神はわれわれに最上のものを与えることができるために、
まずわれわれから多くの好ましいものを取り去らざるをえない。
さもなければ、人間の心は通常、あまりにもこれらのものに執着して、
最上のものを手に取ろうとする勇気を欠くからである。
いや、おそらくこうも言えよう。
あらかじめ、人生の卑近な目的を達することが不可能になるか、
それともそれが非常に困難になることがなかったら、
だれひとりとして最高の目標に達した者はあるまい、と。
しかし、いずれにしてもそのことに、少なくとも自分の事後承諾を与えることは大切であり、
僅かばかりの小金を惜しんで王冠をこばんではならない。
<『幸福論』(ヒルティ)より>
★★★
●<恐るべからざるもの三>(内村鑑三)
第1:失敗
失敗は方針を転ぜよとの神の命令である。我等は失敗を重ねて神の定め給いにし天職につくのである。
第2:患難
患難は我らを神の懐に駆(オ)い追(ヤ)るための彼のムチである。
我らは患難に遭うて神の我らのために設け給いし休息(イコイ)の牧場に入るのである。
第3:死
死は聖(キヨ)められし霊魂の純金を肉の汚物より分離するための最後の手術である。
我らは死を経過して神の聖者のために備え給いにし光栄(ミサカエ)の聖国(ミクニ)に往くのである。
35歳までには生涯を賭ける価値のある何かに誰かに、献身して忠誠を尽くたい!という切なる願いを抱き人生を漂流してきた私自身も、<最高!最善!最美!>の【神の愛=主イエス】と<会>するためには、暴走と失敗を繰り返しながら、ようやく私の心に抱く<最高の目標><最愛の我が子・我が分身>の【ビジョン:理想・夢・志】に、<最上のもの>【ミッション:使命・天職】を発見することができたことは<歓喜!感動!感謝!>です!
●人生におけるミッション(使命)というものは作るものではなく発見するものである
(スティーブン・ コヴィー)
●誰かに向かって「それは不可能だ」などと言ってはいけない。
神はその不可能なことをやってしまうほど無知な者をずっと待ち続けているのかもしれないのだから(ジョン・ホームズ)
●人生において何よりもまず知らなければならないことは、
自分が何を本当に成し遂げたいのかである。 そして、遂にそれを知り得たなら
(それは通常、生涯の半ばを費やす)この目標と共に手段をも得ようとしなければならない
(ヒルティ)
皆さんの人生にも、【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】な【神の愛=主イエス】との<出遭い>があって、皆さんの心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】に活躍して、【神の愛=主イエス】から与えられる【愛と自由の戦士:神の僕・神の愛子】として<王冠>を獲得する事を心より応援しています!
●ただ偉大な理念の召使と考えるようになったら、その人はすでに確実な頂きに達したといえる。
聖書は、これを「神のしもべ」と呼んでいる(ヒルティ)
●人に少しも頼ることなくして、神にのみ頼ってなすことのできる事業のみが神の命じ給うた事業である。かかる事業に従事するを得て我等ははじめて独立の人となるのである(内村鑑三)
●事業の困難を思うべからず、また我の弱きを思うべからず。
神の全能なるを思うべし、その恩恵の無限なるを念ずべし。
さらば、事業の困難は失せて我等は強き者とならん(内村鑑三)
●意(オモイ)を事業に注いで事業は成らず、眼を神に注いで事業はおのずから成る。
神は事業の神なれば、我らは神を信じて無為の生涯を送らんと欲するも得ず(内村鑑三)
●神は我らの避けどころ、私たちの砦また力。苦難のとき、そこにある助け。
それゆえ我らは恐れない、たとい地は変わり、山々が海の真中に移ろうとも
たとい、海の水が立ち騒ぎ、あわ立っても、その水かさが増して山々が揺れ動いても
一つの川がある、その流れは神の都を喜ばせ、いと高き方の聖なる住まいを喜ばせる
神はその真中にいまし、都は揺らぐことがない。神は夜明けとともに助けられる
(詩篇46-2~5)
●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、
私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。
信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか
(ヘブル書12‐1~2)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!