの誰もが【主イエス】の汚れ無き短き生涯と、<十字架の死>と<栄光の復活>を
知っていますが、私の第一印象としては、低俗な私とは<別世界の存在>と感じました。
従って、不義・不正で<無一物>の私にとって、【主イエス】はそれほどの<親近感>は
ありませんでした。単なる宗教的な仰ぎ見る<信仰の対象>でしかないと思っていました。
しかし、【神の愛=主イエス】と歩む<信仰生活>をすごすうちに、考えが変わりました。
確かに私が愛する身近な<ヒーロー>とは言えませんが、こんな<最低・最悪>の私でも、
世界中の誰よりも、私を<V.I.P.>待遇で愛してくれ、私の可能性を信じて、私の挑戦を
期待して最後まで励ましてくれる、世界で<最善・最強のヒーロー>である事を体感でき、
<最高!最善!最美!>の【神の愛=主イエス】に<歓喜!感動!感謝!>です!
●呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。
御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます
(テサロニケ前書2-12)
●私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた
(ヨハネ伝1-16)
私が愛する憧れの人気者の≪ヒーロー≫は私自身を愛したり励まし応援してくれませんが、
恐れ多くも【The King of Kings(王の中の王)】であり、偉大なる【救世主イエス】は
私が【主イエス】を信じ望み愛するレベルを遥かに超えて、無限大!の【信・望・愛】で
応えてくれて、いつでもどこでも何度でも私の挑戦を<最善の道>に導いてくれます!
●あなたの神、主は、あなたのただ中におられる救いを施す勝利の勇士だ。
主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与え新しくされる。
主は高らかに歌って、あなたのことを喜び給う(ゼパニヤ書3-17)
●あなたが右に行き、あるいは左に行くとき、そのうしろで「これが道だ、これに歩め」
という言葉を耳に聞く(イザヤ書30‐21)
●あなたの口を大きく広くあけよ、私(神)はそれを満たそう(詩篇81-10)
つまり【主イエス】は<相思相愛の関係>の<真の友><人生の伴侶>となってくれて、
<いつも一緒!>の<一心同体>で私の挑戦を成功に導く≪スーパー・ヒーロー≫です!
●視よ、我は世の終わりまで常に汝等と共に在るなり≪With You Always≫
(マタイ伝28‐20)
●キリストが私たちのために死なれたのは、目覚めていても眠っていても、
私たちが主と共に生きるためである(テサロニケ前書5-11)
●私はあなた方の年老いるまで変わらず、白髪となるまであなた方を持ち運ぶ。
私は造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う(イザヤ書46‐4)
そうです!【神の愛=主イエス】は自らが愛される≪スーパー・ヒーロー≫となるよりも
私たち誰でもが【神の愛=隣人愛】に光輝く【ビジョン:理想・夢・志】への挑戦に導き、
私たちが【愛と自由の戦士・神の僕】の≪スーパー・ヒーロー≫になれるのです!
●主は、すべての人々に分に応じて知恵を与え、主を愛する者には惜しみなく
それを与えられた。〔主を愛することこそ、輝かしい知恵。主は、御自分を示すために、
知恵を分け与え、こうして彼らは主を見るようになる](シラ書〔集会の書〕1-10)
無から有を産み出して、死人をも生き返らせる事のできる【神の愛=主イエス】ですから、
過酷な現実生活で、憧れのアニメ主人公や≪人気者ヒーロー≫のように活躍することなど
世間的不可能と思われても、【神の愛=主イエス】ならば一切が可能です!ハレルヤ!
●あなた(神)には、全てができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを
私は知りました(ヨブ記42‐2)
●イエスは彼らを見つめて言われた「人にはできないが、神にはできる、神には何でも
できないことはない」(マタイ伝19‐26、マルコ伝10‐27、14‐36、ルカ伝18‐27、
創世記18‐14、ヨブ記42‐2)
●ああ、主権者なる神よ!主よ!まことに、あなたは大いなる力と伸ばされた
御手とによって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません
(エレミヤ書32‐17)
●主は御心にかなう望むところを御旨のままに喜びとなるように、ことごとく行なわれる。
天で、地で、海で、また全ての淵で(詩篇135‐6)
●神は人でないゆえに偽りを語ることがなく、人の子ではないゆえに悔いる事もない。
自ら述べてそれを行なわず、自ら語って約束されたことを成し遂げないことがあろうか
(民数記23‐19)
●神には何もできないことはない(ルカ伝1‐37)
私たちが≪ヒーロー≫のように【ビジョン:理想・夢・志】実現を目指して挑戦するには
【神の愛:天父・主イエス・聖霊】に喜ばれ愛される<幼な心・幼な子>の<心意気>で
<泥だらけの人生>のまま「父ちゃん!母ちゃん!お兄ちゃん!」と真っ直ぐに頼りきり
手取り足取り、一歩一歩、【神の愛=主イエス】に助けられ励まされて前進しましょう!
●幼な子をそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのを止めてはならない。
天国はこのような者の国である(マタイ伝19~14)
●有限の我等が無限の神に対して幼な心を懐くにいたって救われる。
すなわち、幼な子となりて救われる(内村鑑三)
●知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子のような者にあらわした
(マタイ伝11-25、ルカ伝10-21)
●私たちは幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、
幼な子らしく考えていた。しかし、おとなになった今は、幼な子らしい事を捨て去った
(コリント前書13-11)
●天国とはそのような者(幼な子)の国である。
幼な子のように神の国を受入れる人でなければ、決してそこに入いることはできない
(マタイ伝19-14、マルコ伝10-13~16、ルカ伝18-15~17)
●神のもとには大きなものも小さなものもありはしません。
人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。
あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです(トルストイ)
【神の愛=主イエス】は、歩みが遅く、意気地なしで、忘恩・背信の恥知らずの私にでも
私が【ビジョン:理想・夢・志】実現を望む限りは、最後の最後まで見捨てることもなく
懇切丁寧に徹底的な<マン・ツー・マン指導>の【愛の特訓:オーディション&リハーサル】によって
鍛え直してくれるので、安心して【神の愛=主イエス】に頼りすがりましょう。
●肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが魂の父は、
私たちの益のために、そのきよさに預からせるためにそうされるのである
(ヘブル書12‐10)
●全ての訓練は、当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。
しかし、後になれば、それによって鍛えられる者に平安な義の実を結ばせるようになる
(ヘブル書12‐11)
●我が子よ、
主の訓練を軽んじてはならない
主の叱責をいとうな
父がかわいがる子をしかるように
主は愛する者を戒める(箴言3‐11~12、ヘブル書12‐5~6)
●あなた方は訓練として耐え忍びなさい。
神はあなた方を、子として扱っておられるのである。
いったい父に訓練されない子があろうか(ヘブル書12‐7)
●神への信頼を失わずに、その試練を切り抜けるならば、
他のいかなる道でも達せられないほど、神に近づく事ができる(ヒルティ)
皆さんの【青春:幼な心・青年の心】<熱き思い燃える心>に抱き【神の愛=隣人愛】で
光り輝く【ビジョン:理想・夢・志】に挑戦するために、≪スーパー・ヒーロー≫である
【神の愛=主イエス】に信愛して【愛と自由のヒーロー・神の僕】へと鍛え上げてもらい
【神の愛=主イエス】によって<召名>される【ミッション:使命・天職】を自覚して、
<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】の心意気で
世界を舞台に活躍されることを心より応援しています!
●あなた方は、さらに大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。
そこで、私は最もすぐれた道をあなた方に示そう(コリント前書12-31)
●キリスト信者たる栄誉の一つは、弱き取るに足らざるこの身をもってして、
なお大望を抱いてその一部分を遂行し得るにあり(内村鑑三)
●ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち神がこの世で
彼を用いようとするその目的が明かにわかり、また、これまで彼が導かれてきた
すべての道がそこに通じているのを悟った日のことである(ヒルティ)
●神と共にあって私の家は確かに立つ。神は永遠(とこしえ)の契約を私に賜る。
すべてに整い、守られるべき契約を。
まことに神は私の願いと救いとを、私の喜びを、すべて芽生えさせ育て上げてくださる
(サムエル後書23-5)
●真の文明人は、人生における自己の使命を知っている人間のことである(トルストイ)
●人間にとって大切なのは、この世に何年生きているかということではない。
この世でどれだけの価値のあることをするかである(O.ヘンリー)
●すべての聖徒と共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか
理解することができ、 また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、
そしてついには、神の満ちあふれる豊かさの全てにあずかり、
あなた方が満たされますように、と祈る。
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちが願い求めまた思うところの一切を、
はるかに越えてかなえて豊かに施すことができる方に教会により、
また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アーメン(エペソ書18~20)