【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【自主独立】⇔【主イエス】!①

◇◇独立を説くなかれ、キリストを説くべし(内村鑑三)(その1)◇◇
【2006年1月6日に作成した<第395回>に加筆】 

●何をするにも人に対してではなく、主に対してするように心から働きなさい(コロサイ書3‐23)
●真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない(ヒルティ)
●人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、おのれを尽くし人をとがめず、我が誠の足らざるを尋ぬべし(西郷隆盛

今日現在、様々な【苦難】にあっても、【再起・復活】のために、【神の愛】が慰め励ましてくれます!
明日こそ、【ビジョン:理想・夢・志】の実現を目指すために【神の愛】が勇気と希望を与えてくれます!
皆様の心に【神の愛】が宿り、存在を実感できますように【主イエス】の御名によって祈ります!アーメン

私たちは個人でも、民族・国家としても、自分(民族・国家)らしさを目指すためには【自主独立:自由・独立】こそが大切であると誰もが理解するはずです。

ご存知のように個人的に自分らしさを最善発揮する【自主独立:自由・独立】を目指すことは困難に思えるでしょう。
【自主独立:自由・独立】を人生目的するからだと思います。【キリスト精神】に従うならば【自主独立:自由・独立】は人生目的(民族・国家目的)を実現させるための単なる実現手段であり結果であると考えるなら、困難ではありません。

【神の愛=主イエス】から見れば、【自主独立:自由・独立】は私たち各自の人生目的である【ミッション:使命・天職】を実現させるための状態ではなく、【賜物・無償ギフト】として【聖霊・神の愛】から与えられる【実現能力】となるのです!

●神に使役されんための自由なり。神に面と面を合わして語らんための独立なり(内村鑑三
●個人は分かつべからざる者である。個人は人そのままである。
 神の子、永久の存在者、自由独立不滅の固有性を有し、全世界を代価に払うてもあがなうことのできないほど、貴いものである(内村鑑三
●キリストによりてのみ真正の自由と独立とあり。そは彼は霊魂の自由を与える者なればなり(内村鑑三

【キリスト精神】における【自由】とは世間的に自由気ままである「放任の状態」ではなく自分らしさ、【自己本位】に従って、【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に従って、<決断と実行する能力>を言います。

●【真の自由(内村鑑三)】
  ◆真の自由は発意である    ⇔ Unconditional(無境遇)
  ◆真の自由は正しき選択である ⇔ 霊性本来の標準に従う~霊的生命達成の道
  ◆真の自由は善き意志を行う能力である 
●真の自由は消極的状態でなく積極的状態である
  何事をも為しうる状態又能力でなく,ある事を為さずしてある他のことを為す能力
  ⇔善悪を判別して悪を避けて善を行う能力  
●自由とは理想にあらず、境遇にあらず、能力である
●I can do that which is right.(我は正しき事を為し能う)
●本当の自由な心とは「認める」と言う事である(ゲーテ
●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず神の僕にふさわしく行動しなさい(ペテロ第1書2‐16)
●自由は己を治むるの意なり。自由は己を神に委ね、しかれども強いられて委ねるにあらず、自ら求めて委ねるなり(内村鑑三
●自由を得させるためにキリストは私たちを解放して下さったのである(ガラテヤ書5-1)
●真理(主イエス)はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●神(愛)に仕えることを自由という(ヒルティ)
●絶対の自由は、ただ神にのみ仕えて他の一切のものには仕えないことである(ヒルティ)
●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
●兄弟たち、あなた方は、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい(ガラテヤ書5-13)

自分らしく【自己本位】でありながら【自由】である能力は、【主イエス=隣人愛】を受け入れることで可能となります!

●自由を得させるためにキリストは私たちを解放して下さったのである(ガラテヤ書5-1)
●真理(主イエス)はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●神(愛)に仕えることを自由という(ヒルティ)
●絶対の自由は、ただ神にのみ仕えて他の一切のものには仕えないことである(ヒルティ)
●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
●兄弟たち、あなた方は、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい(ガラテヤ書5-13)

【キリスト精神】による【独立】とは、自分の力で立つのではなく、常に【主イエス】ならばどうするか?という判断を持つことです。
【神の愛=主イエス】によって発見した【ミッション:使命・天職】のために【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮する事が【独立】といえるでしょう。

●W.W.J.D.(What Would Jesus Do?)
●神にすがる依頼心ありて始めて真個の独立と威厳と自尊はあるなり(内村鑑三
●独立とは必ずしも他の援助を絶つということではなく、自己の有する全ての実力を活用する事をいうのである(内村鑑三
●キリスト・イエスの善い兵卒として私と苦しみを共にしてほしい。兵卒に服している者は、日常生活の事にわずらわされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める(テモテ後書2‐3~4)
●戦いに勝って勝つのではない、真理に従って勝つのである。戦いに負けて負けるのではない、真理に反して負けるのである(内村鑑三
●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためでなく、本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。
  神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)

★★【その2】につづく★★