■<一日一生:2月15日>(内村鑑三)
●信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
(ヘブル書11ー1)
信仰は人によっては迷信のごとくに見える。
信仰はたしかに一種の冒険である。
これにしたがって、あるいは失敗におわるかも知れない。
しかしながら、信ずる者は信仰の迷信でないことを知る。
信仰は心にひびく神の声に対する信者の応諾である。
彼は形体(かたち)を見ない、
また証明を持たない。
しかしながら彼はたしかに信ずるのである。
しかり、信ぜしめられるのである。
彼にとりては、信仰そのものが見ざるところの物の証拠となるのである。
彼は言うのである。
われに信仰起れり、
ゆえにこれに応ずるの実物なかるべからずと。
実物をもって信仰を証明するのではない、
信仰をもって実物を証明するのである。
これが信仰の力である。
この力なくして、
信仰はこれを信仰と称するにたりない。
★★★
●<信仰と希望>(内村鑑三)
既に見るところのものは、これを望むの要なし
解し得ることを信ずるは知識にして信仰にあらず
信仰の貴きは解し得ざることを信じ、
理由なくしてでなく愛のゆえに信ずること
愛の示すところの事を解し得ざる事にこれを信ずる
有限の我等が無限の神に対して幼心を抱くにいたって救われる
すなわち、幼子となりて救われる
【神の愛=主イエス】を仰ぎ望む【礼拝:★讃美★祈求★感謝】で与えられる無限大の【ダイナミック・パワー:堅信力・耐望力・熱愛力】のおかげで、私たちは自己の心に抱く未実現・未完成の【ビジョン:理想・夢念・大志】実現を信じ望み愛することができます!
●私たちは見えるものでなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的にして、見えないものは永遠に続く(コリント後書4-18)
●目に見える望みは望みではない。何故なら、現に見ていることに、どうして、
なお望む人があろうか。もし、私たちが見えないことを望むなら、私たちは忍耐して、
それを待ち望むのである(ロマ書8-24~25)
●私たちは見えるものによらないで、信仰によって歩いている(コリント後書5-7)
●信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって創造されたのであり、
従って見えるものは、目に見えているものからで成されたのではないことを
悟るためである(ヘブル書11-3)
●失望は不信なり、信仰は無限の希望を意味す(内村鑑三)
皆さんが【神の愛=主イエス】と【信仰:信愛・信頼・信従】で<相思相愛の主従関係>に結ばれて得られる無限大の【ダイナミック・パワー:堅信力・耐望力・熱愛力】と
日々新たな【バイタリティ:生活力=生命力+活力】によって、心に抱く【ビジョン:理想・夢念・大志】に<不屈の楽観・楽天主義>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱血・気迫】で勇進し続けることを心より応援しています!
●君がどんなに遠い夢を見ても、君自身が可能性を信じる限り、それは手の届くところにある(ヘッセ)
●どんな偉大な事業も、はじめは、すべて「夢」にすぎなかったのです(キッシンジャー)
●あなたの夢は何か、あなたの目的とするものは何か、それさえしっかり持っているならば、必ずや道は開かれるだろう(ガンジー)
●気高い夢を見ることだ。あなたは、あなたが夢見たものになるだろう。
あなたの理想は、あなたがやがて何になるかの予言である(ジェームズ・アレン)
●我が口より出づる言葉はむなしく我に帰らず、我が喜ぶところを成し、
我が命じ遺(オク)りしことを果たさんと主は言い給う(内村鑑三)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!