【2014年9月29日に作成した<第637回>に加筆】
【2003年8月19日に作成した<第313回>の<改訂版・再掲載>】
◇◇黎明近きがゆえに、暗黒は益々甚だし(内村鑑三)◇◇
★★テサロニケ書の【パウロの未来観】で現代を考える★★
●さて兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの来臨と私たちが
みもとに集められることについて、あなた方にお願いすることがある。
霊により、あるいは言葉により、あるいは私たちから出たという手紙によって、
主の日はすでに来たとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、
あわてたりしてはいけない(テサロニケ後書2-1~2)
●誰がどんなことをしても、それにだまされてはならない。
先ず背教のことが起こり、不法の者、すなわち、滅びの子が現われるに違いない。
彼はすべて神と呼ばれたり、拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、
自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する(テサロニケ後書2-3~4)
●禍(ワザワイ)なるかな、彼らは悪を呼びて善となし、善を呼びて悪となし、
暗きを光とし、光を暗きとして苦きを甘しとし、甘きを苦しとする
(イザヤ書5‐20)
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読に感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
☆☆注釈☆☆
本文は2003年当時の霊的メッセージです。私のブログに初訪問された方の
足跡から掘り起こされた再掲載です。ブログ初訪問された方に心より感謝します!
マタイ伝24章には、主イエスの言葉によって【主の再臨】の時への
【前兆】について具体的に示されています。
そして、パウロも【神の啓示】を受けて【主の栄光】の<前兆>として
<真暗黒>がやって来ることを私たちに告げています。
現代の世界も、特に日本はまさに<真暗黒>の<前兆>に匹敵する程に
天変地異や民族紛争や【愛の冷却】が進展し、驚愕で不思議な出来事が
連続多発していると実感します。
●多くの人がつまずき、互いに裏切り憎みあい、多くの偽預言者が起って、
多くの人を惑わし、不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう
(マタイ伝24‐10~12)
●見よ、侮る者たちよ、驚け、そして滅び去れ、
私はあなた方の時代に一つの事をする。
それは人がどんなに説明して聞かせても
あなた方のとうてい信じられないような事なのである(ハバクク書1-5)
今まさに<個人的信仰>が試されています。パウロが警告しているように、
初めに背教者が続出するということは【神の愛=主イエス】への
【信仰ある者】から、誘惑に負け、つまずき、裏切ることになるからです。
日本の報道やメディアの世界には宗教界からの発言が少なく、
どんな事件にも一切沈黙しているように見えることも<宗教の権威>が
失われている象徴のように思います。
これほどに【宗教】が無力で、一方で危険とさえあると思われている事態は
【不法の者】にとっては日本が【悪の支配】にあり、彼らには都合がよく、
一時的勝利であるといえるでしょう。
●背教者続出し、無神論は臆面なく唱えられ、道徳はあざけられ、
人倫は無視せられ、価値は転倒して、昔の悪は今の善として讃美せらるる
(内村鑑三)
さらには賀川豊彦の生きた戦後の1950年代においても、
現在と共通の感慨を抱いて日本の【悪徳腐敗】の危機を嘆き
【信仰復興】を切に訴えていることです。
「二度あることは三度ある」かまたは「三度目の正直」かいずれにしても、
私たちの生きている現代も、過去に負けず劣らずの
<混迷波乱・腐敗堕落の時代>に突入していると実感します。
経済復興や政治改革や社会改良を各分野の権威や専門家や有識者に求めても、
もやは有効で画期的な解決策は見当たらないように思えます。
経済基盤である【根本精神】からの見直し改革こそが必要不可欠だからです。
●経済の背後に政治あり 政治の背後に社会あり
社会の背後に道徳あり 道徳の背後に宗教あり
宗教は始めにして経済は終りなり。
宗教の結果はついに経済において顕れる(内村鑑三)
トラック事故が多発している背景には、不景気のために仕事の取り合いになって、
低料金で厳しいスケジュールでも請け負うことになり、高速料金負担は運転手が
自己負担せざるを得ない運用になっていると報道では聞きます。
苛酷労働に加え、高速道路を避けて普通道路を制限速度オーバーで爆走している
危険極まりない物流体制で維持されている経済活動が正常であるはずがありません。
フランスを筆頭に欧米ならば、運転手組合の長期ストライキとデモが
起きている状態だと言えるでしょう。
市民や社会全体が労使交渉を暖かく支援し受け入れるか、
それとも生命の犠牲をも覚悟して現状の危険な体制を維持させるか、
どちらかを選択する時だといえます。
さらに高速道路の夜間料金軽減化または無料化に早急に踏み切るべきと考えます。
●他のいかなる自由よりも、先ず第一に良心に従って知り、
考え、信じ、かつ言うことの自由を我に与えよ(ミルトン)
私たちの住む日本社会は豊かに発展進歩してきましたが、
一方で何かが足りないと誰もが認めている【不安の時代】でもあります。
誰が平和を維持してきたのかというと、ある勢力は平和憲法だと唱え、
ある勢力は日米安保や政治の力だと、ある勢力は個人の経済的努力だと
唱えているようです。
【神の愛=主イエス】の【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】のおかげであり、
賀川豊彦の説く【相愛互助・互助友愛】のおかげと実感しています。
●あらゆる奥義と知識に通じていても、山をも移す強い信仰があっても、
もし、愛がなければ無に等しい。自分の全財産を人に施しても、
自分の体を焼かれるために渡しても もし、愛がなければ、一切は無益である
(コリント前書13-1~2)
●<世界最大の者>(内村鑑三)
知識をもって腕力に克つべし
信仰をもって知識に克つべし
愛をもって信仰に克つべし
愛は進化の終局なり、最大の能力なり。
愛に達して我らは世界最大の者となるなり。
●<最も貴きもの>(内村鑑三)
富と糧とに優って貴きものは知識なり
知識に優って貴きものは道徳なり
道徳に優って貴きものは信仰なり
信仰に優って貴きものは愛心なり
●<最大の能力>(内村鑑三)
確信と称する活動力ではない、
信仰と称する一種の依頼心である。
これが世界を動かした力である。
先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、
かくて自己は死して神、我にありて生きるに及んで、
我は真個の勇者となる。
現在の儀式化した伝統的宗教組織にも、新興宗教にしても「宗教界」には頼れず、
<人間力>で解決しようとする<多数派勢力>があるおかげで、
個人個人が再発見して体感するには【絶好のチャンス】です!
●愛が愛として存在する間は信仰はいらない。
信仰のための愛ではない。愛のための信仰である(内村鑑三)
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
あなたには闇も暗くなく、夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
あなたには、闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)
●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三)
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、
むしろ悪から善を生じさせるようにする方が善いと考えられたのである
(アウグスティヌス)
●善の勝利についての絶望は常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)
●事物の光明的半面に着眼する者、これ信者なり。
暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり。
信者は 常に健康を祝し、成功を讃え、 聖徳をよろこぶ
不信者は 常に疾病を語り、失敗をなげき、悪徳・罪悪を憤る(内村鑑三)
●神の恵みと助けとが示されているのは、とくに困難な時期に、
いつも我々の暗い運命のどこかある一点が明るくされることによってである
(ヒルティ)
●神は善きを視るに敏くして、悪魔は悪を探るに巧みなり。
神は奨励する者にして、悪魔は失望せしむる者なり(内村鑑三)
●神の神たるは人の善きを思うて悪しきを思わざるにあり。
悪魔たるは人の悪しきをのみ思いえて人の善きを思いえざるにあり
(内村鑑三)
私自身の個人的問題解決も、社会のあらゆる分野で起きている問題解決にも
もはや人間力と【この世の勢力:富・権威・名声】に頼っても解決不可能であり、
【神の愛=主イエス】が定めた【掟】【ゴールデン・ルール(黄金律)】こそが
此の世の<万事・万物>を<最高!最善!最美!>に導く万能解決策です!
●イエスは言われた、
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ』
これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様である。
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』
これらの二つの戒めに、律法全体と預言者とが、
かかっているこの二つの戒めに優る掟はない
(マタイ伝22‐37~40、マルコ伝12‐29‐31、ルカ伝10‐26~28)
●心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、
主なる汝の神を愛せよ(申命記6‐5)
●<愛の順序>(内村鑑三)
第一に神を愛すべし、
第二に世界と人類を愛すべし、
第三に国と国人を愛すべし
第四に自己と家族を愛すべし
●神を知って万事ことごとく可なり、知らずしてことごとく非なり。
主を知るは智恵の初めである。
神を知るに知識なくして道徳も政治も殖産も無し(内村鑑三:ホセア書4‐3)
私たち個人個人が<負債・重荷>として背負っている個人レベルから
地球レベルに至る困難な社会問題や将来問題でも、
どんな<不可能なマイナス・最悪>でも<プラス・最善・可能>となさしめる!
<不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】と
勇気と希望と慰めと励ましを無限に与えてくれる
【ダイナミック・パワー:堅信力・耐望力・熱愛力】と
<一日一生!日々新た>な【バイタリティ:生活力=生命力+活力】が
【神愛力&神愛事業=隣人愛&奇蹟】だと私は実感しています。
●人間を全て皆愛することは、キリストへの愛がなければできないのである
(ヒルティ)
●心を尽くして神を愛せよ、それからあなたの欲することをなすがよい(ヒルティ)
●いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ
単なる幻想である(ヒルティ)
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に超越して
最も多く他を利して最も多く己を利するの道を教えたり(内村鑑三)
●不可能を口にしないのは万事が自分にとり可能であり、
許されていると考えるからである(トマス・ア・ケンピス)
●それゆえ愛は万事に対する能力をもち、
愛しないものならば力尽きて倒れる場合にも、
多くのことを成し遂げる功を奏させる(トマス・ア・ケンピス)
●<幸福と十字架>(内村鑑三)
人類の幸福は 学術の進歩を要す
学術の進歩は 思想の自由を要す
思想の自由は 政治の改善を要す
政治の改善は 人心の洗浄を要す
人心の洗浄は 霊魂の釈放を要す
霊魂の釈放は キリストの十字架を要す
これだけ宗教的に成熟してしまった日本で、既成宗教組織に頼らず、
どうやって【神の愛=主イエス】に立ち帰ろうとする【信仰復興】が
実現されるのでしょうか?
不可能な事などありません!【福音の勢力】が最後には勝利します!
●<勝利の秘訣>(内村鑑三)
我に力なし、しかれども我が全能の神は我が為に活動(ハタラ)き給う。
我に知恵なし、しかれども我が全智の神は我が為に計策(ハカ)り給う。
●<福音の勢力>(内村鑑三)
福音は政治にあらず、しかれども国家を潔む
福音は美術にあらず、しかれども美感を喚起す
福音は哲学にあらず、しかれども思惟を刺激す
福音は産業にあらず、しかれども富を増進す
福音はこの世のことにあらず、しかれども人をその中心において
活かすゆえに活動の全ての方面においてこの世を啓発す。
この世以外の福音こそ、この世を救う唯一の勢力なれ。
●福音は社会のためにあらずして、社会は福音のためなり
福音は顕れたる神の聖旨を実顕せんがために世を造り給いしなり。
福音は目的にして社会は手段なり(内村鑑三)
活動思索の全ての方面においてエホバの神を崇め奉る、
これキリスト教の真実となす。
-天体に神の栄光を探る
-地層に神の御手の工(ワザ)を求む
-詩歌に神の無限の愛をたたえる
-美術に神の美妙の理想を現わす
-農は神と共に神の地を耕すこと
-工は神と共に造化の上に、さらに造化を加えること
-商は神と共に神の物産を広く四方に分かつこと
●世に惨事多きや、福音を説くべし
世に罪悪多きや、福音を説くべし
国家を救わんと欲するや、福音を説くべし
社会を改良せんと欲するや、福音を説くべし
福音は世を救うための神の能(チカラ)なり(内村鑑三)
【神の愛=主イエス】は私たちの勝手都合で選べるのではなく、
先ず【神の愛=主イエス】から私たち個人個人が選ばれなくてはならないことは
明らかです。
●あなた方が私を選んだのではない、私があなた方を選んだのである
(ヨハネ伝15-16)
●クリスチャンとなることは我らが好んでなれることではない。
クリスチャンは神の特別な創造である。
ゆえにこれになるを得て我等はただ神に感謝するのみである(内村鑑三)
現在の日本社会は【神の不在】のような不条理に満ちた出来事が
連続多発するので、まさに個人個人の【信仰精神】が試され訓練されている
【神の愛の特訓:オーディション!リハーサル!】です!
●肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが
魂の父は、私たちの益のために、そのきよさに預からせるために
そうされるのである (ヘブル書12‐10)
●全ての訓練は、当座は喜ばしいものとは思われず、
むしろ悲しいものと思われる。
しかし、後になれば、それによって鍛えられる者に
平安な義の実を結ばせるようになる(ヘブル書12‐11)
●「我が子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から責められ懲らしめられても、
弱り果て力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。」
あなた方は、これを鍛錬(訓練)として忍耐しなさい。
神は、あなた方を子として取り扱っておられるのである
(ヘブル書12-5~7)
●我が子よ、
主の訓練を軽んじてはならない
主の叱責をいとうな
父がかわいがる子をしかるように
主は愛する者を戒める(箴言3‐11~12、ヘブル書12‐5~6)
●あなた方は訓練として耐え忍びなさい。
神はあなた方を、子として扱っておられるのである。
いったい父に訓練されない子があろうか(ヘブル書12‐7)
●神への信頼を失わずに、その試練を切り抜けるならば、
他のいかなる道でも達せられないほど、神に近づく事ができる
(ヒルティ)
「神も仏も本当にいないのか?」「人生で一番大切なものはナンなんだ?」とか
疑問を抱かせる困難に直面する人もいるでしょう。
そして、最悪のどん底を経験して、「そうだ!神は存在する!」
「最も大切なものは【神の愛=主イエス】だ!」と確信できれば合格です!
●神はある時は我等を窮境に追い詰め、
そこに我らの無能なると
神の大能なることを知らしめたまう(内村鑑三)
●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、
腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり(内村鑑三)
●あなた方をキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さった
あふるる恵みの神はしばらくの苦しみの後、
あなた方をいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さる
(ペテロ第1書5‐10)
●私は思う。今この時の苦しみは、
やがて私たちに現されようとする栄光に比べると言うに足りない
(ロマ書8‐18)
●彼(主)は正義に勝ちを得させる時まで
いためられたアシを折ることが無く
くすぶる燈心を消すことも無い(イザヤ書42‐3、マタイ伝12‐20)
●我等は悪を避けんとするよりも、むしろ神と共にあらんことを努むべし
(内村鑑三)
●まっさきに人間に慰めを求めないで神にそれを求めなければならない
(ヒルティ)
自分のこれまでの生き方や現実の社会に疑問を抱き、自己の無力を自覚して
素直に【真理】を求める心になれば、【神の愛=主イエス】は必ず私たちの心に
【聖霊】となって訪れてくれます!
つまり、私たち個人個人の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が
【神の家:神殿・大聖堂・礼拝堂】となるのです!
ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●神の家とは、生ける神の教会のことであって、
それは真理の柱、真理の基礎(土台)なのである(テモテ前書3-15)
●神の神殿と偶像にどんな一致があるか。私たちは生ける神の神殿である。
神がこう言われているとおりです。
「私は彼らの間に住み、巡り歩く。そして、私は彼らの神となり、
彼らは私の民となる(レビ記26-12)」(コリント後書6-16)
●見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者と共に食事をし、
彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。
それはちょうど、わたしが勝利を得て
わたしの父と共にその御座についたのと同様である(黙示録3-20~21)
【心】に訪問した足跡であり【預言書】に示された【預言・夢・幻】そのものです。
●私(主)は我が霊を全ての肉なる者に注ぐ。
あなた方の息子、娘は預言をし、あなた方の老人たちは夢を見、
あなた方の若者は幻を見る。
その日、私はまた我が霊を、しもべ、はしために注ぐ(ヨエル書2-28)
腐敗混乱してしまった時代には、個人でも社会全体でも、
【真理】<正義>を自分の外に求めるのは失望したり危険なだけです。
私たちの<内なる世界><内なる声>【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に
耳を傾け捜し求めましょう!
●【良心】とは人間の行いの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、
悪を戒める神よりの心の声である。人間は心の中に刻まれた法を持っており、
それに従うことが人間の尊厳であり、また、人間はそれによってさばかれる。
【良心】は人間の最奥であり、聖所であって、そこでは、人間はただひとり
神と共にあり、神の声が人間の深奥で響く
(カトリック要理:ロマ書2-15~16)
●神が命じ人が神に応える所に【良心】がある。【良心】は人の神覚である、
人を離れて人が独り神と相対して立つ時に【良心】がある。(内村鑑三)
●道徳は人の道であり、【良心】は神の生命である。(内村鑑三)
●洗礼は肉の汚れを取り除く事ではなくて神に正しい良心を願い求める事です。
(ペテロ前書3-21)
●正しい良心を持ちなさい。
そうすればあなたはいつも喜びをもつことができよう。
正しい良心はずい分たくさんな物事を忍ぶ力を具え、
逆境にあっても、つねにずい分と大きな喜びを覚える
(トマス・ア・ケンピス)
●信仰は聞く事から始まり、聞く事は、キリストについての御言葉から来る
(ロマ書10-17)
●私は思いをこらしつつ愛の息吹に耳をすまし、そのささやきをまことと知り、
それを書き写すのみ、我が内より創るものはない(神曲・煉獄篇第24歌52節)
●クリスチャンは思想の人ではない。
さらばとて、また実行の人でない。
クリスチャンは聖霊の人である。
●神は驚くべき御声をとどろかせ、
私たちの知りえない大きな業を成し遂げられる(ヨブ記37-5)
●あなた方の内に働きかけて御心のままに志望(願い)を起こさせ、かつ実現に
至らせるのは神であって、それは神が善しとされるところだからである。
何事も、つぶやかず疑わないで(不平や理屈を言わずに)行いなさい
(ピリピ書2-13~14)
【神の導き】<神助:祝福・恩恵>を信じて楽しみに待ち望みましょう!
そして私たち各自に託された<人生の旗印>【ビジョン:理想・夢念・大志】を
大切に守り育てて今度こそ【信仰復興】を実現させようではありませんか!
●だから、あなた方は神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、
憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい(コロサイ書3-12)
●<愛の讃歌>(コリント前書13-4~8)
【愛(主イエス)】は耐え忍び寛容である。【愛】は情が深く人の益を図る
【愛】はねたまない、誇らない、高ぶらない、非礼を行わない。
【愛】は己の利を求めない、軽々しく怒らない、人の悪を念(オモ)わない。
【愛】は不義を喜ばないで真理を喜ぶ
全てをおおい包み、全てを信じ、全てを望み、全てを耐えて支える
【愛】はいつまでも絶えることがない
皆さんの心に【神の愛=聖霊】の訪問足跡である【ビジョン:理想・夢念・大志】を
【キリストの手紙】【キリストの御言葉】【御心:聖意・聖旨】として受けとめて
【神愛力&神愛事業=隣人愛&奇蹟】で連帯させる【帯:神愛の絆】となって
【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】で活躍されることを心より応援しています!
●心に植えつけられた御言葉を素直に受け入れなさい。
御言葉にはあなた方の魂を救う力がある(ヤコブ書1‐21)
●キリストの言葉を、あなた方のうちに豊かに宿らせなさい。
そして、知恵をつくして互いに教えまた訓戒し、
詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい
(コロサイ書3-16)
●<キリストの手紙>
汝らは我らの職(ツトメ)により書かれたるキリストの書(フミ)なり、
しかも墨にあらで活ける神の御霊に記され、
石碑にあらで心の肉碑に記されたるなり(コリント後書3-3)
●私の律法を彼等の心に与え、彼等の思いのうちに書きつけよう(ヘブル書10‐16)
●これら一切のものの上に、愛を加えなさい。
愛はすべてを完全に結ぶ帯である(コロサイ書3-14)
●キリストの平和が、あなた方の心を支配するようにしなさい。
あなた方が召されて一体となったのは、このためである。
いつも感謝していなさい (コロサイ書3-15)
●<神に感謝す>(内村鑑三)
我に文才と芸術とあるなし、我は深く神に感謝す。
我に交際の技量あるなし、我は深く神に感謝す。
我は経済の学と術とに暗らし、我は深く神に感謝す。
我は政治を知らず、法律に疎し、我は深く神に感謝す。
我は我は唯(ただ)依頼(よりたの)むを知る、
見えぬ神に依頼むを知る、其他を知らず、深く神に感謝す。
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)