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【マリア信心】⇔礼拝スピリット!

◇◇【マリア信心】に学ぶ【礼拝:★讃美★祈り★感謝】スピリット!◇◇
【2006年7月14日に作成した<第410回>に加筆】 

私はカトリックでもプロテスタントでもありません。つまり、キリスト教会信者というよりも、【キリスト熱愛者】といえます。そんな私が今までは【聖母マリア信心】に対しては、偶像崇拝や現世利欲の一種に過ぎないと感じていました。

ところが、ハヤット神父の記す『幸せのおとずれ』に出会い【マリア信心】の理解で、目からウロコが落ちました!
ご存知のように【主イエス】が初めて【奇蹟】を起してくれたのは、「カナの婚礼」の宴会で水をワインにしたことです。この出来事について【聖書・福音書】には次のように簡単に記されています。

◆カナでの婚礼(ヨハネ伝2-1~9)
●三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
 ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
 イエスは母に言われた。「婦人よ、私とどんなかかわりがあるのです。私の時はまだ来ていません。」
 しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
 そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。
 いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
 イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。
 召し使いたちは運んで行った。
 世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、
 水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 言った。
 「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、
 あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
 それで、弟子たちはイエスを信じた。
  この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。

これだけ読んで状況を理解できなかった無神経の私に、ハヤット神父は興味深い説明をしているのです。

カナという場所ではマリアの知り合いの結婚式があり招待されたのですが、ワインが不足したので、新郎新婦が可愛そうに思った母マリアは【主イエス】に奇跡的に彼らを助けるように頼みます。

しかし、【主イエス】にとっては、まだ奇蹟を行う予定ではなかったので「私の時はまだ来ていません」と応えます。それでも、母マリアは納得せずに、きっと何とかしてくれると信じて、近くの給仕している人に向かって伝えます。「この人(イエス)の言うとおりにしてください」と。

こんなに母マリアが熱心に信じ望んでいるので、何とかしないといけないと思われて、【主イエス】は意に反して初めての【奇蹟】を行ったと、ハヤット神父は説明しています。

この【神の愛の奇蹟】のおかげで【主イエス】が【奇蹟】を行われるつもりがない時にでも、母マリアに頼まれると【主イエス】は【奇蹟】を行ってくれる<母と息子との特別な関係>を発見したのです!

カトリック信者の【マリア信心】とは単なる<偶像崇拝>ではなく、【聖母マリア】の<御取り次ぎ>に頼るのです。

最近つくづく【礼拝:★讃美★祈り★感謝】の【愛のパワー】に感服させられた私には、【マリア信心】は理解できます。【神の愛=主イエス】への【礼拝:★讃美★祈り★感謝】において、【聖母マリア】にも<御取り次ぎ>を頼めるなら【神の愛の奇蹟】を起こしたければ、これほど確実な事はありませんね。

実は、今日のこんな【マリア信心】の新発見がある3ヶ月前から私は【聖母マリア】と深い親密関係にあったのです!

もともとは家族のクリスマス・プレゼントのつもりで買ったのですが、卓上サイズで持ち運びできる小さな聖母マリア像が我が家にはありました。

ところが、私の【福音伝道事業】にこそ一番ふさわしいという事で、【聖母マリア像】を私の責任で預かることになりました。

この3ヶ月は、仕事場から寝室の枕元まで持ち運んだので、朝から晩までいつも身近に見守っていてくれたのです!これは偶然ではないと信じます。【マリア信心】を単なる<偶像崇拝>と決め付けるのではないことを宣言します!

私たちが自己嫌悪や自己不信や罪悪感で悩み苦しむ時に、【神の愛=主イエス】に【礼拝:★讃美★祈り★感謝】するのは難しくありませんか?どこからか声がしてきます。危険な<悪魔のささやき>といえるでしょう。

「お前の自業自得なのに聞いてもらえる訳ないだろう!?」「祈ってうまく行けばこの世に不幸も悲惨もないだろう?」「祈りに頼るなんて無責任じゃないのか?」「祈っても聞かれなかった時のことを考えてみろよ。オマエは最後だぞ!」

皆さんも、こんな無駄話に振り回されて、結局は【礼拝:★讃美★祈り★感謝】することなく終わってしまったことはありませんか?そんな時こそ、【聖母マリア】の一所懸命で熱心な【願い事】で起こった【神の愛の奇蹟】を思い出しましょう!

そして、直接【神の愛=主イエス】に頼めない時、祈れない時は、【聖母マリア】の<御取り次ぎ>に頼りましょう!私たちが自分自身の弱さである【不完全:闇・悪徳・不義】に負けそうになっても、私たちには【希望】があります!

●あなたにゆだねられている事を守りなさい。そして、俗悪な無駄話と偽りの「知識」による反対論を避けなさい(テモテ前書6-20)

【マリア信心】とは私たちが最後の最後まで【神の愛の奇蹟】が起こることへの【望み】を棄てないという決意表明です。熱心に信じ望む【マリア信心】と同じように、【主イエス】自身も興味深い「たとえ話」で私たちに教示してくれています。

◆「やもめと裁判官」のたとえ(ルカ伝18-1~8)
●イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。
 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、私を守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、私をさんざんな目に遭わすにちがいない。』」
それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。
 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

そうです!私たちは【神の愛=主イエス】がうんざりするぐらい朝から晩まで、いつでも、どこでも【礼拝:★讃美★祈り★感謝】して、「しつこいな・・・」「もう十分解った!」と思われるぐらいに一所懸命な<熱き思い燃える心>を示そうではありませんか!

しつこい私たちを観て、【神の愛=主イエス】はうんざりするどころか、可愛く思われて、とても喜ばれると私は信じます!

●まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。私たちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、私たちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。
 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます(テモテ前書2-1~4)

私たちが、日々TV報道で出会う遠くの世界の出来事でも、身近な出来事でも、何でも心に留まったことを気になったことは何でも相談して、助けを求めたり、救われることを願い、とりなしのために、平和のためにも、【礼拝:★讃美★祈り★感謝】しましょう!

●主を呼び求める人すべてに近くいまし、まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし主を畏れる人々の望みをかなえ、叫びを聞いて救ってくださいます(詩篇145-18~19)
●私の名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。何事でも私の名によって願うならば、私がかなえてあげよう。(ヨハネ伝14-13~14)
●神の約束は、ことごとく主イエスにおいて「然り」となった。だから、私たちは神をたたえるため、主イエスを通して「アーメン」と唱えて神に栄光を帰するのである(コリント後書1-20)

皆さんの中から、いつでも、どこででも【神の愛=主イエス】と気楽に対話できる【愛と自由の勇者】が続々と生まれ出ることを楽しみにしています!私も誰にも負けない、しつこくスッポンのように離れない<【礼拝:★讃美★祈り★感謝】スピリット>を磨きます!
そして【マリア信心】によって、思いがけない【山:現実的不可能】をも動かすような、たくさんの、たくさんの【神の愛の奇蹟】をこの世界に起こし続けましょう!

●もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなた方にできないことは何もない(マタイ伝17-20)
●主は言われた。「もしあなた方にからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう(ルカ伝17-6)
●見よ、私は新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている。あなた方はそれを知らないのか。
 確かに私は荒野に道を、荒地に川を設ける(イザヤ書43‐9)

【マリア信心】の《【礼拝:★讃美★祈り★感謝】スピリット》による活躍を心より応援しています!

●我が魂よ、主をほめたたえよ。私の内にあるすべてのものよ、聖なる御名をたたえよ。
 私の魂よ、主をほめたたえよ。主の善くして下さった御計らいを何ひとつ忘れるな(詩篇103-1~2)
●主はあなたの罪・不義をことごとく赦し、病をすべて癒し
 あなたの命を墓穴から贖い出してくださる。あなたに慈しみと憐れみの冠を授け
 あなたが生きながらえる限り一生を、善いものに満ち足らせる。
 こうしてあなたは若返って、鷲のように新たになる(詩篇103-3~5)
●神に仕えるということは自分の生活のすべての瞬間に持っているすべての力と手段とを神の御心の成就のために用いることを意味する(ヒルティ)
●何事でも神の御心に適うことを私たちが願うなら、神は聞き入れて下さる。これが神に対する私たちの確信である。私たちは、願い事は何でも聞き入れて下さると分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かる(ヨハネ第1書5-14~15)
●まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。私たちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、私たちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます(テモテ前書2-1~4)
★ハレルヤ!栄光を主に帰します。★主の恵みに感謝します!アーメン
今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。Good luck & God bless you!