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「右を打たれたら左を向けよ」の真意

「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ!」の真意について考える【PJニュース 2010年1月26日】
★★PJニュース http://www.pjnews.net/ への掲載記事より★★

日本人の多くは「無抵抗主義」といえば「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」(マタイ伝5章39節)という新約聖書の有名な句を思い出すのではないでしょうか。安全保障を専門とする有名な日本の政治家は国防や平和憲法を語る時に引用して、敵対勢力に無条件に降参・屈服する愚かさの象徴であり、軽蔑すべき態度のように解釈していました。

このように不当・不義・不正にも文句も言わず屈服して、悪に目をつぶり、泣き寝入りする態度であると解釈している人がほとんどではないでしょうか。私自身もそのように思っていました。

しかし、「右の頬」を打たれて、「左の頬」を向けるのは無条件に相手の言いなりになって、屈する態度を示すのでしょうか?

聖書を読み解く事によって、キリスト自身が命じたこの聖句は、不当・不義・不正にも従属すべしという意味どころか、まったく正反対の態度であると私は理解できるようになりました。

想像してみてください。通常は右利きが多いので、顔を打たれるとしたら、先ず「左の頬」を打たれるのが普通です。「右の頬」を最初に打たれるという行為は、「手の甲」で軽くはたかれるような「侮蔑的行為」であることを理解するべきでしょう。つまり、単なる暴力的で肉体的虐待だけでなく、もっと根深い陰湿な精神的虐待までも含まれているのだと思います。

どんなに過酷で立ち直れない侮辱を受けても、頭を垂れることなく、背を向けて退散することなく、踏みとどまって、毅然(きぜん)と真っすぐ「前方」に顔を向ける態度こそが、「右の頬を打たれたら左の頬をも向けよ!」だと私は実感します。

つまり、「右の頬を打たれる」とは侮辱的外圧に対する挫折・失意の状況であり、「左の頬を向ける」行為とは、精神的・肉体的・経済的・社会的屈辱に降参 (ノック・アウト)せずに、何度打たれノック・ダウンしようとも、自己の信念・理想・大義に立ち帰って何度でも立ち上がる行動だといえるでしょう。

例えば、ガンジーキング牧師の非暴力の無抵抗主義が有名ですが、彼等の行動も、不当・不義・不正に屈服するのではなく、泣き寝入りするどころか敵対勢力に徹底抗戦したことは明らかです。

ご存じのようにグーグルが中国政府の検閲で不当・不義・不正な扱いを受けたとして、中国市場から撤退することが報道されています。グーグルにとって中国政府検閲による自由侵害は、まさに右の頬を打たれる侮辱的行為であり、中国政府に屈する事なく抗議して中国事業継続の交渉をするものの、最後には目先の利益を放棄して自由を守る企業理念を選択する「左の頬を向けた英断」は全世界に向けて政治的メッセージとなりました。

「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」というイエス・キリストの言葉は、非暴力の無抵抗主義といっても、悪に目をつぶり、不当・不義・不正の扱いに対して従順な無条件降伏や泣き寝入りするのではなくて、自由と正義のために、自己の信念・理想・大義のために徹底抗戦する事を私たちは理解するべきだと思います。

ところで、「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」という勇気ある決断と実行は、私自身もそうですが、誰もが真っ正直に即断決行することは困難な行動といえます。そこで私のような人間に対して、新約聖書には別の聖句が用意されています。

「ヘビのように賢く、ハトのように純真たれ!」(マタイ伝10章16章)

まさに、赤穂浪士大石内蔵助のように、「右の頬」を打ってくる敵対勢力だけでなく、味方をもあざむくほど手段を選ばず、時にはヘビのようにずる賢く振舞って、しかしあくまでも純真なハトのように、最後の最後には自己の信念・理想・大義に立ち帰って「左の頬を向ける」ことに決起した忠臣蔵に日本人の多くが共鳴することは興味深い現象です。

皆さんが精神的・肉体的・経済的・社会的に「右の頬を打たれる」屈辱体験にあっても、自己の信念・理想・大義に立ち帰る「左の頬を向ける」活躍を心より応援しています!

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい!
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!