■ハウスレスでなくホームレスである理由は?【PJニュース 2010年1月12日】
新たな視点で「ホームレス問題」について考えてみよう。路上生活者のことを「ホーム・レス」と呼ぶが、「ハウス・レス」とは言わない。ここに深い意味と解決策が示されているように思う。「ホーム」の定義について、内村鑑三は興味深い発言をしている。
「求めんと欲して成れるホームは必ず破れん。与えんとして成れるホームのみ幸福なるホームなり」
「ホームはわれの平安を求むるところにあらずして平安を与えるところなり。ホームは幸福の貯蔵所にして採掘所にあらず」(内村鑑三)
自分の安らぎだけを求める「慰安施設」でもなく、家政婦や召し使いの世話を求める所でもなく、自分自身の「持てるもの」を提供できる環境(場所)が「理想のホーム」ではないだろうか。
つまり、「ホーム」とは単なる住居空間に留(とど)まらず「受けるよりも、与える喜び」を実感できる環境(場所)であるといえる。欧米人の大半は仕事が終わると家庭に直行するそうだ。伴侶や子供や家族の話を聞いたり、家事や日用大工や庭仕事などに専念する事でリラックスするという。
家庭の世話をすることで、いつのまにか仕事や外でのイヤの事を忘れてしまえるからだろう。「家庭の世話」はつらい仕事のような義務感からではなく、まさに家庭こそが息抜きになると言う考えだ。
このように「受けるより与える喜び」を体感できるのが「ホーム」の定義とするならば、単なる路上生活者だけが「ホーム・レス」ではなくて、高齢者の独り暮らしや、うつや病疾患などによる「引きこもり」も「ホーム・レス」といえる。
現代日本社会において「ホーム・レス問題」は、単なる路上生活者だけの問題ではなく、現代社会に生きる私たち全員の課題であると認識して対策を考えることも必要だと思う。
そこで、路上生活者のホーム・レス問題を解決するにも、彼等に衣・食・住の緊急支援や日雇い仕事を<施す(与える)>ことも大切だが、いつも「受ける」ばかりの彼らに「与える喜び」を実感できる再起支援プログラムも検討してみてはどうだろうか?
例えば、年末にせっかく集まった彼等をハローワークに送り込むだけではなくて、彼らの中から、路上生活者再起支援策や商店会の活性化や街の風紀改善策など、街中で一日中生活して誰よりも実情に詳しい彼らだからこそできる提案の機会を提供することも有効だと思う。きっと行政やインテリ有識者では思いがけないアイデアや企画が続出すると期待するが、皆さんはどう思われますか?