【2016年2月5日に作成した<第660回>に加筆】
◇◇【ビジョン】を<全焼のいけにえ>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
今日現在、病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
<対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
<身元不明者>に【信仰:信愛・信頼・信従】して行く先不明の<約束の地>を
目指し続ける【ビジョン:理想・夢念・大志】を<人生の旗印>に高く掲げながら
<召命>の【ミッション:大義・使命・天職】を見事に完遂した<先駆者>です!
●主はアブラムに言われた、「あなたは生まれ故郷の国を出て、親族に別れ、
父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。(創世記12-1)
●信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しを
こうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った
(ヘブル書11-8)
●神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、
その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです
(ロマ書4-13)
●私は確かにあなた(アブラハム)を大いに祝福し、あなたの子孫を天空の星、
海辺の砂のように数多く増し加えよう。そして、あなたの子孫は、
その敵の門を打ち取り、あなたの子孫によって、地の全ての国々の民は
祝福を受けるようになる。あなたが私の言葉に聞き従ったからである
(創世記22-17~18)
●神がアブラハムに対して約束された時、指して誓うのに自分よりも
上の者がないので、御自分を指して誓って言われた。
「私は必ずあなたを祝福し、必ずあなたの子孫とを祝福し余りあるほどに
増し加えよう(へブル書6-14)」
このようにして、アブラハムは忍耐強く待ったので、約束のものを得た
(ヘブル書6-13~15)
●神は、約束のものを受け継ぐ人々に、御自分の計画の不変であることを、
いっそうはっきりと示そうと思われ、誓いによって保証されたのである。
それは、目指す希望を持ち続けようとして、世を逃れてきた私たちが、
偽ることのあり得ない神によって立てられた二つの不変の事柄によって、
力強く励ましを受けるためである (ヘブル書6-17~18)
●人が信仰によって救われるというのは信仰の結果によって救われる
というのではない。信仰そのものが既に彼の完全なる救済であると
いうのである(内村鑑三)
●彼(アブラハム)は神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって
信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また
成就することができると確信した(ロマ書4‐20~21)
●これらの人はみな、信仰を抱いて死んだ。
まだ約束のものを受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、
そして、地上では旅人であり寄留者であることを自ら言い表した
(ヘブル書11‐13)
●彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている(ヘブル書11‐4)
●すべて彼(主イエス)を信じる者は失望に終わることがない(ロマ書10―11)
たとえ宗派に属する教会的信者でなくて、たとえ【聖書】を知らなかったとしても
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に身元不明の<内なる声>として働きかけて
未実現の<最愛の我が子・我が分身><願望>【ビジョン:理想・夢念・大志】を
心に思い描かせて<召命>【ミッション:大義・使命・天職】に導いてくれる事は
<歓喜!感動!感謝!>です。
●【良心】とは人間の行いの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、
悪を戒める神よりの心の声である。人間は心の中に刻まれた法を持っており、
それに従うことが人間の尊厳であり、また、人間はそれによってさばかれる。
【良心】は人間の最奥であり、聖所であって、そこでは、人間はただひとり
神と共にあり、神の声が人間の深奥で響く
(カトリック要理:ロマ書2-15~16)
●神が命じ人が神に応える所に【良心】がある。【良心】は人の神覚である、
人を離れて人が独り神と相対して立つ時に【良心】がある。(内村鑑三)
●道徳は人の道であり、【良心】は神の生命である。(内村鑑三)
●洗礼は肉の汚れを取り除く事ではなくて神に正しい良心を願い求める事です。
(ペテロ前書3-21)
●神が人に命じ人が神に応ふる所に【良心】がある。【良心】は人の神覚である。
人を離れて人が独り神と相対して立つときに【良心】がある(内村鑑三)
●人間が生まれつき持っているところの良心の命令、
道理上かくせねばならぬという当為当然の道、
それはすべて実行するのである(吉田松陰)
私たちの心に働く【霊性:魂[勇気]・善意・良心】は<大聖堂・聖所>であり
私たちを導いてくれます!
●私たちは見えるものでなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的にして、見えないものは永遠に続く
(コリント後書4-18)
●見えるものは暫時(シバラク)にして、見えざるものは永遠(トコシエ)に至る
(コリント後書4-18)
●目に見える望みは望みではない。
何故なら、現に見ていることに、どうして、なお望む人があろうか。
もし、私たちが見えないことを望むなら、
私たちは忍耐して、それを待ち望むのである(ロマ書8-24~25)
●私たちは見えるものによらないで、信仰によって歩いている
(コリント後書5-7)
●信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって創造されたのであり、
従って見えるものは、目に見えているものからで成されたのではないことを
悟るためである(ヘブル書11-3)
●信仰は人によっては迷信のごとくに見える。信仰は確かに一種の冒険である。
これに従って、あるいは失敗におわるかもしれない。
しかしながら!、信ずる者は信仰の迷信でないことを知る(内村鑑三)
●信仰と希望(内村鑑三:ヘブル書11-1)
既に見るところのものは、これを望むの要なし
解し得ることを信ずるは知識にして信仰にあらず
信仰の貴きは解し得ざることを信じ、
理由なくしてでなく愛のゆえに信ずること
愛の示すところの事を解し得ざる事にこれを信ずる
有限の我等が無限の神に対して幼心を抱くにいたって救われる
すなわち、幼子となりて救われる
●見ないで信じる者は幸いなり(ヨハネ伝20-29)
●信仰とは望んでいる事柄を保証し、未実現の見えないものを確信させる事である
(ヘブル書11-1)
●信仰を、どう定義したらよいでしょう。
それは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信です。
また、何が起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが
必ず待ち受けていると信じて、疑わないことです(ヘブル書11-1)
●信仰とは望む所を疑わず、未だ見ざる所を信じ拠り所とすることなり
(ヘブル書11‐1)
皆さん御存知の「息子イサクを献納するアブラハム(創世記22-1~19)」は
クライマックス的出来事で有名です。
<身元不明の存在>に【信仰:信愛・信頼・信従】<忠義・忠信・忠誠>で生きて
晩年にようやく<最愛の我が子・我が分身>のイサクを与えられたにもかかわらず
<聖なる山>を登って<全焼のいけにえ>として返還しなさいと命じられます。
そして、命令通りアブラハムが<全焼のいけにえ>として命を奪おうとした時に、
【信仰:信愛・信頼・信従】が認められ<神愛の祝福>が与えられます。
仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」
御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。
その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることが
よくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないで
わたしにささげた。」(創世記22-11~12)
そこでアブラハムが<最愛の我が子・我が分身>イサクと共に<携帯>したものは
●アブラハムは、焼き尽くす献げ物(全焼のいけにえ)に用いる薪を取って、
息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。
二人は一緒に歩いて行った(創世記22-6)
現代に生きる私たちにとって<最愛の我が子・我が分身>である「イサク」とは
「火」とは【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に宿り光輝き照らし働いてくれる
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】<お任せ人生>による
【信仰:信愛・信頼・信従】精神と【礼拝:★讃美★祈求★感謝】の実践であり、
「刃物」は霊的に活かし挑戦に導く【聖書・真理の御言葉】と霊的解釈します。
●救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、
神の御言葉を受け取りなさい(エペソ書6-17)
●イエスは答えて言われた。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る
一つ一つのことばによる。(申命記8-3)」と書いてある(マタイ伝4-4)
●神の言葉は生きていて、力があり、
もろ刃の剣よりも鋭くて精神と霊魂と関節と骨髄とを切り離すまで刺し通して、
心の思いと志とを見分けることができる(ヘブル書4-12)
●主のみおしえは完全で、魂を生き返らせ、
主のあかしは確かで愚かな者を賢くする。
主の戒めは正しくて人の心を喜ばせ、
主の仰せは清くて人の目を明るくする(詩篇19-7~8)
そうです!私たちもアブラハム信仰に見習って<最愛の我が子・我が分身>である
【ビジョン:理想・夢念・大志】を自力や自助努力で具現化しようと気張らずに、
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】の「薪」を最善発揮して
【聖書・真理の御言葉】の「剣」をもって活き活きと挑戦して具現化しましょう!
<全焼のいけにえ>としたなら、連戦連敗で世間的絶望のどん底状態にあろうと
【ビジョン:理想・夢念・大志】だけは<不死身!不滅!不退転!>に活かされて
私たちには<最善の最後>が約束された圧倒的完全大勝利!が待っています!
●<最善の最後>(内村鑑三)
信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
終わりに近づくほど、ますます善くある。
最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
●The Best is yet to come!
<最善の時はこれからだ!>(ロングフェロー)
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三)
●人の心には多くの計画がある。しかし、主のはかりごと(御旨)だけが成る
(箴言19-21)
●我らのつとめは成功にあらず。失敗にたゆまずして、さらに進むことなり
(スチブソン)
●あなた方は耐え忍ぶ事によって自分の魂を勝ち取りなさい(ルカ伝21‐19)
●全て神から生まれ出た者は世に勝つからである。そして、私たちの信頼こそ、
●キリスト教は不断の幸福を約束しない。しかし、世に勝つ平和を約束している
(ヒルティ)
●激しく攻められて倒れそうになった私を、主は助けてくださった。
主は我が力、我が砦、我が歌。主は私の救いとなられた。
聞け、御救いの勝利の喜ばしい歌が主に従う者の天幕に響く。
主の右の手は勇ましい働きをなし、
主の右の手は高く上がり、主の右の手は御力を示す。
私は 死ぬことなく、かえって生き長らえて、主の御業を語り伝えよう
(詩篇118-13~17)
●あなた方には この世で患難辛苦がある。しかし、勇気を出しなさい。
私は既に世に勝っている(ヨハネ伝16-33)
●彼らが私に対して陣を敷いても、私の心は恐れない。
私に向かって戦いを挑んで来ても、私には確信がある(詩篇27-3)
●弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。
彼らのことでおじけてはならない。
共に行って、あなた方のために、あなた方の敵と戦い、
勝利を得させてくださるのは、あなた方の神、主である(申命記20-3~4)
●あなたの神、主は、あなたのただ中におられる救いを施す勝利の勇士だ。
主は喜びをもってあなたの事を楽しみ、
その愛によって安らぎを与え新しくされる。
主は高らかに歌って、あなたのことを喜び給う(ゼパニヤ書3-17)
●さあ、元気を出して行動に打って出よう
どのような運命にも立ち向かう勇気を持って。
いよいよ励み、いよいよ求め、
労苦し、時を待つことを学ぶのだ。(ロングフェロー)
●さあ、元気よく跳び込みなさい、あまり深くはないだろう(ヒルティ)
●なぜあなたは、自分が企てたことを実行するのを延期しようとするのか。
立ちなさい。今すぐ始めなさい。
そうしてこう宣言しなさい。
今こそ実行の時、今こそ戦いの時、今こそ自分自身を改める善き時、と。
不幸と試練の日こそ、自己を際立たせる機会なのである
(トマス・ア・ケンピス)
●不幸に屈することなかれ、否、むしろ大胆に、積極果敢に、
不幸に挑みかかるべし(ベルギリウス)
たとえ私自身は<全焼のいけにえ>として<全生・全身・全霊>で献身することは
完全不可能でも<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢念・大志】を
世間的無一物で<不義・不正・不実>不純・不潔の私自身であっても可能です!
<最愛の我が子・我が分身>である<願望>【ビジョン:理想・夢念・大志】を
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に超越して
最も多く他を利して最も多く己を利するの道を教えたり(内村鑑三)
●人間を全て皆愛することは、キリストへの愛がなければできないのである
(ヒルティ)
●心を尽くして神を愛せよ、それからあなたの欲する事をなすがよい(ヒルティ)
●いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ
単なる幻想である(ヒルティ)
●我等は悪を避けんとするよりも、むしろ神と共にあらんことを努むべし
(内村鑑三)
●神への愛だけが我々を徹底的にエゴイズムから解放する事ができ
またすべての本当の自己改革の始まりである(ヒルティ)
●神が喜ばれるのは、おそらく神へのひたすらな憧れと、
神に向かって手をさしのべることだけであろう(ヒルティ)
たとえ現実生活で<荒れ野・砂漠:患難辛苦>に直面して世間的大敗北にあろうと
【聖書・真理の御言葉】が【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に霊的に働きかけて
<一体化・連帯化・協働化>して<パワー・アップ&アップ・グレード>されて
守られ導かれて<最愛の我が子・我が分身>の【ビジョン:理想・夢念・大志】は
<我が競技>【ミッション:大義・使命・天職】を突走り挑戦し続けてくれます!
●はっきり言っておく。
私を信じる者は、また私がしている業を行なうであろう。
そればかりか、もっと大きな業を行なうようになる。
私が父のもとに行くからである。
私の名によって願うことは何でもかなえてあげよう。
父が子によって栄光をお受けになるためである。
何事でも私の名によって願うならば、私がそれをかなえてあげよう
(ヨハネ伝14-12~14)
●荒れ野と、かわいた地とは、楽しみ、
砂漠は喜びで花咲き
サフランのように、盛んに花咲き、かつ喜び楽しみ、かつ歌う
(イザヤ書35-1)
●見よ、私は新しいことをする。今もうそれが芽生え起ころうとしている。
あなた方はそれを悟らないのか。
確かに私は荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる(イザヤ書43-19)
●野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。
荒れ野に水を沸き立たせ、砂漠に大河を流れさせ、
私の選んだ民に水を飲ませるからだ(イザヤ書43-20)
●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、
一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、
私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。
信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、
走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
●我々は神の命じ給う道を歩いていれば日々その務めと力とが
自ずから与えられる。特にそれを得ようと思い煩うことはいらない。
ただ、それを受け入れて実行すれば善い(ヒルティ)
●なおも神の御手と御心にさからわず
勇気と希望を少しも捨てぬ。
私は静かに耐え真っ直ぐに前進する(ミルトン)
●試練を耐え忍ぶ者は幸いなり。その人は適格者と認められ、
●競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ栄光は得られない
(テモテ後書2-5)
●愛する兄弟たちよ、確(カタ)くして動かされず、
常に励みて全力を注いで主の事(ワザ)に務めよ。
主にあってあなた方の労苦が無駄になる事はない(コリント前書15―58)
●父がその子に対してするように、あなた方の一人一人に呼びかけて、
神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く諭し勧めたのである。
御自身の御国と栄光に預からせるようと、神はあなた方を招いておられる
(テサロニケ前書2‐11~12)
●さらば、われら、奮起して励もう
いかなる運命にも勇気をもって。
絶えず成し遂げ、絶えず追い求め、
刻苦してあとは待つことを学ぼう(ロングフェロー)
皆さんの大切な<最愛の我が子・我が分身>の【ビジョン:理想・夢念・大志】を
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を常に<万全・最善・完全>に導いてくれる
<全智・全能・全愛>【聖書・真理の御言葉】と<一体化・連帯化・協働化>させ
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】の<一切お任せ人生>で
【ビジョン:理想・夢念・大志】を【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】に開花させて
【救国:民族精神復興&国体再建】【世界平和:自由&正義<隣人愛>の結実】に
活躍される<圧倒的完全勝利>の<生き様・死に様>を心より応援しています!
●汝のパンを水の上を投げよ、多くの日ののちに汝再びこれを得ん
(伝道の書11-1)
●汝の真理を社会の中に投げよ、年を経て汝はその偉大なる結果を見るを得ん
(内村鑑三)
●<勝利の生涯>(内村鑑三)
患難を避けんとするなかれ、これに勝たんとせよ。
独り自らこれに勝たんとするなかれ。神によりて勝たんとせよ。
神が患難を下し給うは我らによりてその能力(ちから)と恩恵(めぐみ)とを
顕わさんためなり。
●だれが、キリストの愛から私たちを引き離すことができるというのか。
患難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危難か。剣か。
私たちは、これら全ての事において、私たちを愛して下さる方によって
輝かしい圧倒的勝利者となる(ロマ書8-35~37)
●私が、どんなことがあっても恥じることなく、
かえって、試練の時も、いつものように、
キリストのために、大胆に語ることによって
キリストのすばらしさが現わされて,
生きるにも死ぬにも、
私の身によってキリストが公然とあがめられるようにと
切に願い、希望している。
私にとって、生きることは、
キリストのために良い機会を得たことを意味し、
死ぬことは、さらにすばらしいことを意味する(ピリピ書1-20~21)
●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、
殺されて活くるのがキリスト信者の生涯である(内村鑑三)
●私たちは成し遂げたことではなく、これから成し遂げる事のために生きている。
(ムーア)
●成功者になるためには、あなたは自らを信じなくてはいけない。
勝とうが負けようが、戦いのたびに人は強くなっていくのだから
(コリン・ターナー)
●始めは小なるも可なり。終りの大ならんことを欲す。
始めは悲しむも可なり。終りに喜ばんことを欲す。
始めに羞恥あるも可なり。終りに名誉あらんことを欲す。
始めに家なきも可なり。終りに住みかなきをいとう。
しかして神はおのれを愛する者を、始めに苦しめたもうといえども、
終りにには「笑いをもて彼の口を満たし、
喜びを彼のくちびるに置きたまう」(詩篇126-2)べし。
羞恥に始まって栄光に終り、十字架に始まって復活昇天に終る。
「義者の道は旭日のごとし。いよいよ輝きを増して昼の正午(まなか)に至る」。
願わくはわれもその恩恵にあずからんことを(内村鑑三)
●I almost gave up but GOD gave me hope.
●主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです
My only hope is in you.(詩篇39-7)
●患難を避けんとするなかれ、これに勝たんとせよ。
独り自らこれに勝たんとするなかれ。神により勝たんとせよ(内村鑑三)
●主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ、主を待ち望め(詩篇27-14)
●私は思う。今この時の苦しみは、やがて私たちに現されようとする
栄光に比べると言うに足りない(ロマ書8‐18)
●我が口より出づる言葉はむなしく我に帰らず、我が喜ぶところを成し、
我が命じ遺(おく)りしことを果たさんと主は言い給う(内村鑑三)
● 雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、
食べる人には糧を与える。
そのように、私の口から出る私の言葉もむなしくは、私のもとに戻らない。
それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす
(イザヤ書55-10~11)
●この世における使命をまっとうせんがために、
我々の仕事を明日に繰り延べることなく、
あらゆる瞬間において、自己の全力を傾注して生きなければならない
(トルストイ)
●大きな夢をみよう。大きな夢だけが人の心を動かす(アウレリウス)
●われわれの人生とは、われわれの思考が作りあげるものに他ならない
(アウレリウス)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)