【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

‹闇・悪›を‹光・善›に導く【神の愛】

【2008年12月2日に作成した<第481回>に加筆】
◇◇<闇:最悪>も<光:最善>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★「田母神論文」問題について考える★★

●光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった(ヨハネ伝1‐5)

皆さんも御存知のように混迷波乱の日本では「日本は侵略国家であったのか?」という「田母神論文」が政治・メディアを騒がせました。メディアが結集させた有識者の大半は「村山談話」こそが<正しき歴史認識>であり、<不動の政治見解>であるかのように、田母神氏個人を一斉に総攻撃しました。
しかしインターネットや「日本文化チャンネル桜」など少数メディアのおかげもあって、メディアの期待に反して若者を中心にした一般世論は冷静であったと思います。

私も<異議申し立て>を封殺するようなメディアと政府の過剰反応には賛同できません。「東京裁判史観」「村山談話」に示される<偏向した歴史的認識>にも賛同できません。侵略や虐殺が有ったのか、無かったのか、という論議は偽証や政治的圧力に屈服せずに、肯定派と否定派の専門家が正々堂々と論戦し続けることを期待しています。

私自身は【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】に従う<歴史認識>を選びます。

どんな<侵略><虐殺><弾圧><植民地支配>であっても、【神の愛=主イエス】が不条理に見逃したのではなくて、この<大試練>が民族・個人を【神の愛=隣人愛】に奮い立たせて【神の愛の奇蹟】に導く<原動力>になった事が<歴史的事実>であると私は実感しています。

つまり、人間の価値判断ならば、どんな<闇:悪・不完全>に思える状況であろうとも【神の愛=主イエス】の<関与>によって<最善>に導いている事を確信できるならば、過去に起こした戦争が<侵略>や<植民地支配>であったと非難されたからといって、過去の<闇:罪悪・不完全>に呪縛される事なく、自虐的卑下も自己否定する事もなく、未来の【ビジョン:理想・夢・志】を目指して、明るく元気に突き進む事ができます!

●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるようにする方が
 よいと考えられたのである(アウグスティヌス
●悪いことの中にも、なにほどかの善の魂がまじっている。人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア
●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三
●悪を恐れよ、しかし、つねに悪に打ち勝つことのできる神に信頼せよ(ヒルティ)

【聖書の御言葉】の<預言>通りに私たち<万事万物>を【神の愛】と和解させるため【主イエス】が<十字架処刑>されるには、愛でも正義でもなく、<ユダの裏切り>と政治・宗教の権威と民衆の<虐殺・弾圧>で実現した事に【神の愛の方程式・摂理】が示されていて、【御心:聖意・聖旨】は人間の<叡智>をはるかに超えている証明です。

●私(神)の思いはあなた方の思いと異なり、私の道はあなた方の道と異なる。
 天の地よりも高いように、私の道はあなた方の道より高く、
 私の思いはあなた方の思いよりも高い(イザヤ書55-8~9)

アレキサンダー大王の<大侵略>のおかげで、当時の文明世界においてギリシャ語が公用語(共通語)となり、ローマ帝国の<植民地化>のおかげで安全な道路が整備されてその後に【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】の時にかなって<召命>されたパウロが【神の愛=主イエス】を<世界宣教>するのに短期間で実現可能になったともいえます。つまり、どんな<侵略>も<植民地政策>も完全悪ではないと思います。

聖地を奪われ祖国を失って、世界中に散らされて2000年間も<流浪の民>であったユダヤ民族が【聖書】の<預言>に示されるように、再びイスラエルに戻って来るなどユダヤ教のラビやキリスト教神学者・聖職者でさえも不可能と思っていたでしょう。

そして、イスラエル国家再建に導いたのは、白馬に乗った<正義の救世主>ではなくて、人間の常識では邪悪な独裁者でしかないヒトラーによる「ホロコースト」でした。

人類史上で最悪な<大弾圧・大虐殺>に追い込まれたからこそ、収容所に<叡智>が結集されたからこそ、ようやくイスラエル国家再建に目覚めた事には感動します。

●その日が来れば、主は再び御手を下して、御自分の民の残りの者を買い戻される。彼らはアッシリア、エジプト、上エジプト、クシュ、エラム、シンアル、ハマト、海沿いの国々などに残されていた者である。主は諸国の民に向かって旗印を掲げ、地の四方の果てからイスラエルの追放されていた者を引き寄せ、ユダの散らされていた者を集められる(イザヤ書11-11~12)

私たち個人でも民族にとっても、一切を奪われるような<最悪なピンチ>にあってこそ、本当に<大切な物>を見出せる<絶好のチャンス>である事を【神の愛=主イエス】は私たちに教え示しています!

●一切を捨てよ、そうすれば一切を見出す(トマス・ア・ケンピス)
●私の敵よ、私のことで喜ぶな。たとえ倒れても、私は起き上がる。
 たとえ闇の中に座っていても、主こそ我が光なり(ミカ書7-8)
●神の恵みと助けとが示されているのは、とくに困難な時期に、いつも我々の暗い運命のどこかある一点が明るくされることによってである(ヒルティ)

政権樹立から現在もなお、中国共産党政権による侵略・虐殺、弾圧・迫害は有名です。その悲劇的状況のおかげで【神の愛=主イエス】の【福音伝道】が成功している事は驚くばかりです。

共産党政権が樹立する以前から、中国大陸に多くの欧米キリスト教宣教団が挑みますが、仏教・儒教的な先祖崇拝がしっかりと根付いており、布教は困難を極めました。

そこで、ある宣教団は先祖崇拝のシンボルである<仏壇>が家庭から取り除かれる事を懸命に【神の愛=主イエス】に祈り続けたそうです。しかし、<仏壇>が全ての家庭から本当に消える日が、どのような方法で実現するのか誰も見当もつきませんでした。

そして【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】の時にかなって美しく、不可能は可能になりました!共産党政権による宗教弾圧によって仏壇は家庭から消えたのです。

●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)

私たちの【ビジョン:理想・夢・志】実現を目指す【礼拝:★讃美★祈り★感謝】は【神の愛=主イエス】に必ず聞き届けられていて、私たちの善悪判断や常識を超えて<最悪>をも<最善>に導く【神の愛=主イエス】には<歓喜!感動!感謝!>です!

●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。
 そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録(賀川豊彦
●真の祈りはただの祈りではない。一種の預言である。即ち必ず成就すべき事を
 前もって語に表することである(内村鑑三
●わが祈祷が聴かれないと言う時に、祈祷以上が聴かるるのである。
 祈祷が聴かれないのではない。我等が祈求むるところ、思惟うところよりも
 いたく過(まさ)りて聴かるるのである(内村鑑三

私たちの<善悪の価値判断>と【神の愛=主イエス】の<善悪の基準>は異なるので、人類の<歴史観>と【神の愛=主イエス】の<歴史観>は時には<逆さま>になると私は実感しているのですが、皆さんはどうお感じでしょうか?

世界を制覇した歴史を持つ英国でも、ある時期には、他民族の<植民地支配>について邪悪な<侵略>であったと完全否定する<自虐的歴史観>に呪縛されたそうです。

英国民族を精神的に自由解放に導いたのはサッチャー政権であると言われていますが、その背景には【神の愛=主イエス】と【聖書】の<歴史観>を熟知していたからだと私は理解しています。

●事物の光明的半面に着眼する者、これ信者なり。
 暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり。
 信者は  常に健康を祝し、成功を讃え、 聖徳をよろこぶ
 不信者は 常に疾病を語り、失敗をなげき、悪徳・罪悪を憤る(内村鑑三
●あなたにゆだねられている事を守りなさい。そして、俗悪な無駄話と偽りの「知識」による反対論を避けなさい(テモテ前書6-20)
●私たちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです(テモテ前書4-10)

私個人も、現代の日本民族においても、過去の<闇:罪悪・不完全>への呪縛によって生まれる自虐的価値観や<自己否定:嫌悪・不信>から精神的に自由解放するためにはたとえ偏見・誤解・先入観を排除しようと、人間の善悪判断や常識だけでは困難であり、【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】である<善悪基準>と<歴史観>こそが最も有効であると確信しています!

●暗闇と死の陰に座している者たちを光で照らし、我らの歩みを平和の道に導く(ルカ伝1-79)
●主の名を呼び求める者は皆、救われる(使徒行伝2-21、ヨエル書2-32)
●私は平安をあなた方に残して行く。私の平安をあなた方に与える。
 私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。
 あなた方は心を騒がせるな、また、おじけるな(ヨハネ14-27)
●主はおのが民を喜び、へりくだる者を勝利をもって救いの輝きで飾られる。
 主の慈しみに生きる聖徒たちは栄光に輝き、喜び勇め。
 おのれの床の上で、喜び高らかに歌え(詩篇149-4~5)

皆さんの人生においても、「~さえ無かったら」「本当は~だったのに」というように過去の<闇:罪悪・不完全>に呪縛されて、後悔したり、反省したり、責められ続けて、自虐的価値観や<自己否定:自己嫌悪・自己不信>によって精神的不自由にあるならば、【神の愛=主イエス】【聖書】の<歴史観><善悪基準>の<見方・考え方>に従って<闇:最悪>から<光:最善>へと自由解放に導いてもらいましょう!

●暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。死の陰の地に住んでいた人々の上に光が輝いた
(イザヤ書9-2)
●主よ、あなたは私の灯りを輝かし、神よ、あなたは私の闇を照らしてくださる(イザヤ書42-16)

どんな<闇:最悪>でも<光:最善>へと導く<特訓:オーディション&リハーサル>である事を【聖書の御言葉】に再発見し体得し、未来志向の【ビジョン:理想・夢・志】を目指し、<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】に燃えて【愛と自由の戦士:神の僕・神の愛子】である<光の子>となって活躍されることを心より応援しています!

●こうして預言の言葉は、私たちにいっそう確実なものとなった。あなた方も、
 夜が明け、明星がのぼってあなた方の心の中を照らすまで、この預言の言葉を
 暗闇に輝くともしびとして、それに目を留めているがよい(ペテロ第ニ書1‐19)
●光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。明らかにされるものはみな、
 光となるのです。それで、こう言われています。
 「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。
  そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」(エペソ書5-13~14)
●「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、私たちの心の内に輝いて、
 イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光の知識を明らかにし悟るために、
 光で照らして下さったのである(コリント後書4-6)
●あなた方は、以前は闇であったが、今は主にあって光となっている。
 光の子らしく歩きなさい。光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである
(エペソ書5-8~9)