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メルマが転載◇◇Accidental Hero(思いがけない英雄)◇◇

第15回 
◇◇Accidental Hero(思いがけない英雄)◇◇
2001年9月6日(木)13:30テレビ東京・映画「靴をなくした天使(hero/accidental hero)(米'92)」を観て
【2001年9月29日に作成した<第184号>より】

●われ神とともにありて、われ一人は全世界よりも大なり(内村鑑三

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

私は映画で表現される「アメリカの良心」が好きです。チャップリンや1950~60年代の
J・フォードやF・キャプラやB・ワイルダーが監督した映画はその代表例ではないでしょうか。

最近TV放映された「靴をなくした天使」にも「アメリカの良心」が描かれていたと感じます。
アメリカの良心」とはどんな人間でも、人生をやり直すことができ、時にはイエスのような
救世主・ヒーローになれるという確信です。それは個人や社会の可能性を信頼する善意の心から
生まれてくるものです。

残念ながら、私自身は映画「靴をなくした天使」を後半から観たので、前半部分を知りません。
そのため、多少の誤解があるかもしれませんがご容赦下さい。そして、もし、皆さんの中で
全体をご覧になられた方がいたら前半部の内容を教えてくだされば幸いです。

ダスティン・フォフマン演じる主人公は、どうやらコソ泥のようです。保釈中に息子に会う為に
でかけた先で飛行機墜落事故に遭遇します。そこで、人命救助を行い「思いがけないヒーロー」に
なるのです。彼は人助けをしても自分を明かさずに靴を置き忘れたままその場を去って行きます。
しかし、救助された乗客内に敏腕の女性ジャーナリストがいました。彼女の所属するTV局では
そのヒーローに懸賞金をかけて探し出そうとします。

ところが、実際に名乗り出た男は別人のホームレスでした。彼は懸賞金を慈善事業に使います。
無欲でしかも慈悲深い行為をする彼は一躍世間でヒーロー扱いされます。民衆は彼の【隣人愛】
に通じる【美徳:善意・良心】によって、励まされ勇気が与えられ希望を見出すのです。

映画のラストでは偽者のヒーローであるホームレスとコソ泥が取引をしようとします。コソ泥は
自分が本当のことを話さない条件で自分の息子の教育費用だけを要求します。それはホームレス
が懸賞金を使って私心を棄てて見事に慈善事業を実践しているからです。彼がヒーローのままで
いた方がせっかくの民衆が失望しないと思ったからです。

一方、ホームレスはいよいよ自分の【良心】に苦しみます。偽りのヒーローとしてこのまま民衆の
善意・信頼を傷つけていることになるからです。

映画はここで、ホームレスにチャンスを与えます。民衆の面前で二人が取引している場所はビルの
最上階の壁面です。コソ泥がそこから落ちそうになって、ホームレスが自分の身の危険を承知の上
で、彼を助けようとするのです。そこを民衆が目撃していて彼は本当のヒーローとなったのです。

さて、敏腕女性ジャーナリストもまた苦しんでいます。偽者がヒーローとして活躍しているからです。
彼女はコソ泥と会って命を助けてくれたお礼を直接に申し出ます。それは二人だけの秘密として。
彼女は息子にだけは真実を話すように勧めます。

そこで、コソ泥は息子を連れて行った動物園で自分が実は飛行機墜落事故で救助した本当のヒーロー
だと話します。さて、息子は日頃は情けない父親でも、実はヒーローだったことに驚きます。

この映画のラストシーンは突然動物園で騒ぎが起こります。ライオンのおりに子供が落ちたと泣き
叫ぶ母親の声がします。コソ泥は周囲を見回して「誰か係員はいないのか!?」と叫びますが、
誰も答えず誰もが途方にくれています。コソ泥はおもむろに靴を脱ぎながら息子に向かって告げます。
「息子よ、靴を預かっておいてくれ。」

息子が呆然と見送るのを後にして、父親はライオンのおりに向かって行くところで映画は終ります。

この映画には「アメリカの良心」が詰まっています。誰でもヒーローになれるチャンスがあって、
それは人生をやり直すことでもあり、単に世間で成功して目立つことだけではないという事です。

●良心とは人間の行いの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、悪を戒める神よりの
 声である(カトリック要理)


皆さんよくご存知の西部劇「シェーン」やS・ポワチエの「野のゆり」でもそうですがヒーローは
最後にはその場を去って行くというところに感動があります。「木枯らし紋次郎」のように日本の
美徳や正義感にも通じるものです。

欧米の特に感動的な民衆の態度とは、そんな控え目なヒーローを忘れないようにすることではない
でしょうか。

例えば、米国テロ事件では、約360名の多くの消防士が行方不明となり犠牲となったようです。
彼等全員の顔写真が新聞紙面に掲載され、4大ネットワーク共同のチャリティ番組でも彼等の
献身と勇気を賞賛し感謝していました。消防士の地元の葬儀では仲間の消防隊は救助に出ていて
不在のため、本人の顔も知らない地元の住民が葬儀に参列して盛大に見送っているそうです。

日本で最近人気のある「プロジェクトX」もまたそのようなヒーローにスポットをあてているから
感動するのではないでしょうか。

【キリスト精神】の素晴らしさは人間はみな神の下に平等であるということにしたがって、誰でも
世界平和や人類や隣人・社会のために思いきりチャレンジできるという勇気と希望が与えられる
ことだと思います。

他の誰もやらないことだからこそ、自分独りでも立ち上がれる勇気と励ましがが与えられるのです。

●偉大な事を成し遂げるのはそれ以外に為すことのできない人のみである(ヒルティ)

例えば、ニュージーランドのある主婦が、日本の原爆被害を初めて知った時にショックを受けます。
彼女は米国の戦争犯罪が正式に問われた事も明らかにされたこともないことも知ります。

そこで、彼女は疑問を明らかにするべく独り立ち上がるのです。たった独りの無名の主婦の勇気と
決断があったからこそ、その後ハーグ国際法廷で原爆問題が取り上げられて戦争犯罪が一部認めら
れたことはご存知だと思います。

日本でなくニュージーランドの市民が立ち上がってくれたから実現できたことを私たちは忘れては
ならないと思います。

米国テロ事件の時に多くの人々が救援にかけつけたように、阪神大震災日本海原油流出事故の
時に日本のボランティアが全国から駆けつけたこともありました。

日本でも無名のヒーローはたくさんいます。そのように誰でもヒーローになりやすい環境を作って
いるのが米国社会だと思います。つまり【パブリック・公共】は個人個人のみんなで協力すること
だと教えられているからです。日本では【公的】なことは【官:お上・行政】がやるべきことだと
教えられているのとは大きく異なります。

以前も紹介したように、米国の各州にはそれぞれ【善きサマリヤ人法】という法律があるそうです。
これはご存知の聖書に出てくる「イエスのたとえ話(ルカ伝10‐25~37)」から来ている概念です。

新約聖書でイエスが私たちの隣人とは誰を指し、隣人愛とは何かを教えた「たとえ話」です。

あるユダヤ人が強盗にあって道に半殺しにされ倒れていました。そこをたまたまユダヤの祭司が
通りかかるが、よけて道の反対側を通り過ぎていってしまいます。同じようにユダヤ人12部族の
中で唯一、祭司が選ばれるという特権階級部族のレビ人も通りかかりますが、見ぬふりをして道の
端を同じようによけて通りすぎて行きました。

しかし、当時ユダヤ人から軽蔑され差別されていたサマリヤ人の旅人だけは哀れに思い彼に近づいて
傷の手当てをして、宿屋まで自分で運び込みます。そして翌日まで看病して、宿屋には介抱のための
金銭を渡してでかけます。もし、それ以上費用がかかったなら帰りがけに追加分は支払うと約束まで
して行きます。

このあまりにも有名な「たとえ話」によって、私たちの【隣人】とは一体誰なのかという事を考え
させられます。

●すべて自分がされたいと欲する事を、神が為されるように、汝の隣に施せ
 (黄金律:ルカ6-31、マタイ7-12)

【善きサマリヤ人法】とは緊急事態にある人を専門家でもないボランティアが救済し手当てした時に、
たとえその手当てで悪化した時でも、民事責任が免除されるという内容だそうです。

実際に米国テロ事件の直後に多くのNY市民は救済にかけつけたそうです。一方で米国のメディアで
多くの日本観光客は現場を撮影するためにフィルムを買おうとして店に列ができたと報じられたと
聞きます。

それは、素人の自分が出向いても迷惑がかかるとか、公的な仕事は公的機関の消防隊や警察官はやる
べきことだという固定観念が自然と植え付けられている側面もあるのではないでしょうか。
「世間に迷惑をかけないように」とか「己の欲せざることは人にも為すなかれ」という儒教的価値観も
また消極的姿勢をとってしまう理由だと思います。

しかし、21世紀を担う若者たちはすでに積極的に行動をとって多くが海外にまで飛び出しています。
そんな彼等に勇気と励ましとなり、時には慰めや希望を見出せる力となるのが【キリスト精神】だと
私は信じています。

欧米の若者に一番大切なものは何かと質問すれば、多くは自分の【良心】と答えるそうです。
【良心】は本当の自分を知っていて厳しく裁く内なる裁判官です。【良心】は神の愛に通じる道と
いえるでしょう。

●神が人に命じ人が神に応ふる所に【良心】がある。【良心】は人の神覚である。人を離れて
 人が独り神と相対して立つときに【良心】がある(内村鑑三

そして、【良心】にしたがった行動をとれた時には、たとえ周囲から反対されたり理解されなくても
私たちは爽快で満足でき、心が本当の自由であるのだと思います。そこには神の愛である【隣人愛】
を感じらるからです。

●神に仕えることを自由という(ヒルティ)

結局、勇敢なヒーローとなるのは、たとえ世間が何と言おうとも、自分の【良心】に忠実に従う時
だと私は考えるのです。たった独りでも立ち上がれる勇気と励ましと希望と慰めを与えてくれる
存在が【イエスの生涯と教え】であり、それは決断と実行において【ダイナミック・パワー】と
なってくれるのです。

●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)
●人を相手にせず、天を相手にせよ(西郷隆盛

皆さんが【良心】を大切にして大いなるチャレンジに励み、世間に知られずとも勇敢なるヒーローと
なられることを心より応援しています。

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
God bless you!

メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)

★★★皆さんの【願い事】のために【礼拝:祈りと感謝】致します!★★★
 具体的な【願い事】があれば、御気軽に御連絡下さい。
一緒に祈ってくれる人がいなければ、私が協力します!
 皆さんのために【神の愛=主イエス】に向け【礼拝:祈りと感謝】致します!

●あなた方のうちの二人が、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、
 天にいます私の父はそれをかなえて下さるであろう。
 二人、三人が私の名によって集まっているところには私もその中にいる(マタイ伝18-19~20)

皆さんか