■<真の自由>(内村鑑三)
自由は意志の自由にかぎらず、
また思想の自由にとどまらず、
実行の自由をもいう。
われわがなさんと欲することをなすをえて
われに真正の自由あるなり。
しかして神がキリストをもって信者に賜う自由はこの自由なり。
困難の山をも動かし、
積弊の桑樹をも抜きて
海に移しうるの自由なり。
信者の特権は神の全能の使用権に他ならず。
しかしていまだこの特権にあずからずして
人はいまだに神の子の自由に入れりというあたわざるなり。
★★★
●【真の自由】(内村鑑三)
◆真の自由は発意である ⇔ Unconditional(無境遇)
◆真の自由は正しき選択である ⇔ 霊性本来の標準に従う~霊的生命達成の道
◆真の自由は善き意志を行う能力である
●真の自由は消極的状態でなく積極的状態である
何事をも為しうる状態又能力でなく,ある事を為さずしてある他のことを為す能力
⇔善悪を判別して悪を避けて善を行う能力
●自由とは理想にあらず、境遇にあらず、能力である
●I can do that which is right.(我は正しき事を為し能う)
【神の愛=主イエス】に信愛して【神の愛=主イエス】と共に生きる者に与えられた<天賦の特権>である【真正の自由】は、私たちの心に【神の愛=隣人愛】で光輝く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】に【ミッション:使命・天職】を発見して<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で前進し続けるために<最高!最善!最美!>の<実行能力>です!
●人間生活は意志の自由に基づいており、
それに、神は自由な人間と、みずから進んで働く僕とを欲していられるからである(ヒルティ)
●あなた方が召されたのは、実に、自由を得るためである。
ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい(ガラテヤ書5‐13)
●一時的な安全をうるために永遠の自由を断念した人間は、自由も安全も受けるに値しない。
(フランクリン)
●神はすぺての人間を自由人として放ち給う。自然はなに人をも奴隷としてつくりはせず。
(アルキダモス)
●自由とは、あらゆる特権を有効に発揮させる特権である(カント)
皆さんが【神の愛=主イエス】に信愛して、<天賦の特権>である【真正の自由】を行使する【愛と自由の戦士・神の僕】となって、【神の愛=隣人愛】に光輝く【ビジョン:理想・夢・志】【ミッション:使命・天職】に活躍されることを心より応援しています!
●【境遇と意志】(内村鑑三)
人と天然とは外より働き、神は内より働き給う。
前者は境遇を作り、後者は意志を作り給う。
吾人が神に到るはかれに意志を強くせられんためなり、
境遇に勝ちえて自ら新境遇を作らんためなり。
人は神の子なり、境遇の奴隷にあらず。
神に依りて境遇を無視し、これを破りて意志の自由を実行すべき者なり。
●いかなる人間も自分自身の掟に従って自由に生きたいと思う(シラー)
●真の自由とは、自已のうえに万事をなしうることである
[真の自由とは、すべてのことを己の基準でなしうることである](モンテー二ュ)
●あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた
運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である(フランクル)
●愛に生きる者には翼がある。喜びに溢れて走り回り、自由で、どこにあっても束縛を知らない。
自分に与えられる贈り物には目を留めず、すべての賜物を越えて、
それを与えてくださる方に目を向ける(トマス・ア・ケンピス)
●悲しみの雲をつらぬきて信仰の眼を天へ向けさせ給え。
私たちの気ままに駆ける時、ほろびの中に墜ち、深き淵の底に沈んだのです。
主よ、救いは御元にのみ。あなたによって奴隷の身から救われた魂は幸いです。
ただあなたの御手が我が身に触れる時、私たちはまことに自由です。
私たちは罪の本能から解き放たれ、堅く御胸に抱かれて、
あなたの愛のよろこびにひたり、幼な児のようにふるさとに帰ります(ヒルティ)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!