【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【キリスト精神】は【神の生命】!①

【2003年6月6日に作成した<第305回>に加筆】<改訂版・再掲載>
◇◇【キリスト精神】=【神の生命】なる能力ある事実!(その1)◇◇

キリスト教は生命である(内村鑑三)
●キリストは我らの生命である(コロサイ書3-4)
●福音は生命の道である(ヨハネ第1書1-1)

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!

世間は「生きる力」「生活力」の<パワー・アップ>が重視されているように思います。
では、どうすれば「生きる力」「生活力」を<パワー・アップ>できるのでしょうか?

ぞの答えとして、内村鑑三は【キリスト教の本質】について明確に説明しています。

キリスト教】とは儀式・教会・道徳・理屈ではなくて、積極的な<能力>であり、
世界の歴史の中心なる<事実>であると次のように説明しているのです。

 ◆霊魂を復活させ、愚かなる者を智からしむる能力ある事実(詩篇19)
 ◆すべて信じる者を救わんとする神の大なる能力(ロマ書1-16)
 ◆神の国は言葉にあらず、能力に在り(コリント前書4-20)
 ◆大能をもって我が内に働くもの(コロサイ書1-29)

そして、【神の大なる能力】とは;

 ◆破壊力でなく【建設力】、殺す力でなく【活かす力】

つまり、

 ◆【キリスト教(キリスト精神)】は【生命】である!
  動くものであるのみならず、 【意志】をもって動くもの
  動かすものであるのみならず、【愛】をもって動かすもの

結論として、【キリスト教(キリスト精神)】は【神の生命】であり、

 ◆【神の生命】は心の内に【光】となって
  【新生命力】と【新活力】を加える【生活力(バイタリティ)】を提供する!
 ◆信仰により救われるのは、信仰により【この能力=生活力】を我らの能力と
  することができるからであり、死は【生活力】が欠乏してやって来る。
 ◆【キリスト教(キリスト精神)】は【神の大なる能力=神の生命=生活力】を
  豊かに供給して人を永遠にまで救わんとする、キリストなる【神の生命】を
  もって【不朽の生命】を与えんとするものである!

現代日本の重大事は<少子化><高齢化>であり、子供は「生きる力」が不足していて、
物質的に豊かになり過ぎて「生活力」が乏しいということを社会問題にしています。

私の実感では【神の愛=主イエス】への【信仰:信愛・信頼・信従】が乏しくなって
【神の生命】不足で日々新たな【生活力:生命力・活力】が<パワー・アップ>されず、
社会全体の【生活力(バイタリティ)】までもが減退している状態だと思います。

【神の生命】の【生活力】は【神の愛=隣人愛】で【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を
日に新たに<リフレッシュ>させてくれます。

そして、【神の愛=主イエス】に向けて【礼拝:★讃美★祈求★感謝】をすることで、
【神の愛の力=隣人愛】が働いて患難辛苦に打克つ<知恵と力>で心を照らしてくれて
<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱血・気迫】に燃え盛る
【士気・やる気】が高まります!

現在の医療現場や様々な公的機関で不祥事が多発して【士気・やる気】が高まらないのは
<信仰精神>を軽視して、限界のある人間の知恵と能力にだけ頼るからのように思います。
【神の愛=主イエス】に頼って、無限大の【生活力】と<知恵と能力>を求めましょう!

米国では個人的な精神的支援や自己啓発・士気向上のためにセラピーや<コーチング>が
活躍してきましたが、最近ではいよいよ<チャプレン(従軍牧師)>が民間企業組織にも
続々と配備されるようになったとTV報道されていました。

日本でも【生活力】の減退や【神の愛=隣人愛】の冷却といった社会問題を解決するには、
現場で日々努力している人々を励ましたり勇気づける【エンパワーメント】を目的とした
制度や人間力では限界があることを自覚し、【信仰精神】を尊重して【神の生命】による
<パワー・アップ>こそが今や日本の社会全体で必要不可欠になっていると確信します。

●理想の実現は(不可能と見えるのは)人間の力や制度によるのではない!
 「万軍の主の熱心これ成し給うべし(イザヤ書9-7)」(内村鑑三
●<われかキリストか>(内村鑑三
 われがなすのではない、キリストがわれにありてなし給うのである。
 ゆえにわが事業ではない、われは死んだ者である、
 キリストにありて生きかつ働き給うのである。
 これは信仰ではない、また理想でもない、事実である、何よりも確かなる事実である。

世間的に見るならば、どんなに解決不能な<最悪なピンチ>に思えても心配御無用です!
<信仰精神>を大切にして【神の大なる能力=神の生命=生活力】に信頼するならば、
【神の愛=隣人愛】で明るく元気に<パワー・アップ>できる【絶好のチャンス】であり、
【神の愛=主イエス】に【信仰:信愛・信頼・信従】する私は大希望に満ちています!
ハレルヤ!主の恵みに感謝します!栄光を主に帰します!アーメン!

●神の力強い活動によって働く力が、私たち信じる者にとって、
 いかに絶大なるものであるかを、あなた方が知るに至るようにと祈っている
 (エペソ書1-19)
●我等に必要なものは必ず与えられるべし、しかも前もって与えられず
 必要の時に与えられるべし。ゆえに我等は要なき物を要なき時に祈り求めて
 主たる我等の神を試むべからず(内村鑑三
●主によりて歓喜をなせ、主は汝の心の願いを汝に与え給わん(詩篇37-4)
●汝の道を主にゆだねよ、主に信頼せよ、主はそれをなしとげ
 光のごとく汝の義をあきらかにし、真昼のごとく汝の訴えをあきらかにし給わん
詩篇37-5~6)
●すべて彼(主イエス)を信じる者は失望に終わることがない(ロマ書10―11)

憲法改正論議に合わせて、教育基本法の改正までも具体的に進められました。
教育基本法の「教育の基本理念」にある「教育の目的」には素晴らしい言葉が
記されている事を、私は最近初めて知って感動しました。

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、
 真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、
 自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して
 行われなければならない。」

「真理と正義を愛す」とは、何と理想高くて【生命力】と【活力】に充ち溢れて
<教育の目的>として<人生目的>として、何と遠大で崇高な決意表明でしょう!

●いつどこでも愛をもって真理の味方をすること、これがまことに我々の日常の
 活動的生活の課題である(ヒルティ)
●正義と誠実・憐れみを追い求める者は命(イノチ)と正義と誉れを得る(箴言21‐21)
●真理に対する愛と正義に対する勇気(ヒルティ)
●この世にある安らぎはただ一つ、大いなる目標への確信だけです(タウラー)
●失敗は罪ではない、目的が低い事が罪である(内村鑑三
●汝の車を星につなげ(エマーソン)

【真理と正義を愛す】精神は【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】そのものであり、
【神の愛=主イエス】【未来の存在:未完・未実現】【ビジョン:理想・夢念・大志】を
大切に守り育てる【信仰精神:信愛・信頼・信従】に通じる事が体感できます!

●先ず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは 全て添えて
 与えられるであろう(マタイ伝6‐33、ルカ伝12‐31)
●私は道であり、真理であり、命である。
 誰でも私によらないでは父のみもとに 行くことはできない(ヨハネ伝14-6)
●私は真理について証しをするために生まれ、また、そのためにこの世に来たのである。
 誰でも真理につく者は、私の声に耳を傾ける(ヨハネ伝18-37)
●聖書はすべて真理によって作られた、その精神でもって読まれるべきである
 (トマス・ア・ケンピス)
●聖書は古いものでもなければ新しいものでもない、聖書は永遠のものである(ルター)
●いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。
 このうち最も大いなるものは、愛である(コリント前書13‐13)
●信仰と希望(内村鑑三:ヘブル書11-1)
  既に見るところのものは、これを望むの要なし
  解し得ることを信ずるは知識にして信仰にあらず

  信仰の貴きは解し得ざることを信じ、
  理由なくしてでなく愛のゆえに信ずること
  愛の示すところの事を解し得ざる事にこれを信ずる

  有限の我等が無限の神に対して幼心を抱くにいたって救われる
  すなわち、幼子となりて救われる
●見ないで信じる者は幸いなり(ヨハネ伝20-29)
●信仰とは望む所を疑わず、未だ見ざる所を信じ拠り所とすることなり(ヘブル書11‐1)
●先ず最初に一切を理解して、その後にそれに従って初めて実行しようという
 人は、結局、始めないことになる(ヒルティ)
●光明的面に着眼する者、これ信者なり。
 暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり(内村鑑三
●信仰は人によっては迷信のごとくに見える。信仰は確かに一種の冒険である。
 これに従って、あるいは失敗におわるかもしれない。
 しかしながら、信ずる者は信仰の迷信でないことを知る(内村鑑三

★★【その2】につづく★★