■<一日一生:2月14日>(内村鑑三)
●神は私たちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、
それは、私たちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、
また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、
そして今や、私たちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。
キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである
(テモテ後書1-9~10)
現世はわれらの理想を行うには
あまりに不完全なるところであります。
もしこの世が万事をおわるものでありまするならば、
人としてここに生れ来りましたのは
最大不幸であると思います。
世に辛いこととて、
理想を持って理想を行えないくらい辛いことはありません。
しかるにすべての高尚なる人の生涯はみな
この「充たされざる理想」の生涯であります。
理想にかなう実物の存在するのがこの宇宙の法則でありますのに、
現世には吾人の理想にかなうための実物がありません。
このことが来世の存在のもっともたしかなる証拠ではありませんか。
★★★
●この朽ちるべきものが朽ちないものを着、
この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(コリント前書15-53~55)
●死は永遠の宮殿を開く鍵である(ミルトン)
●この限りある人生は天国の周辺のようなもので、そこへの門を我々は死と呼ぶ(ロングフェロー)
【聖書】の【御言葉】と【礼拝:★讃美★祈求★感謝】を通じて、【神の愛=主イエス】と【<熱き思い燃える心>の【信仰:信愛・信頼・信従】で結ばれると、たとえ私の果かない生涯では未実現・未完成であろうとも、こんな<無一物>の私の人生でも、私の死後にも【神の愛=隣人愛】で光り輝く遠大崇高な【大希望:聖望!聖願!聖欲!】に満ち溢れた【ビジョン:理想・夢念・大志】を抱く事ができる事は<歓喜!感動!感謝!>です!
●人は死んでも、その人の影響は死ぬことはない(キング牧師)
●彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている(ヘブル書11‐4)
●人生をもっとも偉大に使う使い方というのは、人生が終わってもまだ続くような
何ものかのために使うことである(ウィリアム・ジェームズ)
●幾たびか辛酸を経て、志ははじめて固まるものだ。その志を貫くためには、
玉となって砕けることを本懐とすべきであって、志をまげて瓦となってまで、
生きながらえるのは恥とする(西郷隆盛)
★<玉>=価値あるもの[正義・名誉]⇔<瓦>=がらくた[生き甲斐の無いもの]
●人生の価値は、その長さとは関係がない。人生の価値とは、どのようにその時間を
利用したかで決まるものなのだ。あなたが十分に生きたかどうかは、あなたが生きた
年数ではなく、あなたがどのような意志をもって生きたのかで決まる(モンテーニュ)
皆さんのい人生にも、【★ダイナミック!★エキサイティング!★ワンダフル!】な【神の愛=主イエス】と熱烈夢中の<相思相愛の関係>で結ばれる事で、【大希望:聖望!聖願!聖欲!】と【神の愛=隣人愛】に満ち溢れた遠大崇高な【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生の旗印>に高く掲げる【ミッション:使命・天職】に生きる【愛と自由の戦士:神の僕・忠義の愛子・光の子】となって、<肉体の死>も突破して<来世>を生き抜いて、【ビジョン:理想・夢念・大志】を完成するまで活躍されることを心より応援しています!
●世の中には生きながら 心の死んでいる者がいる。
その身は滅んでも魂の存する者もいる(吉田松陰)
●われらは天職を終了(オワル)までは不滅なるがごとし(リビングストン)
●我が事業の成るまでは我が死なざること、そのことは確実である(内村鑑三)
●自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を
力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは
思いません。<最も大切なことは、自分の使命、すなわち主イエスが私にお与えになった
働きを全うすることです>(使徒行伝20-24)
●「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし」(吉田松陰)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい!
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!