■<眠られぬ夜のために:9月20日>(ヒルティ)
ダニエル書10-2~13、19~21。
神への願いはしばしばすぐには聞きいれらないか、
あるいは、聞きいれられたことが、
すぐわれわれに知らされるとはかぎらない。
しかし、神のしもべの中に数えられうる人びとには、
その辛抱づよい祈願がかならず、おそかれ早かれ、
そして彼らにとって最もよい方法で、
聴きとどけられるという十分な確信を、
われわれは持ち続けるべきだろう。
ちょうど大磐石の上に立つように、
われわれはこの確信の上に立たねばならない。
そうすれば、神はさしあたりわれわれを慰めるために、
しばしば使者をおつかわしになる。
それはたいてい普通の人間であるが、
かならず適当な時期にやって来る。
あなたが、もはや自分の力を信じることなく、
つねに神の力を信じることができるようになったら、
そのとき、あなたはすべてのことにおいて勝利を手中に収めているのである。
なおその上、あなたは艱難をよろこぶ境地にまで達することができる。
★★★
●神に大いに愛される者よ、恐れることはない。
あなたが心を定めて神意を悟ろうとし、神の前にへりくだり、
心を尽くして苦悩し始めたその最初の日から、あなたの言葉は聞き入れられており、
わたしは、あなたの言葉のゆえに来たのである(ダニエル書10-12)
●神に大いに愛される者よ、恐れるには及ばない。安心しなさい。
心を強くし、勇気を出しなさい(ダニエル書10-19)
●<神助>(内村鑑三)
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じてすべての善き物をもって汝を恵まん。
⇔ ★天来の思想
★外来の友人
★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。
◆汝は信仰をもって神の力を汝の力となすをうべし。
◆多くを望めよ、そは天にいます汝の父はその恩恵の宝庫を開いて
汝の来りてこれを求めんことを待ちつつあり給えばなり。
【神の愛=主イエス】が熱愛される【神の僕・神の愛子・光の子】として、熱烈夢中の<相思相愛の関係>に結ばれる条件として、私たちに命じられることは、ただ【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】の<心意気>だけであることは、私のような不義・不忠・不実で忘恩・背信の<落ちこぼれ人生>にとっては<歓喜!感動!感謝!>です!
●いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
(テサロニケ前書5‐16~18)
●熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みを抱いて喜び、患難に耐え忍び、
常に祈りなさい(ロマ書12-11~12)
●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、目を覚まして、
うむことなく根気よく全ての聖徒のために祈り続けなさい(エペソ書6-18)
●何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、
あなたがたの求めるところを神に打ち明けなさい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう
(ピリピ書4-6~7)
●目を覚まして、感謝を込めて、ひたすら祈り続けなさい(コロサイ書4-2)
●思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、どんな困難な状況にあっても、
正しいやり方である(ヒルティ)
たとえ<無一物>の私でも、<最高!最善!最美!>である【神の愛=主イエス】は、私の<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】を目指す時には、私の<超歓喜!超感動!超感謝!の大讃美!大絶賛!大称賛!>の【礼拝:★讃美★祈り★感謝】にも、時にかなって応答してくれて、【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】な【神の愛=隣人愛】に光り輝く<神助:祝福・恩恵>と【神の愛の奇蹟】に満たして、私の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を励まし慰めて無限の勇気と希望で前進に導いててくれます!ハレルヤ!
●あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、
――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――
キリスト・イエスにおいて共によみがえらせ、共に天の王座につかせて下さいました。
(エペソ書2-4~6)
●信者が信仰を強められたいと願うなら、神に時を与えなければならない。
神が信仰を試みられるのは、ご自身の子供にとってちょうど良い時に助け、
救い出すことをどんなに喜んでおられるかということを実証するためなのである(ジョージ・ミュラー)
●信仰を強めるために重要な最後の点は、信仰の試練が来た時、神に働いていただき、
自分の力で自分を救い出そうとしないことである(ジョージ・ミュラー)
●これは私たちの神の憐れみ深い御心による。また、そのあわれみによって、
日の光が 上から私たちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照らし、
私たちの足を平和の道へ導くであろう
(ルカ伝1-78~79、詩篇107-10、イザヤ書9‐2・59-8)
●我は起ちて我が父に往かん。我が父の愛は無限なり、
彼は我れの滅びんことを欲(ねが)い給わず、彼は我につきて永久に絶望し給わず。
ゆえに我もまた自己につきて絶望することなく、
彼の無限の愛を信じはばからずして今日起ちて彼に往かん(内村鑑三:ルカ伝15-18)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
これに対抗することはできるであろう。私は神のおかげで困難になれてきた。
神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムエル)
●主に自らをゆだね、おのれの喜びとなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。
(詩篇37-4)
皆さんの人生においても、実現困難な【ビジョン:理想・夢・志】を<旗印>に高く掲げて、【神の愛=主イエス】への【信仰:信愛・信頼・信従】による【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を<最善・最強の武器>にして、<神助:祝福・恩恵>と【神の愛の奇蹟】に導かれて、【ミッション:使命・天職】に<召命>された【愛と自由の戦士:神の僕・神の愛子・光の子】となって<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】で活躍される事を心より応援しています!
●我らは祈りを神に捧げる、すると神は我らのために語り、かつ働き給う
(ジョージ・ミラー)
●自分の意志をまったく神にゆだねて、ひたすら神の道具でありたいと思う人は
不思議に、どんな祈りも聞き届けられる。そういう人はただ願い求めればよいのだ。
そうすると憂いも怖れもなく、至福の状態で、あらゆる困難を切り抜け、
生涯の日々をすべての人々とまじって生きて行くことができる(タウラー)
●この山を登ろうとする者
その麓にて大きな困難に出会うであろう。
されど、登るに従って困難は減じ
おんみの辛苦は今ようやく愉しみとなる。
やがて登ること、きわめてやすく
小舟で急流を下るがごとくなるであろう(「神曲」煉獄篇・第四歌)
●人間は生涯中にいくたびとなく、この世における自分の使命に迷いを生じたり、
気落ちしたり後戻りしたくなる時期が訪れるものだ。
そのような時に最も確かな慰めは、もともと我々が神を選んだのでなく、
神が我々を選んでその所有とされたいという思いである(ヒルティ)
⇔★あなた方が私を選んだのではない、私があなた方を選んだのである
(ヨハネ伝15-16)
★主よ私は知っています。人間の道はその人によるのでなく、
歩くこともその歩みを確かにすることも、人によるのではないことを
(エレミヤ記10‐23)
●安かれ、父が私をおつかわしになったように、私もまたあなた方をつかわす
(ヨハネ伝20-21)
●「神は、神を愛する者たちと共に働いて、万事を益とするようにして下さる。
(ロマ書8-28)」これこそ、正当なしかも長持ちする楽観主義である。
このようなことを我々は生涯においてそれが単なる「偶然」とのみは思われないほど、
たびたび経験するものである(ヒルティ)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい!
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!