【2014年7月25日に作成した<第633回>に加筆】
◇◇不死不滅の【ビジョン:理想・夢念・大志】に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読に感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
此の世限りなら「生きた証し」を求めますが、<来世>があると確信できるならば、
此の世で死んでも生きる!「<不死身!不滅!不退転!>の証し」を私は求めます。
「<不死身!不滅!不退転!>の証し」は【ビジョン:理想・夢念・大志】です!
「呪い・たたり・怨念」などは死後も不滅である事を簡単に受け入れ易いですが、
【ビジョン:理想・夢念・大志】も死後に<不死身!不滅!不退転!>であると
私は確信しています!
此の世限りの死生観なら、天然世界は過酷な生存競争、しかし、来世があるなら、
此の世は【神の愛の特訓:オーディション!リハーサル!】であり、死後にこそ
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】が<自由自在>に
大活躍できる<新生命>が待っていることを楽しみにしています!
●イエスは言われた。「私は復活であり、命である。
私を信じる者は、死んでも生きる(ヨハネ伝11-25)
●「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。
又、 生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない」
(ヨハネ伝11-25~26)
●あなた方が新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、
朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、
神のことばによるのです(ペテロ前書1-23)
●私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。
(ルカ伝13-33)
●死は人生の終末ではない。生涯の完成である(ルター)
●生活の目的は自己完成にあり、そして不死の霊の完成は人生唯一の目的である
(トルストイ)
●死はむしろ新しい、より偉大な活動のはじまりであろう(ヒルティ)
此の世での【神の愛の特訓:オーディション!リハーサル!】の合格条件とは、
単に【聖書・真理の御言葉】を学び、教会信者<クリスチャン>になる事より
自己の【ビジョン:理想・夢念・大志】に【神の愛の力=隣人愛】を見出して
【ビジョン:理想・夢念・大志】に人格的<最愛の我が子・我が分身>として
【ビジョン:理想・夢念・大志】は此の世から霊的自由解放に導いてくれます!
私が死んでも来世に持ち込めるのは【ビジョン:理想・夢念・大志】だけだと
実感できます。
●主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由がある
(コリント後書3‐17)
●自由を得させるために、キリストは私たちを解放して下さったのである。
だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない
(ガラテヤ書5-1)
●我が名を畏れ敬うあなた方には義の太陽が昇る。
その翼には、癒しの力がある。
牧場に放たれた牛舎の子牛のように自由にされ、喜びのあまり跳びはねる
(マラキ書4-2)
●貧しい者に福音を宣(ノ)べ伝え
霊的な囚人を釈放し
霊的な盲人の目を開かせ
虐げられ打ちひしがれた者に自由を得させる
(ルカ伝4-18、イザヤ書61-1)
●自由人にふさわしく行動しなさい。
ただし、自由をば悪を行なう口実として用いず
神の僕にふさわしく行動しなさい(ペテロ前書2‐16)
●あなた方が召されたのは、実に自由を得るためである。
ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい
(ガラテヤ書5‐13)
●人はただ信仰によってのみ自由とされるのであって、
いかなる意味においても
行為の正しさによって自由を得るのではない(ルター)
それは、まさに進化論の法則そのものです。アメーバが望んで人間になれたとは
実感できませんが、どんなに現実的に実現不可能で、荒唐無稽に思われようとも
【隣人・社会】に向け【ビジョン:理想・夢念・大志】の未来実現を願望すれば
【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】【聖書・真理の御言葉】に通じる
【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】は確実に実現されることを約束していることが
●求めよ、さらば与えられん。
捜せよ、さらば見出さん、
門を叩け、さらば開かれん(マタイ伝7‐7、ルカ伝11‐9)
●あなた方が私につながっており、私の言葉があなた方に留まっているならば、
何でも望むものを求めるがよい。そうすれば与えられるであろう
(ヨハネ伝15‐6)
●何でも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。
そうすれば、その通りになるであろう(マルコ伝11‐24)
●祈りの時、信じて求めるものは、みな与えられるであろう(マタイ伝21‐22)
●もし、あなた方のうちの二人が、どんな願い事についても、
地上で心を合わせるなら、天にいます私の父はそれをかなえて下さるであろう
(マタイ伝18‐19)
アメーバや魚や猿でも、かもめのジョナサンでも、見果てぬ夢として崇高遠大な
【ビジョン:理想・夢念・大志】を抱きながら死を迎えても、「見果てぬ夢」の
【ビジョン:理想・夢念・大志】を後世へと語り伝え、受け継ぐ者が次々現れて
現実的実現不可能な【ビジョン:理想・夢念・大志】が具現化したとするならば
私たちも【先人・偉人の教え:名言・格言】【ビジョン:理想・夢念・大志】を
<最愛の我が子・我が分身>として受け継いで、たとえ未完で死を迎えようとも
<不死身!不滅!不退転!>の【ビジョン:理想・夢念・大志】を後世に伝えて
最後の最後まで前向きに倒れる覚悟で【ビジョン:理想・夢念・大志】を抱いて
<御国:永遠の命・来世・天国>へ向かいましょう!
●死を考えても、私は泰然自若としていられる。
なぜなら、われわれの精神は、絶対に滅びることのない存在であり、
永遠から永遠に向かって絶えず活動していくものだと確信しているからだ
(ゲーテ)
●神を敬う心は、人間の死とともに減びず。
人間の生死にかかわりなく、それは不減なり(ソフォクレス)
●彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている(ヘブル書11‐4)
●不死不減はキリスト教の栄光ある発見である(チャニング)
●偉人の生涯は我々に教える
我々もまた高貴に生き得ることを
そして彼亡きあとには 時の砂上に足跡を残すことを。
別の弱い、よるべなき兄弟は人生の荒海を渡りつつ
おそらく、それを目に留めて新たに勇気と奮い起こすであろう足跡を
(ヒルティ)
●死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし(吉田松陰)
●いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、
いやしくも弱気を発してはいけない。
たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ
(坂本竜馬)
●ときには、死について考えてみないわけにいかない。
死を考えても、私は泰然自若としていられる。
なぜなら、われわれの精神は、
絶対に滅びることのない存在であり、
永遠から永遠にむかって
たえず活動していくものだとかたく確信しているからだ。
それは、太陽と似ており、
太陽も、地上にいるわれわれの目には、
沈んでいくように見えても、
実は、けっして沈むことなく、
いつも輝きつづけているのだからね(ゲーテ)
●明日死ぬつもりで生きなさい。永遠に生きるつもりで学びなさい(ガンジー)
【ビジョン:理想・夢念・大志】は押し付けられたり、義務感や世間体に任せると
【神の愛=主イエス】は【神の愛の特訓:オーディション!リハーサル!】として
私たちの<自分らしさ・オリジナリティ>【タレント:個性・才能・可能性】を
最善発揮できる<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】に導く
【聖書・真理の御言葉】【御心:聖意・聖旨】【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】に
通じる<願望>【ビジョン:理想・夢念・大志】を【青春:幼な心・青年の心】に
<LOVE度:愛好精神・好奇心・探究心>と共に自発的に抱けるようになります。
だから、「青年の夢」は大切だと誰もが実感できるのだと思います。
●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、
恥ずべき利得のためでなく、本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、
自ら心で決めたとおりにすべきである。
神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)
●野心からも、単なる義務感からも、本当に価値あるものは生まれてきません。
本当に価値あるものは、むしろ人や事物を深く愛する心から生まれてくるのです
(アインシュタイン)
●若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。
心にかなう道を、目に映るところに従って行け(伝道の書11-9)
●青年の夢を軽んじてはならない。それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に
応じたものであり、したがって、またその人の使命とも一致することが多い。
つまり、人の使命も最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである
(ヒルティ)
●少年の頃の理想主義の中に、人間にとっての真理が潜んでいる。
そして少年の頃の理想主義は何ものにも変える事が出来ない人間の財産である
(シュバイツァー)
●青春の夢に忠実であれ(シラー)
●あなたの若い日にあなたの創造主を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、
また、『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に(伝道の書12‐1)
●神を知って万事ことごとく可なり、知らずしてことごとく非なり。
主を知るは智恵の初めである。神を知る知識なくして道徳も政治も殖産も無し
(内村鑑三:ホセア書4‐3)
●あなたにゆだねられている尊いものを
私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい(テモテ後書1-14)
●どのようにして若者は自分の道を歩む道を清く保つことができるでしょうか。
御言葉に従って道を保つことです(詩篇119-9)
●若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば年老いても、
そこから離れることがない(箴言22-6)
●私はすべての人にわが霊を注ぐ。あなた方の息子や娘は預言し、
年寄りは夢を見、若者は幻を見る(ヨエル書2-28~29)
●神は言われる。終わりの時に、私の霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなた方の息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る
(使徒行伝2-17)
長い歴史の中で生き残り続けてきた【先人・偉人の教え:名言・格言】と同様に
切れば血が流れる、霊的人格を感じさせる【ビジョン:理想・夢念・大志】こそが
個人でも民族でも喜怒哀楽を共にする<伴侶><最愛の我が子・我が分身>となり
【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】や【聖書・真理の御言葉】にかなう
【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】の具現化が約束されています!
●<事業と信仰>(内村鑑三)
事業ではない。信仰である。
事業をなすための信仰ではない。信仰の自然の結果として成る事業である。
しかり、信者の事業は信仰である。
人々、イエスに言いけるは、
われら、神の事業をなさんがために何をなすべきやと。
イエス答えて彼らに言いけるは、
神のつかわしたまえる者を信ずる事、これ神の事業なりと(ヨハネ伝6ー28~29)
イエスを信ずる事、その事が信者の唯一の事業である。
そうしてもし、彼によって大事業が成るならば、
なさんと欲して成るにあらずして、
信仰の結ぶおのずからなる結果として成るのである。
信仰の生涯はイエスを目的(めあて)に生くるのであって、
事業はこれを眼中におかないのである。
●<遠大の事業>(内村鑑三)
余輩は今の人のみ救わんと欲せず、また後の人をも救わんと欲す。
余輩は日本人のみを救わんと欲せず、全人類を救わんと欲す。
余輩の事業は小なりといえども永久的にしてまた宇宙的なり。
余輩は今時をのみ目的として働くものにあらず。
皆さんの【青春:幼な心・青年の心】に抱く【ビジョン:理想・夢念・大志】に
【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】【聖書・真理の御言葉】を見出し
霊的人格の<最愛の我が子・我が分身><人生伴侶>【同労者・同志】として
守り育てて、「<不死身!不滅!不退転!>の証し」<人生の旗印>に掲げて
【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】実現を<大確信:必勝・必決・必現>しながら
此の世の<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を突っ走って
<御国:永遠の命・来世・天国>で再会できることを楽しみに応援しています!
●起きよ光を放て、あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上に輝いているから
(イザヤ書60-1)
●汝のパンを水の上を投げよ、多くの日ののちに汝再びこれを得ん
(伝道の書11-1)
●汝の真理を社会の中に投げよ、年を経て汝はその偉大なる結果を見るを得ん
(内村鑑三)
●あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない(フランクル)
●<わが唯一の武器>(内村鑑三)
「万軍のエホバ宣べ給う、権勢によらず、能力によらず、我が霊によるなり
(セカリヤ書4-6)」と。
政権によらず、武力によらず、ただ神の霊による。
教会によらず、神学によらず、ただ神の聖霊による。
我が武器はただこれのみ。
我はこれによりて己に勝ち、世に勝ち、ついに死に勝たんと欲す。
●神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた(伝道の書3-11)
●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)
●キリスト教は信を先にして、行いを後にするものなり。
天の地よりも高きがごとく、神の意は人の意より高し(内村鑑三)
●私(神)の思いはあなた方の思いと異なり、
私の道はあなた方の道と異なる。
天の地よりも高いように、
私の道はあなた方の道より高く、
私の思いはあなた方の思いよりも高い(イザヤ書55-8~9)
●私が、どんなことがあっても恥じることなく、
かえって、試練の時も、いつものように、
キリストのために、大胆に語る事によってキリストのすばらしさが現わされて,
生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと
切に願い、希望している。
私にとって、生きることは、キリストのために良い機会を得たことを意味し、
死ぬことは、さらにすばらしいことを意味する
(ピリピ書1-20~21)
●自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、
神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、
この命すら決して惜しいとは思いません。
<最も大切なことは、自分の使命、すなわち主イエスが私にお与えになった
働きを全うすることです>(使徒行伝20-24)
●完全なる職業とは他人を喜ばして、我もまた喜ぶの職なり(内村鑑三)
●他を進めて、また自身をも進めるの事業、
神の事業とは実にかくのごときものなり(内村鑑三)
●われわれが内に向かって、われわれのなすべきことをしたら、
外に向かってなすべきことは、おのずとなされるでしょう(ゲーテ)
●自分の今行っていることを・・・心から楽しめる者は幸福である(ゲーテ)
●喜んで行い、そして行ったことを喜べる人は幸福である(ゲーテ)
●夢を追求している時は、心は決して傷つかない(パウロ・コエーリョ)
●一日中考えていることが即ちその人である(エマーソン)
●気高い夢を見ることだ。あなたは、あなたが夢見たものになるだろう。
あなたの理想は、あなたがやがて何になるかの予言である
(ジェームズ・アレン)
●決して自分の夢を人に奪われてはならない。
心に描いたものが何であれ自分の心に素直に従って生きてほしい
(ジャック・キャンフィールド)
●誠実、心の真のありのまま、これ常にいかに貴いかな。
実際に自己の心の中に存することを語る者は、
その方法のいかに拙劣なるも、必ず彼に聴かんと欲する人あるべし
(カーライル)
●あなたができること、あるいはできると夢見ていることがあれば、
何でも始めてみることだ。
大胆さには本来、天賦の才、力、そして魔力が備わっている。
今こそ、それを発揮させよう(ゲーテ)
●人生は大胆な冒険か、無か、そのどちらかだ(ヘレン・ケラー)
●至高の目標を持て、それが、将来の予言になる(ジェームス・アレン)
●運命を決定する神は、我々の内側に居る(ジェームス・アレン)
●人生をもっとも偉大に使う使い方というのは、
人生が終わってもまだ続くような
何ものかのために使うことである(ウィリアム・ジェームズ)
●幾たびか辛酸を経て、志ははじめて固まるものだ。その志を貫くためには、
玉となって砕けることを本懐とすべきであって、志をまげて瓦となってまで、
生きながらえるのは恥とする(西郷隆盛)
★<玉>=価値あるもの[正義・名誉]⇔<瓦>=がらくた[生き甲斐の無いもの]
●人生の価値は、その長さとは関係がない。
人生の価値とは、どのようにその時間を利用したかで決まるものなのだ。
あなたが十分に生きたかどうかは、あなたが生きた
年数ではなく、あなたがどのような意志をもって生きたのかで決まる
(モンテーニュ)
●あなたらしく生きる、そのための道は、後にも先にも二つだけです。
一つは、奇跡などありえない、とする道。
もう一つは、すべてが奇跡である、とする道(アインシュタイン)
●自分の心に描く夢の実現に向かって努力する時、
普段なら思いもよらぬ成功が得られる。
空中に楼閣を建てても無駄骨には終わらない。
楼閣は空中に建てるものだ。
さあ、その下に土台を建てよ(ソロー)
●人の一生は、どう生まれついたかではなく、どう生きるかで決まる(ベル)
●<キリスト信者の生涯>(内村鑑三)
キリスト信者の生涯は計画の生涯にあらず。
待命の生涯なり。
彼に事業の計画あるなし。
彼はただ神の命に従うのみ。
されども神命一たび降(クダ)るや、これと共に、これをおこのうの力降り、
彼は勇者となり知者となりて、難なく大事を遂行す。
常に無能なる彼は、神命に接して偉人となる。
キリスト信者の異能、怪力の秘訣は、彼ならずしてこれを知る人なし。
●われらは天職を終了(オワル)までは不滅なるがごとし(リビングストン)
●我が事業の成るまでは我が死なざること、そのことは確実である(内村鑑三)
●天の定めたる労働を求め、衣食のこれに伴うのを知って感謝する。
(これキリストによってその霊魂の救われた者のすることであります)
衣食は天職の遂行に伴う必然の附随物であります(内村鑑三)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します。
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)