【2013年11月7日に作成した<第621回>に加筆】
◇◇<神愛ご都合主義>で最善に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読に感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
最近の大手メディアの話題に高級ホテル・デパートでの食材偽装問題があります。
世間的には高級食材の偽装が連鎖的に暴露されて全国に波及する最悪事態ですが、
私にとっては、肉食文化根絶への大きな第一歩であり、ビッグ・チャンスです!
日本伝統文化には、肉魚を食材にしない精進料理や肉魚食感の「もどき食品」を
愛好する食文化があります。ソースやスパイスや見た目や食感を工夫することで
<超肉・SURPASS MEAT>でも充分に食を楽しめる事に目覚める時代の始まりです!
●<凋落の希望>(内村鑑三)
葉落ちて枝空し。しかれども知る。芽ならずして葉落ちざることを。
凋落は復活の兆しなり。
世の日に日に朽ち行くは革新の準備すでに成りたるによる。
●<腐敗と希望>(内村鑑三)
社会は日々に腐敗しつつあると聞く、福音は日々に進歩しつつあるを識る。
旧きは日々に失せつつあるなり、新しきは日々に起こりつつあるなり。
落葉の秋に青春の兆しあり、腐敗は万物復興の徴(しるし)に他ならざるなり。
食を愛するグルメ大国の日本民族が世界の食文化革命担当に<召命>されるのは
私のご都合主義ではなく、【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】のご都合主義であり、
【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】が示されていると確信します!
●<成功の期待>(内村鑑三)
成功を期して進めよ、失敗を期するなかれ。
万事をその最善において解せよ、最悪において解するなかれ。
神の治め給うこの世にありて神を信じて事を成す、
永久の失敗あるべき理なし。失敗は一時の現象なり、
永久の事実にあらざるなり。
「誠に善を行うに弛(う)むことなかれ、そはもし倦(う)むことなくば
われら時にいたりて穫り取るべければなり(ガラテヤ書6-9)」
【神の愛=主イエス】は【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】が最善発揮されるために
人間の都合では最悪な出来事こそ<神愛ご都合主義>で導いていると実感できます。
実現可能となりました。
植民地政策・帝国主義は現代に生きる私たちの人道的観点では完全否定されますが、
あの勇猛果敢な大航海時代があったからこそ、現代世界は生まれたことも事実です。
イスラエル再建の預言は不可能だと決めつけていたのに人類最悪の大虐殺とされる
イスラエル建国に目覚めたからこそ実現可能になったことも驚きの歴史的事実です。
イスラエルには今も世界中に散らされた人々が帰還し続けています。
●その日が来れば、主は再び御手を下して御自分の民の残りの者を買い戻される。
海沿いの国々などに残されていた者である。主は諸国の民に向かって
旗印を掲げ、地の四方の果てからイスラエルの追放されていた者を引き寄せ、
ユダの散らされていた者を集められる(イザヤ書11-11~12)
●暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
死の陰の地に住んでいた人々の上に光が輝いた(イザヤ書9-2)
人類歴史上最大の<神愛ご都合主義>は12月25日のクリスマスだと思います。
【神の愛=主イエス】への【信仰:信愛・信頼・信従】を定着させようとしたのは
教会権威の偽証・謀略というよリ、【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】そのものです!
実際の【主イエス】の降誕日は定かで無いとしても、誰が批判したり否定しようと
クリスマスもサンタ・クロースも年末以外では考えられませんね。
●私は初めから、以上のことを確信し、思い巡らした後、こう書き残した。
「主の御業はすべて良く、時が来れば、主は必要なことをすべて満たされる。」
「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。
どんなものも時が来ればその良さが証明される。
さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。主の御名をほめたたえよ
(シラ書〔集会の書〕39-32~35)
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、
むしろ悪から善を生じさせるようにする方がよいと考えられたのである
(アウグスティヌス)
●悪いことの中にも、なにほどかの善の魂がまじっている。
人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア)
私の人生も、【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のおかげで
私の都合ではない<神愛ご都合主義>が働いて万事が<最善>に導かれています!
そうです!「災い転じて<神恵=益>となす」が【御心:聖意・聖旨】です!
●神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて
万事を益となるようにして下さる事を、私たちは知っている(ロマ書8‐28)
●主は言われる、私があなた方に対して抱いている計画は私が知っている。
それは災いではなく平安を与える計画である。
あなた方に将来と希望を与えるためのものである(エレミヤ記29-11)
●神の恵みと助けとが示されているのは、とくに困難な時期に、
いつも我々の暗い運命のどこかある一点が明るくされることによってである
(ヒルティ)
どんなに世間的に最悪の暗闇のどん底状態に落ち込んでも、失敗続きで
自業自得の八方塞がりの降参状態に追い込まれようとも、人間業なら不可能でも
【神の愛=主イエス】の<【神の愛】の御手:導き手・助け手・癒し手>によって
<物の前後>に基づく<最善の最後>に向かっている事を日々益々確信できます!
●【物の前後<The Divine Order(ホレ―シャス・ボナー)>】(内村鑑三)
◆真(マコト)なることは先にして美なる事は後なり。
美なることが先にして、真なることが後なるにあらず。
先ずありのままの森と岩と沢とありて、
しかる後に香しき美しき園はあるなり。
◆善なることは先にして美なることは後なり。
美なることは先にして善なることは後なるにあらず。
先ず荒き野に固き種を下して、しかる後に花は開き枝は茂るなり。
◆喜ばしきは先にして悲しき事は後なるにあらず、
悲しき事は先にして喜ばしき事は後に来るなり。
一度は涙にむせびて(泣かざる者とては世になければ)、
しかる後に憂いを忘れて踊り喜ぶなり。
◆光は先にして暗闇は後に来るべきものにあらず、
先ず暗黒を経過して、しかる後に光明は臨むなり。
先ず黒雲天を覆うて、しかる後に虹顕れる。
先ず一度墓に降りて、しかる後に天に昇るなり。
●信者の生涯は、
始めは悪く終りは善くある。
終りに近づくほど、ますます善くある。
生命(いのち)の夕暮になればなるほど、
彼はなにものか、彼の心の奥深き所に結実しつつあるを感ずる。
人あり、彼に、その生涯の中に最も愉快なりし時はいつか?と聞くならば、
彼は常に今なりと答うるのである。
そうして彼の最後(ラースト)が最善(ベスト)である(内村鑑三)
●善の勝利についての絶望は常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)
●最悪のものでも、最高になる、勇気さえあれば(ブラウニング)
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
あなたには、闇も暗くなく、夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
あなたには、闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)
●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三)
皆さんが【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】で生きる事で
世間的常識では「あり得ない」「そんなバカな」「悪運が強い」と思えるような
<神愛ご都合主義>の<【神の愛】の御手:導き手・助け手・癒し手> が働いて
<最悪・闇・マイナス>こそ<最善・光・プラス>に転じる事を、事前に感謝する
<大確信:必勝・必決・必現>と【大希望:聖望!聖願!聖欲!】を抱きながら
<人生の旗印>【ビジョン:理想・夢念・大志】を高く掲げて活躍されることを
心より応援しています!
●事物の光明的半面に着眼する者、これ信者なり。
暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり。
信者は 常に健康を祝し、成功を讃え、 聖徳をよろこぶ
不信者は 常に疾病を語り、失敗をなげき、悪徳・罪悪を憤る(内村鑑三)
神は善きを視るに敏くして、悪魔は悪を探るに巧みなり。
神は奨励する者にして、悪魔は失望せしむる者なり(内村鑑三)
●神の神たるは人の善きを思うて悪しきを思わざるにあり。
悪魔たるは人の悪しきをのみ思いえて人の善きを思いえざるにあり
(内村鑑三)
●死に勝つに生をもってし、
闇を逐うに光をもってし、
怨を滅するに愛をもってす、
これ神の救済法なり(内村鑑三)
●悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい(ロマ書12‐20)
●神を知って万事ことごとく可なり、知らずしてことごとく非なり。
主を知るは智恵の初めである。
神を知る知識なくして道徳も政治も殖産も無し(内村鑑三:ホセア書4‐3)
●<われのすべて>(内村鑑三)
産を失うも可なり、願わくは神の御顔を見失わざらんことを、
病いに悩むも可なり、願わくは神の御旨(ミココロ)を疑わざらんことを、
人に棄てらるるも可なり、願わくは神に棄てられざらんことを、
死するも可なり、願わくは神より離れざらんことを、
神はわがすべてなり、神を失うて、われはすべてを失うなり。
「われらに父を示し給え、さらば足れり((ヨハネ伝14-8)」
わが生涯の目的は神を視、かれをわが有(モノ)とするにあり、
その他にあらず。
●高尚なる勇ましい生涯とはなんであるかというと、
この世の中はけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、
神が支配する世の中であるということを信ずることである。
失望の世の中にあらずして、
希望の世の中であることを信ずることである。
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、
歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、
その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります
(内村鑑三)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します。
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田中 聡(さとし)