【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

多神教・偶像崇拝も導く【神の愛】!


【2013年11月27日に作成した<第622回>に加筆】
◇◇<偶像崇拝多神教・汎神論・万有神論>も導く【神の愛=主イエス】!◇◇

★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読に感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

日本は無宗教が多数派で、キリスト教会信者は国民の1%レベルと言われています。
一般的に一神教は敬遠され、森羅万象に神宿多神教を尊重する伝統信仰精神が
根ざしているので<神観>が寛容的で何でも活用する気風が私の中にもあります。
キリスト教が受け入れられないのは、無信仰であるからではなく、既成宗教への
懐疑的精神があるからであり、【神の愛=主イエス】は私たち日本民族に対して
21世紀こそは、これ迄お世話になった<欧米型キリスト教価値観>を突き抜けて
世界の人類・動植物だけでなく森羅万象を【神の愛=主イエス】に立ち帰らせる
新たな<宗教観>で世界を霊的救済する【ミッション:大義・使命・天職】が
託されていると私は確信しています!

●<懐疑と破壊>(内村鑑三)
 信ずるは疑うよりも善し、しかれども疑わずして深く信ずることはできない。
 懐疑は信仰のために必要なり。
 建てるは壊すよりも善し、しかれども壊さずして堅く建てることはできない。 
 破壊は建設のために必要なり。
 さらば、恐れずして疑わんかな、大胆に壊さんかな、しかして深遠に信じ、
 永久に築かんかな。 
●欧米諸国においてすでに腐敗の兆を示したキリスト教を取って来て、
 これを日本において復活し、これに新生命を与え、そして再びこれを
 世界に伝布しようとする、これが私たちの天職ではないだろうか
 (内村鑑三

興味深い事に、キリスト教神学の「ユビキタス」もまた【神の愛=主イエス】は、
時空間を超えて、いつどこでも偏在するという考え方です。
日本人が気楽に語る、野球の神様も、トイレの神様も、無機物の神様であろうと、
全神が【神の愛=主イエス】に帰結するとしたら、多神教こそがユビキタスです!

●愛は霊としてこの世に満ち満ちている(ヒルティ)
●神は時おり、自然の出来事や自然の事物を通して、私たちに
 話しかけることもある(ヒルティ)
●世界が造られた天地創造の時から、目に見えない神の性質、
 すなわち神の永遠の力と神性とは、被造物に現われており、
 これを通して神を知ることができる(ロマ書1-20) 
●万物の父なる神は一つなり。神は万物の上に在し、
 万物を貫き、万物の内に在したまふ。
 我等はキリストの賜物の量に従ひて、おのおの恩恵を賜はりたり
 (エペソ書4ー6~7)
●万物は、天あるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、
 位(王座)も、主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。
 これら一切のものは御子によって造られ、御子のために造られたのである
 (コロサイ書1-16)

日本のプロテスタント系のキリスト教会信者の多数派は、多神教を「偶像崇拝」と
みなして否定的です。靖国神社参拝を批判したり、カトリックならば尊重される
【マリア信心】までも否定的のようです。

私は新興宗教オウム真理教でも、エホバの証人も、統一教会でも、完全否定せず、
神社仏閣で楽しく参拝するし、靖国参拝も大好きです。どこにいても礼拝する時は、
先ずは【主の祈り】を捧げて、【神の愛=主イエス】に立ち帰ることを讃美します!

私も【聖書】を学んだ当初は、「マリア信仰」は偶像崇拝と決めつけていました。
しかし「心のともしび運動」創設者ハヤット神父とのメールの霊的交流のおかげで
【マリア信心】の<礼拝スピリット>を体得することが出来ました。
★★詳細は以下の過去メルマガをご参照下さい★★
■【マリア信心】⇔礼拝スピリット!
■【マリア信心】は<万全策>!

今では十字架ネックレスと指ロザリオと【不思議のメダイ】を肌身離さずに
聖マリアへの祈りも【主の祈り】と共に、毎日欠かさず讃美しています!
●原罪なくして宿り給いし聖マリア、
 御身に
 依り頼み奉る
 我らのために祈りたまえ、アーメン
<O Mary, conceived without sin, pray for us who have recourse to thee.>
 
こんな私は【神の愛=主イエス】への確信的絶対的【信仰:信愛・信頼・信従】が
ありますが、どこの教会・宗派にも帰属せず、神学的資格も洗礼も受けていないし、
世間的・教会的視点では無宗教といより異端者で「狂信的偶像崇拝者」の存在です。

7年前の私は個人的福音伝道事業が社会的・経済的・肉体的・精神的に追い込まれ
成功しないのは、洗礼を受けず牧師の資格も無く《もぐりの医者》のような存在で、
「そうか、だから、私の伝道活動は思い通りに花開くことなく、【霊的パワー】も
ないのかもしれない・・・」と弱音を吐いてしまうことがたびたびありました。
そのたびに誰かに【洗礼】さえしてもらえば事態は改善して【洗礼】を受ければ
【弱さ】を克服できる!と自分の都合であがき苦しんだものです。

そこで約束無しで、偶然立ち寄ったカトリック教会で初対面の神父に【洗礼】を
お願いしてみました。実は、ある外国映画のシーンでカトリックでは思い立ったら、
直ぐに【洗礼】してくれるという会話を思い出したからです。
一方で一般的にプロテスタント教会は教会にある程度通わないと簡単に【洗礼】を
してもらえないと聞いた事があったので、カトリック教会を訪問したのです。

ところが、突然訪問したこともあったのでしょう、私の身勝手な都合と立場では、
残念ながらそ【洗礼】をしてくれませんでした。
また、ある時はテレビ伝道の有名牧師の関係者を通じて頼んだことがありましたが、
いつになっても連絡がありませんでした。

今日現在の私にとって、誰からも【洗礼】を受けいていない自由人ということを
心から感謝しています!私にとって【洗礼】こそが<偶像崇拝>であるからです!
授けてくれるのは【神の愛=主イエス】その方であり、教会制度や人を介さずとも
【神の愛=主イエス聖霊】は私たちを直接<召命>してくれる事を感謝します!

●あなた方が私(主)を選んだのではない。
 私があなた方を選び見出したのである。
 そして、あなた方を立てた。
 それは、あなた方が進んで行って実を結び、
 その実がいつまでも残るためである。
 また、私の名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、
 私があなた方を任命したのである(ヨハネ伝15-16)
●真理は教会より大なり(内村鑑三
●神は何らかの教会制度や、さらにある一定の学問の中に限られてはいない。
 そのようなものがなくとも、神は自らを知らしめ給う(ヒルティ)
●教理を知らないでもクリスチャンである者が少なくない。
 キリスト教は証明せらるべき教義ではなくて、
 生活さるべき一つの生命である(ヘンリー・ドラモンド)
●キリストは教会の救い主にあらずして、世界の救い主なり。
 彼は今や狭き教会を去って広き世界に偏在したまう。
 キリストの教会は世界にして会員は人類なり(内村鑑三

【洗礼】も受けず「クリスチャン」でもなく,教会組織や特定宗派にも属さない
<愛神献霊:自主独立精神・自由・独立>である私の個人的立場だからこそ、
カトリックでも正教でもプロテスタントでも各派宣教組織でも自由に交流できるし、
既成教会組織と異なる、汎神教的信仰・偶像崇拝者としての【個人的福音伝道】が
実現できることを感謝します!ハレルヤ!

●<自由と独立>(内村鑑三
 自由とは、人より何の束縛をも受くることなくして、
 わが身を神の自由にゆだぬることなり。
 独立とは、人に由(よ)らずして、直ちに神と相対して立つことなり。
 神に使役せられんための自由なり。
 神と、顔と顔を合わして語らんための独立なり。
 クリスチャンの自由独立とはかくのごときものなり

日本民族らしい<多神教・汎神論・万有神論>の視点で此の世の万事万物の背後に
【神の愛=主イエス】【御心:聖意・聖旨】と【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】を
見出して、<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>だろうと、此の世の森羅万象を
【神の愛=主イエス】に立帰らせる【ミッション:大義・使命・天職】に決起して
【救国:精神復興&国家再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】の為に
皆さんが活躍されることを心より応援しています!

● 万物は、神より出で、神によって成り、神に帰する
 <別訳>すべては、神から、神によって、神のために存在する
 <別訳>すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている
 栄光がとこしえに神にあるように。アーメン(ロマ書11-36)
●人間はすべて唯一神全知全能なる創造主の作品であり、
 彼の所有物であって他の誰のためでもなく、
 彼が喜ぶかぎりおいて生存するように作られている(ジョン・ロック)
●あなたに委ねられていることを守りなさい。
 そして、俗悪な無駄話と偽りの「知識」による反対論を避けなさい
(テモテ前書6‐20)
●神の神殿と偶像にどんな一致があるか。
 私たちは生ける神の神殿である。神がこう言われているとおりです。
「私は彼らの間に住み、巡り歩く。そして、私は彼らの神となり、
 彼らは私の民となる(レビ記26-12)」(コリント後書6-16)
キリスト教は西洋の宗教ではない、また東洋の宗教でもない。
 キリスト教はこの世の宗教ではない、天国の宗教である(内村鑑三
●<宗教とは何ぞや>(内村鑑三
 宗教とは内的生命である。人には外的生命の他に内的生命がある。
 肉体の生命の他に霊魂の生命がある、
 この世の何物をもってしても与えることの出来ない生命がある、
 財産を奪われ、名誉をそがれ、よし健康を失いてもなお残る者がある。
 それが内的生命である。そして、内的生命を与える者が宗教である。
 ゆえに宗教はこの世に在る者であって、この世の属(もの)でない、
 直(ただ)ちに神より人の霊魂に臨む者であって政府も学府も、
 然り教会も寺院も与えることのできる者でない(内村鑑三
●私たちは踏みなれた生活の軌道から放り出されると、もうだめだと思います。
 が、実はそこに、ようやく新しいよいものが始まるのです(トルストイ
●われわれの真の本質の発展と実現は、
 われわれ自身の知恵よりもすぐれた神の明察にしたがい、
 神の道を踏んで、行わるべきである。
 神の意志は、一般的には聖書を通じて、
 個別的にはわれわれの人生の内的運命を通じて啓示されるが、
 この神の意志を、常にためらうことなく、
 おのれの意志として受けとり、よろこんでそれに一致すること、
 これが人生の最高の課題であり、また神の意にかなう供え物でもある。
 このほかの課題はもはや存在しない。
 この供え物を日々そなえていく人は、神に祝福された人であリ、
 また、われわれの今日の内的宗教観によれば、
 その人は彼自身のため、彼の家のため、
 さらには彼の民族のための、神の祭司である(ヒルティ)

ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します。
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)