幸福を得るには、
あらゆる人間の性質の中で、
勇気が最も必要である。
これは確かに間違いのないことだ。
そこでわれわれは、
現代のある才女が、
その死後公けにされた著作のなかで述べている言葉を、
最後の結論と認めよう。
すなわち、
「幸福とは神と共にあることである。
これに到達する力は、
魂の声なる勇気である。」
地上にはこのほかの幸福はないのである。
もしこの徴(しるし)を持たぬ幸福があったとしても、
われわれはそれを望まないであろう。
「利己心より目ざめ、
永遠を把握し、
愛に導かれて、
地上のものを手段と解し、これを支配する。
これのみが世にありうる幸福の状態である。」(ゲルツァーによる自由な引用)
<『幸福論(ヒルティ)』より>
★★★
【神の愛=主イエス】は、私たち各自の<自由意志と決断>さえあれば、【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を最善発揮できる【神の愛=隣人愛】に光り輝く【ビジョン:理想・夢・志】に生きる<幸福の道:【ミッション:使命・天職】>をいつでもどこで何度でも用意してくれ<最善の道>として導いてくれます!
●キリスト教は不断の幸福を約束しない。しかし、世に勝つ平和を約束している
(ヒルティ)
●<幸福と十字架>(内村鑑三)
人類の幸福は学術の進歩を要す。
学術の進歩は思想の自由を要す。
思想の自由は政治の改善を要す。
政治の改善は人心の洗浄を要す。
人心の洗浄は霊魂の釈放を要す。
霊魂の釈放はキリストの十字架を要す。
キリストの十字架によらずして、
人類の幸福もまたこれを地上において見るあたわざるなり。
●主はこう言われる。
「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ。
どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ。」
(エレミヤ記6-16)
●我々が自ら幸福だと感じるためには、つねに頭が計画に満ち、
心が愛に満ちていなければならない(ヒルティ)
●驚くべき導きの、神の側からみた目的と直接の狙いは我々を普通の卑近な意味で
幸福にすることではない。むしろ、恐れを知らず、あらゆる良き行いをすすんで
しようとする人、一言でいえば、英雄的な人にするためである(ヒルティ)
しかも私たちが突き進む<幸福の道:【ミッション:使命・天職】>には、<いつも一緒!>の【神の愛=主イエス】が伴走してくれて、慰め励まし勇気と希望を与え続けてくれる【真の友】となってくれることは<歓喜!感動!感謝!>です!
●<幸福の途>(内村鑑三)
人として生まれし最大名誉、最大幸福は、イエスを知り、
彼に知られて、彼の友人となることである。
●神と完全に友となった人にとっては、それ以降の人生において、
もはや幸福な出来事しか起こらない(ヒルティ)
●主よ、なんと幸いなことでしょう。あなたに戒められ、
あなたのみおしえを教えられる、その人は。
わざわいの日に、あなたがその人に平安を賜るからです。
その間に、悪者のためには穴が掘られます(詩篇94-12)
●私は耐え忍び、切なる思いで、主のみを待ち望んでいた。
主は私の方に身を傾けて、私の叫びを聞かれた。
滅びの穴、泥沼から私を引き上げ、私の足を岩の上に立たせ
私の歩みをしっかりと確かにされた。
主は私の口に、新しい歌を、我らの神への賛美を、授けられた。
人はこぞって主を仰ぎ見、主を畏れ敬い、主に依り頼む。
いかに幸いなことか、主に信頼し、
高ぶる者や、欺きの教えや、偽りに陥る者たちの方に
向かなかった、その人は。
我が神、主よ
あなたがなさった不思議な業と我らを思う御計りは数知れず多く
あなたに並ぶ者はありえない。
私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせない。
あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず、焼き尽くす供え物も
罪の代償の供え物も求めず、ただ、私の耳を開かれた(詩篇40-1~6)
皆さんの人生にも、【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】で<最高!最善!最美!>の【神の愛=主イエス】との<出遭い>があって、心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】に【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を満足させる<幸福の道:【ミッション:使命・天職】>を発見して、【神の愛=主イエス】の<神助:祝福・恩恵>と【神の愛の奇蹟】に導かれ守られながら、<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で前進し続ける事を心より応援しています!
●どのような暗い時でも神に頼る事のできる人には、
じきに朝日がさし昇ってくであろう。
なぜなら、神にゆだねることは、暁を告げ知らせ、それを迎える鶏鳴だからである
(トマス・ア・ケンピス)
●勇気を失うな、勇敢な人になれ、適当な時に慰めはやってくるだろう
(トマス・ア・ケンピス)
●試練を耐え忍ぶ者は幸いなり。その人は適格者と認められ、
神を愛する人々に約束された命の冠をいただく(ヤコブ書1‐12)
●魂の喜びにまさる喜びなし。これによりて枯骨もなお芽をふく。
この喜びを我が主は常に我らのために増したもう(ヒルティ)
●苦しみにあった事は私にとって幸せでした。
私はそれであなた(主)の掟を学びました(詩篇119‐71)
●幸いなことよ
悪者のはかりごとに歩まず
罪人の道に立たず
あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、主の教えを喜びとし、
昼も夜もその教えを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ
時が来ると実がなり、その葉は枯れない
その人は何をしても栄える
<その人のすることをみな栄えさせる>(詩篇1-1~3)
(エゼキエル19-10、詩篇92-12~14、エレミヤ記17-8)
●主の使いは主を恐れる者のまわりに
陣をしいて彼らを助けられる。
主の恵み深き素晴らしさを味わい知れ、
主に身を避け寄り頼む人は幸いである(詩篇34-7~8)
●私たちの希望なる愛する師よ、霊の主よ、あなたの恵みとあなたのまこと、
常に私たちとの我が民の上に全ての家と心の上にとどまりて治めたまえ。
悲しみの雲をつらぬきて信仰の眼を天へ向けさせ給え。
私たちの気ままに駆ける時、ほろびの中に墜ち、深き淵の底に沈んだのです。
主よ、救いは御元にのみ。あなたによって奴隷の身から救われた魂は幸いです。
ただあなたの御手が我が身に触れる時、私たちはまことに自由です。
私たちは罪の本能から解き放たれ、堅く御胸に抱かれて、
あなたの愛のよろこびにひたり、幼な児のようにふるさとに帰ります(ヒルティ)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!