【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

<主の祈り>でビジョンに導く【神の愛】



【2014年11月6日に作成した<第639回>に加筆】
◇◇<主の祈り>依存で【ビジョン】具現化に導く【神の愛=主イエス】!◇◇

★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!

今の私には【神の愛=主イエス】への<祈り>【礼拝:★讃美★祈求★感謝】は
<霊的呼吸>であり、起きてから眠るまでいつどこでも重度の依存症といえます。
しかし最初に祈祷した記念すべき1995年11月11日までの人生36年間は
信仰や宗教への関心はあっても、<主の祈り>も知らない無関心人間でした。

私に<祈り>【礼拝:★讃美★祈求★感謝】依存症に導いてくれた霊的恩人は、
内村鑑三氏の残した著作集です!

●<修養と祈祷>(内村鑑三
 修養は、神によらずして自ら高くのぼらんとするの法なり。
 祈祷は、神によって直ちに潔められんとするの途なり。 
 修養は人の法にして、祈祷は神の途なり。
 われらはプラトン、シセロ、孔子王陽明にならって
 聖人君子と成らんと欲せずして、
 パウロアウグスティヌス、ルーテル、クロンウェルにならって
 クリスチャンたらんことを願うべきなり。
●<われらの礼拝>(内村鑑三
 われらは、僧衣を着けて高壇に上がり、
 聖書を朗読し、聖歌を吟唱し、
 手をひろげて天を仰いで祈り、
 手を按(お)いて人に儀式を施し、
 もってわれらの神を礼拝せんとしない。
 われらの礼拝は教会堂においておこなわれずして、
 あるいは工場において、あるいは田畑において、
 あるいは店頭において、あるいは書斎において、
 その他われらが日々の事業に従事する所において、
 おこなわるるのである。
 「仕事はすなわち祈祷(礼拝)なり」である。
 われらはわれらの日常の仕事をもって神を礼拝せんと欲するのである。
 礼拝の簡単または欠乏のゆえをもってわれらを責むる者に、
 われらはこの事をもって答うるのである。
●この世における人間の主な目的は神の栄光をたたえ
 永遠にわたって神をよろこぶ事である(クロムウエル時代の簡略教理問答書)

特に、内村解釈による<主の祈り>が私の信仰人生を大転換させてくれました。
ご存じのように世界一簡潔な祈祷といわれる<主の祈り>は【主イエス】自身が
私たち人類に示された【三位一体:父・子・聖霊】への<祈り方>です。

●【主の祈り】(マタイ伝6-9~13、ルカ伝11-2~4)
 天に在(マ)します我等の父よ
 願わくは聖名(ミナ)を崇(アガ)めさせ給(タマ)え
 聖国(ミクニ)を臨(キタ)らせ給え
 聖旨(ミココロ)の天に成るごとく地にも成させ給え
 我等の日用の糧を今日も与え給え
 我等に負債(オイメ)ある者を我等が赦(ユル)す如く我等の負債をも赦し給え
 我等を試探(ココロミ)に遭(ア)わせ給うなかれ
 悪より救い出し給え
 国と権(チカラ)と栄えとは窮(カギリ)なく汝の有(モノ)なればなり
 アーメン
●あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
 隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、
 隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる
 あなた方が祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
 異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
 彼らのまねをしてはならない。あなた方の父は、願う前から、
 あなた方に必要なものをご存じなのだ。
 だから、こう祈りなさい。(マタイ伝6-6~9)

先ず<主の祈り>が「私」でなく「我等」とあることが感動的大発見でした。
それまで私の理解する<祈り>は、自己救済のご利益追求型でありましたが、
「我等」には、人間だけでなく、動植物や此の世の<万事・万物>が含まれ、
最近は【ビジョン:理想・夢念・大志】【ミッション:大義・使命・天職】も
含まれていると体感できます。つまり自己中心の私でも「世の為、人の為」の
慈善事業・チャリティ活動に、いつどこでも、この身一つで献身できるのです!
今日現在、身近でも世界中でも、苦難の中で祈る気力も失った人間や動植物や
此の世で忘れられ見捨てられた<万事・万物>を【神の愛=主イエス聖霊】に
救済嘆願を直訴できる【礼拝:★讃美★祈求★感謝】が<主の祈り>です!

●生きるという事は、神の栄光のために、また全ての人の幸せのために、
 できる事をやることです(マザー・テレサ
●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。
 なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
 御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、
 私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)
●夕べに、朝に、真昼に、私が嘆き、うめけば、主は私の声を聞かれる。
 たとい私を攻める者が多くとも、主は私が戦う戦いから、
 私を平和のうちに救い出してくださる。
 私と争い挑む者が多いから(詩篇55-17~18)
●「エゴ」を生かして、人に尽くせ(曽野綾子)
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に、
 超越して最も多く他を利して、 
 最も多く己を利するの道を我に教えたり(内村鑑三
●ある程度は、他人のために心配したり、はたらいたりしなければ、
 どんな人も精神的に健康を保つ事はできない(ヒルティ)

もし私の人生に<主の祈り>が無いとしたら、個人的にも世界中で起きている
未解決問題の悲惨・不安・恐怖・憤怒で<霊的呼吸困難>状態になってしまい
<不義・不正・不実>不純・不潔の私ならば、<霊死>していたことでしょう。
<主の祈り>を繰り返すたびに、無慈悲・無責任・無関心・無知無能な私でも
<一日一生!日々新た>に充霊<パワー・アップ&アップ・グレード>されて
霊性:魂[勇気]・善意・良心】を<不死身!不滅!不退転!>にさせます!

●イエスに対する【貴い愛】は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、
 人を励まし、いつもいっそう完全な徳を望むように仕向けさせる。
 愛は常に向上を欲して、いかなる、いと低い事物によっても
 引き停められることを望まない(トマス・ア・ケンピス)
●何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとを
 ささげ、あなたがたの求めるところを神に打ち明けなさい。 
 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
 あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう
(ピリピ書4-6~7)
●思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、
 どんな困難な状況にあっても、正しいやり方である(ヒルティ)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
 これに対抗することはできるであろう。
 私は神のおかげで困難になれてきた。 
 神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
●幸福とは神と共にある事である。それに到達する力は魂の声なる勇気である
ヒルティ)

今日現在の私は確信できますが、20年前に最初の<主の祈り>を唱えたのは
誰も見ていないトイレの中で、私など聞いてもらうだけで恐れ多い<神様>に
独り善がりで多少恥ずかしい半信半疑気分で始まり、今では病みつきです!
何故なら、【神の愛=主イエス聖霊】は確実に応答してくれるからです!

●私たちの生きた祈りと賛美が少しでもあるなら、
 神様は千里の道をかけてでも私たちに会いに来てくださるだろう
(アーロンド)
●神様は天高く遠くにおられるが、祈るなら神様がこの地に降りてこられ、
 さらに神様の能力と私たちの努力を結び付ける(ガースパリン)
●苦難の中で、私が叫ぶと、主は答えてくださった。
 陰府の底から、助けを求めると私の声を聞いてくださった(ヨナ書 2-3)
●何事も思い煩ってはならない。
 ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、
 あなたがたの求めるところを神に打ち明けなさい。
 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、
 あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう
(ピリピ書4-6~7)

私は効果が無いなら飽きっぽくて三日坊主なのですが、義務的強制も無くても
今日まで依存度が日々増強されてきたのは、【神の愛=主イエス聖霊】と
【御心:聖意・聖旨】【聖書・真理の御言葉】【神の愛の方程式=摂理】が
具現化される【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】を此の世や我が身に体感できます!

●悲しみ憂えてはならない。主を喜び祝うことこそ、
 あなた方の力の源であるからだ(ネヘミヤ記8-10)
●あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通して
 あなた方を永遠の栄光へ招き入れて下さったあふるる恵みの神御自身が、
 しばらくの苦しみの後、あなた方を癒し、完全な者とし、強め、力づけ、
 堅く立たせ、揺らぐことがない不動の者にしてくださる(ペテロ前書5-10)

ところで最初は<私の心>に粘着する<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の
霊的拒絶反応が強大な<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>となり
【礼拝:★讃美★祈求★感謝】を【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】に
落ち込まされますが、それも【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】です!
人生最強最悪の宿敵勢力である<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>のお陰で
私の【礼拝:★讃美★祈求★感謝】は鍛錬され光輝く<神愛武具>となりました。

●私の敵よ、私のことで喜ぶな。たとえ倒れても、私は起き上がる。
 たとえ闇の中に座っていても、主こそ我が光なり(ミカ書7-8)
●光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった(ヨハネ伝1‐5)
●主よ、あなたは私の灯りを輝かし、神よ、あなたは私の闇を照らして下さる
イザヤ書42-16)
●暗闇と死の陰に座している者たちを光で照らし、我らの歩みを平和の道に導く
(ルカ伝1-79)
●彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神の御もとに立ち帰らせ、
 こうして彼らが私(主)への信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた
 人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである
使徒行伝26-18)
●暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。
 死の陰の地に住んでいた人々の上に光が輝いた(イザヤ書9-2)
●夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を
 身に着けましょう(ロマ書13-12)
●悪魔の策略に対抗して立つ事ができるように、神の武具を身に着けなさい
(エペソ書6-11)
●だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、
 しっかりと立つ事ができるように、神の武具を身に着けなさい
(エペソ書6-13)

<主の祈り>は個人や民族国家や全人類の【ビジョン:理想・夢念・大志】を
具現化する<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を守り導く
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】が示されているので
<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の<誘惑・試探・試練>を軽減させて
<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>から遠ざけてくれるように
祈りなさいとの【主イエス】自身の命令は<逃げ腰・及び腰・弱腰>の弱気で
臆病意気地なしの私には<歓喜!感動!感謝!>の<神助:祝福・恩恵>です!

●今の私があるのは、ただひとえに、あふれるほどに注がれた神様の恵みと、
 あわれみとのおかげです。実際に働いたのは私ではありません。 
 神が私の内部で働き、祝福してくださったのです(コリント前書15-10) 
●主は言われた「私の恵みはあなたに対して十分である。
 私の力は弱いところに完全にあらわれる。」
 それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ
 喜んで自分の弱さを誇ろう(コリント後書12-9)
●私はキリストのためならば、
 弱さと侮辱と危機と迫害と行き詰まりとに甘んじよう。
 何故なら、私が弱い時にこそ、私は強いからである(コリント後書12-10)

最初は圧倒的に<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の血祭りに遭いますが、
今では<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>による<患難辛苦>は
<不屈の楽天楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】の
燃料源になって【悪:無知・無関心・無責任】を<善:【神愛力=隣人愛】>に
<闇・マイナス>を<光・プラス>へと善循環のリサイクル化しています!

●<神の救済法>(内村鑑三
 死に勝つに生をもってし、暗(ヤミ)に逐つに光をもってし、
 怨を滅ぼすに愛をもってす、これ神の救済法なり
●怨に酬ゆるに徳をもってし
 憎に対するに愛をもってし
 悪に対するに善をもってする (内村鑑三
●悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい(ロマ書12‐20)
●泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる
詩篇30-6)<夕方に泣き悲しむことが宿っても朝には歓呼の声がある>
●苦しみ悩みのうちから、私の主を呼び求めた
 主は私に応えて、私を広いところに置かれた(Set me fre e)
 主は私の味方、私は恐れない
 人は私に何ができようか(詩篇118-5~6)

ハリウッド映画でパニックや戦闘シーンで主人公が<主の祈り>を唱えるように
世界でも日本周辺も経済破綻・戦争勃発の大危機に直面して、大災害・大混乱も
多発し、個人・民族において精神的に<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>が
強大化する真夜中の現代だからこそ、【神の愛の力=隣人愛&奇蹟】に光輝いて
闇を光に転じる<主の祈り>【礼拝:★讃美★祈求★感謝】が求められています。
<主の祈り><神愛武具>で武装する<福音の戦士>【福音の勢力】の心意気は
<不屈の楽天・楽観力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊能活気力】の
【常時歓喜!不断祈求!万事感謝!】に満ちあふれています!

●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、目を覚まして、
 うむことなく根気よく全ての聖徒のために祈り続けなさい(エペソ書6-18)
●【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】
 いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
 これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである
 (テサロニケ前書5‐16~18) 
●熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みを抱いて喜び、
 患難に耐え忍び、常に祈りなさい(ロマ書12-11~12)
●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、
 目を覚まして、うむことなく根気よく全ての聖徒のために祈り続けなさい
(エペソ書6-18)
●目を覚まして、感謝を込めて、ひたすら祈り続けなさい(コロサイ書4-2)
●あなた方の中で苦しんでいる人は、祈りなさい。
 喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい(ヤコブ書5-13)
●思案したり、心配したりせずに、祈りかつ働くことが、
 どんな困難な状況にあっても、正しいやり方である(ヒルティ)

皆さんの抱く<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】に
<生き様・死に様>【ミッション:大義・使命・天職】を見出して確信に導き
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生に導く
<主の祈り>で<神愛武装>する<光の子><福音の戦士>【福音の勢力】で
<闇・マイナス>を<光・プラス>に善循環リサイクル化することによって
【悪:無知・無関心・無責任】を<善:【神愛事業=隣人愛&奇蹟】>に転じて
【救国:精神復興&国家再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
活躍されることを心より応援しています!

●<最も貴きもの>(内村鑑三
 富と糧とに優って貴きものは知識なり
 知識に優って貴きものは道徳なり
 道徳に優って貴きものは信仰なり
 信仰に優って貴きものは愛心なり
●<最大の能力>(内村鑑三)
 確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。
 これが世界を動かした力である。
 先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、かくて自己は死して
 神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。
●<世界最大の者>(内村鑑三)
 知識をもって腕力に克つべし
 信仰をもって知識に克つべし
 愛をもって信仰に克つべし
 愛は進化の終局なり、最大の能力なり。
 愛に達して我らは世界最大の者となるなり。 
●起きよ!光を放て!あなたを照らす光が臨み、
 主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
 見よ。暗闇が地をおおい、暗黒が諸国の民をおおっている。
 しかし、あなたの上には主が朝日の如く輝き、
 その栄光があなたの上に現われる。
 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。 
 目を上げて、見渡すがよい。みな集まって、あなたのもとに来る。
 あなたの息子たちは遠くから来、娘たちはわきに抱かれて来る。 
 そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、
 あなたの心はどよめき喜びに輝く。
 海からの宝はあなたに送られ、国々の財宝はあなたのもとに集まる
イザヤ書60-1~5)
●光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。
 明らかにされるものはみな、光となるのです。
 それで、こう言われています。
「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。
 そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」(エペソ書5-13~14)
●<希望>(ヒルティ)
 十字架は重いが、ふしぎなことに
 おまえがそれを担うやいなや。それがおまえを担ってくれる
 初めは闇夜だが、行く手は真昼の明るさ
 その道を進む者は「勇者」と呼ばれる
 おまえの力は小さくとも
 おまえが帰依した主の力は偉大だ
 おまえの星は暗い夜空に輝きわたり
 今日は死に、明日はいのちによみがえる
●こうして預言の言葉は、私たちにいっそう確実なものとなった。
 あなた方も、夜が明け、明星がのぼってあなた方の心の中を照らすまで、
 この預言の言葉を暗闇に輝く灯火として、それに目を留めているがよい
 (ペテロ第ニ書1‐19)
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、
 神は聞き入れて下さる。これが神に対する私たちの確信である。
 私たちは、願い事は何でも聞き入れて下さると分かるなら、
 神に願ったことは既にかなえられていることも分かる
 (ヨハネ第1書5-14~15)
●真の祈りはただの祈りではない。一種の預言である。
 即ち必ず成就すべき事を
 前もって語に表することである(内村鑑三
●心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世には無い
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。
 そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●神は約束したことを成就することができると確信した(ロマ書4-21)
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、神は聞き入れてくださる。
 これが神に対する私たちの確信である(ヨハネ第1書5-14)
●私は初めから、以上のことを確信し、思い巡らした後、こう書き残した。
「主の御業はすべて良く、時が来れば、主は必要なことをすべて満たされる。」
「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。
 どんなものも時が来ればその良さが証明される。
 さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。主の御名をほめたたえよ
(シラ書〔集会の書〕39-32~35)
●あなたに備えられているものをすべて生かし抜きなさい。
 神はあなたの、その善き意志を助けてくださるだろう(トマス・ア・ケンピス)
●光の子らというのは、たしかに、尋常ならぬものに対して敏感であり、
 かつ求めてやまぬ人たちのことである。
 彼等はまず、飲み、食い、そして明日は死ぬということ以外に、
 もうすこし良いものが地上にあることを願い、
 このやみがたい願いと意志とから出発して、次第に信仰に、
 そして最後には確信に、到達する人たちである(ヒルティ)

ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)