【2014年1月1日に作成した<第624回>に加筆】
◇◇<御国:永遠の命・来世・天国>の希望に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★★新年あけましておめでとうございます!
2014年が飛躍の<善き年>になるよう祈念いたします!★★★
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読に感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
明日の存在は認めても、死後に迎える<御国:永遠の命・来世・天国>について
無関心だったり、此の世だけで満足で、存在すら無用な人も多いように感じます。
きっとそのような人々は「幸福な人生」を送っているからだと思います。
一方、私にとっては<御国:永遠の命・来世・天国>は絶対不可欠な存在です!
私の無慈悲・無能無力・無責任ゆえに、多くのペットや動植物を死なせることや
助けるべきなのに見て見ぬふりをして見殺しにしたことも何度もあります。
私の犠牲になった彼らが此の世限りの生涯である事は、私には痛恨の極みであり、
【神の愛=主イエス】が存在するので不条理な此の世限りのはずはなく、絶対に
<御国:永遠の命・来世・天国>があると確信できます!
●これらの小さい者の一人が滅びる事は天に在ますあなた方の父の御心ではない
(マタイ伝18‐14)
●神はその独り子を賜うほどに此の世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである
(ヨハネ伝3-16)
●我が父の愛は無限なり、彼は我の滅びることを欲(ねが)い給わず、
彼は我につきて永久に絶望し給わず、
ゆえに我もまた自己につきて絶望することなく、
彼の無限の愛を信じてはばからずして今日起ちて彼に往かん
(内村鑑三:ルカ伝15‐18・放蕩息子の帰郷)
●女がその乳飲み子を忘れて、その腹の子を憐れまないようなことがあろうか。
たとい彼等が忘れるようなことがあっても、私(主)はあなたを忘れる事はない
(イザヤ書49‐15)
●私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している
「Very Important Person in God's Eye」(イザヤ書43‐4:V.I.P.の語源)
私の都合でなくとも、世界中で不条理・不業な<死・破滅>を遂げた万事万物は、
失われること無く<御国:永遠の命・来世・天国>に先立ったと確信します!
●私は復活<よみがえり>であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる
(ヨハネ書11‐25)
●死は人生の終末ではない。生涯の完成である(ルター)
●生活の目的は自己完成にあり、そして不死の霊の完成は人生の唯一の目的である(トルストイ)
●世の中には生きながら 心の死んでいる者がいる
その身は滅んでも魂の存する者もいる(吉田松陰)
●死はむしろ新しい、より偉大な活動のはじまりであろう(ヒルティ)
●いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、
いやしくも弱気を発してはいけない。
たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ
(坂本竜馬)
●死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし(吉田松陰)
●ときには、死について考えてみないわけにいかない。
死を考えても、私は泰然自若としていられる。
なぜなら、われわれの精神は、
絶対に滅びることのない存在であり、
永遠から永遠にむかって
たえず活動していくものだとかたく確信しているからだ。
それは、太陽と似ており、
太陽も、地上にいるわれわれの目には、
沈んでいくように見えても、
実は、けっして沈むことなく、
いつも輝きつづけているのだからね(ゲーテ)
●死はそれほど恐れることではない。むしろ不十分な生き方を恐れなさい
●明日死ぬつもりで生きなさい。永遠に生きるつもりで学びなさい(ガンジー)
●神を敬う心は、人間の死とともに減びず。
人間の生死にかかわりなく、それは不減なり(ソフォクレス)
●私(主イエス)はよみがえりであり、命である。
私を信じる者は、たとい死んでも生きる(ヨハネ伝11-25)
●彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている(ヘブル書11‐4)
●不死不減はキリスト教の栄光ある発見である(チャニング)
●<わが唯一の武器>(内村鑑三)
「万軍のエホバ宣べ給う、権勢によらず、能力によらず、我が霊によるなり
(セカリヤ書4-6)」と。
政権によらず、武力によらず、ただ神の霊による。
教会によらず、神学によらず、ただ神の聖霊による。
我が武器はただこれのみ。
我はこれによりて己に勝ち、世に勝ち、ついに死に勝たんと欲す。
新年始めに素晴らしい【福音:来世の希望】をご紹介します!
【聖書・真理の御言葉】の霊的解釈によって、私たちの生涯は胎児を1段階として
【神の愛=主イエス】が復活して新天新地誕生までに7段階も有るのです!
1胎児
2人間としての誕生
3新生体験
4肉体の死
死後の世界
①旧約シオール<ハデス>
②シオールには、苦しみの場所と慰めの場所がある
★慰めの場所:パラダイス、アブラハムのふところ
(ルカ伝16-19~)
5復活
★死んでから、新しい肉体に甦るまで中間状態
★携挙の時に、復活の肉体が与えられる
報酬の裁き
❐朽ちない冠(コリント前書9-25)
❐喜びの冠(テサロニケ前書2-19)
❐義の冠(テモテ後書4-8)
❐いのちの冠(ヤコブ書1-12)
❐栄光の冠(ペテロ前書5-4)
6千年王国
①7年間の大患難時代
★不信仰と罪の裁きの期間
★教会は既に天に上げられている
②キリストの地上再臨
★再臨条件はイスラエルの救い
★王としてのキリストが地上に来られ、メシア的王国設立
★自然界の秩序が回復(ロマ書8-18~22)
★神の民は、王なるキリストと共に、千年間、王国支配
★戦争の廃絶
★病の消滅
7永遠の世界
★千年王国の終わりに、白い御座の裁き
考えてみて下さい。神の似姿に造られた私たち人間が此の世の何も知らないままに
死ぬなんてあり得ません!そうです!私たちは胎児の時のように、死後の世界は、
此の世にあっては実態を想像できません。死後の世界の出来事が楽しみです!
自分勝手な自殺が禁じられるのは、<御国:永遠の命・来世・天国>に旅立つ為に
与えられた「天寿・天命」より早めに死んでしまうと早産・未熟児の危険があり、
死後の世界で苦労しなくてはならないからだと私は霊的解釈しています。
皆さんが今も将来もどんなに過酷な患難辛苦に直面して死にたくなっても大丈夫!
たとえ身近な<愛する万事万物:人間・動植物・無機物・想念>が死滅しようとも
【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】は<最高!最善!最美!>に導いて
私たち被造物の理解を越えて、時にかなって<御国:永遠の命・来世・天国>へと
結びつけてくれます!
●天の下では、何事にも定まった時期あり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒すのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、微笑むのに時がある。
嘆くのに時があり、躍るのに時がある。(伝道の書3-1~5)
●神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた(伝道の書3-11)
●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)
●キリスト教は信を先にして、行いを後にするものなり。
天の地よりも高きがごとく、神の意は人の意より高し(内村鑑三)
●私(神)の思いはあなた方の思いと異なり、
私の道はあなた方の道と異なる。
天の地よりも高いように、
私の道はあなた方の道より高く、
私の思いはあなた方の思いよりも高い(イザヤ書55-8~9)
●私(主)がしていることは、今あなたにはわからないが、
あとでわかるようになるであろう(ヨハネ伝13‐7)
●かつて書かれた事柄は、すべて私たちを教え導くためのものです。
それで私たちは、聖書から忍耐と慰めを学んで
希望を持ち続けることができるのです(ロマ書15-4)
●私が、どんなことがあっても恥じることなく、
かえって、試練の時も、いつものように、
キリストのために、大胆に語ることによってキリストのすばらしさが現わされて,
生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと
切に願い、希望している。
私にとって、生きることは、キリストのために良い機会を得たことを意味し、
死ぬことは、さらにすばらしいことを意味する
(ピリピ書1-20~21)
●自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、
神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、
この命すら決して惜しいとは思いません。
<最も大切なことは、自分の使命、すなわち主イエスが私にお与えになった
働きを全うすることです>(使徒行伝20-24)
今日現在の私の霊的解釈では胎児にとって「手足」は不自由で不便でも、誕生後に
重要な機能として事前に与えられたように、私たちが死後の世界に旅立つためにも
此の世では最重要に思われないものでも、死後の世界で必要不可欠なものとして
<最愛の我が子・我が分身>となる<想念>【ビジョン:理想・夢念・大志】が
あると実感しています。
皆さんが新年を迎えて、【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】に通じる
<想念>【ビジョン:理想・夢念・大志】を<最愛の我が子・我が分身>として
掲げて【ビジョン:理想・夢念・大志】重視の処世訓である【山上の垂訓】を胸に
2014年を【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】の心意気で
<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を駆け抜ける活躍を心より
応援しています!
●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を
耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、
また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか
(ヘブル書12‐1~2)
●【山上の垂訓:神の国の福音・天国の道徳】
(マタイ伝5‐2~12、ルカ伝6‐20~23)
◆心に貧しき者は福(サイワイ)なり、天国は即ちその人の有(モノ)なればなり。
◆哀しむ者は福なり、その人は安慰(ナグサメ)を得(ウ)べければなり。
◆柔和なる者は福なり、その人は地を嗣(ツ)ぐことを得べければなり。
◆飢え渇くごとく義を慕う者は福なり、その人は飽くことを得べければなり。
◆あわれみある者は福なり、あわれみを得べければなり。
◆心の清き者は福なり、その人は神をみることを得べければなり。
◆和平(ヤワラギ)を求むる者は福なり、
その人は神の子と称(トナ)えらるべければなり。
◆義(タダシ)きことの為に責められる者は福なり、
天国は即ちその人の有なればなり。
●「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし」
●われらは天職を終了(オワル)までは不滅なるがごとし(リビングストン)
●我が事業の成るまでは我が死なざること、そのことは確実である(内村鑑三)
●「私は30歳。四季はすでに備われており、花を咲かせ、実をつけているはず
である。それが単なるもみ殻なのか、成熟した粟の実であるのかは、私の
知るところではない。もし同志の諸君の中に私のささやかな真心を憐れみ
受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種が絶えずに、
穀物が年々実っていくのと同じである」
●誠に実に汝等に告げん、一粒の麦も地に落ちて死なずば、ただ一つにて残らん。
もし死なば多くの実を結ぶべし(ヨハネ伝12-24)
●見えるものは一時的であって、見えないものは永遠に続く(コリント後書4‐18)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します。
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田中 聡(さとし)