●愛さずにはいられない(エルビス・プレスリー)
賢い大人<この世の子ら>は言うだろう
【神の愛=主イエス】に、そんなに熱烈に夢中なるなんて、
愚か者(<幼な子・光の子>だけだと
だけど僕は、【神の愛=主イエス】を、熱烈夢中に愛さずにはいられないんだ。
こんな僕だから、【神の愛=主イエス】に、熱烈夢中になることは、
罰当たりで、そんな資格がないとでも言うのだろうか?
どんな川の流れだって
必ず海につながっているように
僕だって、【神の愛=主イエス】と、しっかり結ばれているんだ
だって<万事万物>は【神の愛=主イエス】のものなんだから
そうに決まっているよ
僕の手を取って、導いてください
僕の人生全ても捧げて着いて行きます
だって僕は、【神の愛=主イエス】を、熱烈夢中に愛さずにはいられないんだ
そうさ僕は、【神の愛=主イエス】を、熱烈夢中に愛さずにいられないんだ
●CAN'T HELP FALLIN' IN LOVE / Elvis Presley
(I just can't help falling in love with you)
Wise men say
only fools rush in
But I can't help falling in love with you.
Shall I stay?
Would it be a sin
If I can't help falling in love with you.
Like a river flows
surely to the sea.
Darling so it goes
Something are meant to be
Something are meant to be
Take my hand.
take my whole life too
for I can't help falling in love with you
for I can't help falling in love with you
★★★
【聖書】の【御言葉】を通じた【神の愛=主イエス】を熱烈夢中に盲目的に愛する私は、世間的常識やこの世の賢者から見れば、馬鹿者であり、意気地なしで身勝手で無責任人間と思われるでしょう。
そして、<敬虔なクリスチャン(教会信者)>からも、「お前のような<エゴイスト>はキリスト信者になれるはずがない!」と批判されるでしょう。
●この世の子らは、己が時代の事には、光の子らより巧みで利口である(ルカ伝16-8)
●知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子のような者にあらわした(マタイ伝11-25、ルカ伝10-21)
●私たちは幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、幼な子らしく考えていた。
しかし、おとなになった今は、幼な子らしい事を捨て去った(コリント前書13-11)
●十字架の言葉は滅び行く者には愚かであるが、救いに預かる私たちには神の力である
(コリント前書1-18)
けれども、こんな<泥だらけ>で真っ黒けな罪深い私であっても、この世の<万事万物>は【神の愛=主イエス】に属するのであれば、私もまた【神の愛=主イエス】と結ばれていることになります。
●万物は、神より出で、神によって成り、神に帰する
<別訳>すべては、神から、神によって、神のために存在する
<別訳>すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている
栄光がとこしえに神にあるように。アーメン(ロマ書11-36)
●【聖意・聖旨】(内村鑑三)
★万事万物の本源を握る者は神の御手
★地に起こる全ての出来事は源を天に置く
●主は万物の上にあり、万物の中に在る(コロサイ書3-11)
●御子は神の栄えの光輝、神の本質の真の姿であり、その力ある言葉で万物を保っておられる
(ヘブル書1-3)
そして、こんな忘恩・背信の放蕩息子の私でも、【神の愛=主イエス】を<愛する自由>が与えられていることは<歓喜!感動!感謝!>です!ハレルヤ!主の恵みに感謝します!
●人が天から心を授かったのは愛するためにのみである(ボワロー)
●我等は愛せられんと欲するも愛せられず、しかれども愛するは我等の自由なり(内村鑑三)
皆さんが、【神の愛=主イエス】と熱烈夢中な<相思相愛の関係>に結ばれて、【神の愛=主イエス】に現実問題の<重荷>は一切お任せして、安心して心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】を<旗印>に高く掲げる【愛と自由の戦士・神の僕】となって活躍されることを心より応援しています!
●悲しみ憂えてはならない。主を喜び祝うことこそ、あなた方の力の源であるからだ
(ネヘミヤ記8-10)
●主なる神は羽をもってあなたを覆い、翼の下にかばってくださる。
神の真実〔変わることのない約束〕が大盾、とりでとなる(詩篇91-4)
●どんなことがあっても、心を騒がせるな。神を信じ、何もかも私に任せなさい。
私の父の家には、住む所がたくさんある。もしなければ、
あなた方に、はっきり言っておいたでしょう。
あなた方を迎える家を準備しに行くのです。
私が行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、
あなた方を私のもとに迎えます。私のいる所に、いつでも、あなた方が
いられるようにするためにです(ヨハネ伝14-1~3)
●私たちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いている。
もちろん、独りで事を定める力や何かできるなどと思う資格が、
自分にあるということではない。
私たちの資格は神から与えられたものである。
神は私たちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされた。
そして、文字【十戒】ではなく霊【聖霊】に仕える資格を与えてくださった。
文字【十戒】は殺すが、霊【聖霊】は生かす(コリント後書3-4~6)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!