【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【使命・天職】を発見する方法②

◇◇ 天職を発見する法(その2) ◇◇
【2001年4月30日に作成した<第117回>に加筆】

★★【その1】のつづき★★

【目前の義務】とは何でしょうか?それは対極の二面性があると思います。私は「マルタとマリア(ルカ伝10‐38~42)」のエピソードを連想します。

姉マルタと妹マリアの家庭に【主イエス】が訪問した時に、真面目なマルタは、おもてなしのためにと、せわしく立ち回り働きづめです。一方で、妹マリアは、【主イエス】の足元に座って、大切な【御言葉】に聞き入っていたのです。

姉マルタは自分だけが働いていることに納得が行かず、多忙で心を見失い、ついに【主イエス】に直訴する行動までも起すのです。

●マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。
 「主よ、わたしの妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(ルカ伝10-39)

これこそ私たち日本人の象徴マルタです!多忙なあまりに心失い、単なる「手段」を「目的」として暴走してしまう危険性だと思います。几帳面で真面目な≪他人本位≫な人々に向けて、【主イエス】は「【神の愛】に応じる態度」について優しく明確に説明してくれています。

●主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
  しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ伝10-41~42)

妹マリアは【自己本位・エゴイスト】の象徴です。妹マリアこそ【自己中心】の私自身にとっては、私の代表です!私の憧れ・理想です!

妹マリアは、ただ【御言葉】【ビジョン:理想・夢・志】を直視するだけで終わったのでしょうか?違いました!マリアだからこそできる!名誉ある地位を得るのです!
マリアは勇気ある行動の人でした。いつも【御言葉】直視していたからこそ、マリアでなければ、誰も出来ないことを成し遂げるのです!

「ベタニヤで香油を注がれる」の行為です。(マタイ伝26-6~13、マルコ伝14-3~9、ルカ伝7-36~50、ヨハネ伝12-1~8)

【主イエス】は毎日朝から夕刻まで多くの人々を癒し救い福音宣教していました。聖書の記事では、夕食と宿泊のために立ち寄った、マルタとマリアの家で起こった出来事です。

一日中歩き回り、【主イエス】は砂まみれで足も泥だらけであった事でしょう。誰もが【主イエス】に救いと教えを求めることはしますが、誰よりも一番疲れている【主イエス】の事を、いたわり慰めて、疲れを癒そうなど、いつも一緒に活動していた十二弟子たちでさえも全く気づきませんでした。

そんな【主イエス】を憐れんで、当時身分が低く扱われていた女性の中、たった独りだけが【主イエス】の足を自らの涙と髪で洗い上げ、高価な香油によって体を清めたのです。

十二弟子の多くは、【主イエス】に選ばれた弟子でもない、身分の低い女性の分際で、しかも高価な香油ならば、貧しい人々のために役立てるべきで、【主イエス】のために使うのは、まるで無駄使いをしているかのように、女性を責めようとまでします。

【主イエス】はこの女性の態度こそ世界中で主の福音と共に永遠に語り継がれる記念すべきことであると賞賛します!

●全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所ではこの女のした事も記念として語られるであろう
 (マタイ伝26‐13、マルコ伝14‐9)

妹マリアは怠け者でも単なる空想家でもありません。本当に為すべきことならば、世間的常識や批判攻撃を恐れることなく決行できる【自由と愛の勇者】です!
以上の観点からまとめると;

【A面】≪マルタ的義務≫⇔「私でなければ誰もやらないであろう事をあえて引き受けて行うこと」
                ~他人本位の実践・結果重視

他人も自分にとってもイヤな仕事であり、時には見返り・報酬も見込めない立場を引き受けることかもしれません。または自分の経験や知識では未熟な未知な分野で周囲から見れば無謀過ぎるチャレンジであるかもしれません。

しかし、その【目前の義務】には共通の見込みがあります。自分が引き受ければ、自分以外の誰かが喜び、社会に役立ち、勇気や希望や感動を与えられる可能性が大いにあるということです。自分自身の満足よりも、隣人・社会への貢献の方が大きいともいえるでしょう。

そして、実はそのチャレンジこそが自分自身の可能性を新発見できるチャンスであり【ミッション:使命・天職】に通じる【試練・神の導き】であるとも言えます。

【B面】≪マリア的義務≫「私だからこそできる!進んで喜んでできること」
              ~自己本位の【ビジョン:理想・夢・志】直視

あくまでも自分の信じ望み愛する【ビジョン:理想・夢・志】直視なので、世間体や現実問題に左右されないように【神の愛=主イエス】から召命される自分の≪出番≫が来るまで、着実に準備し続ける事が【目前の義務】であり、いつも目覚めて【ミッション:使命・天職】を待ち望んでいる姿、【ビジョン:理想・夢・志】実現を堅く信じて守り育てる≪姿勢≫で、隣人・社会に勇気や励ましを与えて貢献することも、大きな【目前の義務】といえるかもしれません。

この両面の【目前の義務】のどちらが自分にとってふさわしいかは、先ずは貴方自身がマルタ的かマリア的かによると思います。【主イエス】はマルタ的信仰もマリア的信仰も大切に愛されました。従って、両者が≪持ち味≫を活かして協力することを【神の愛=主イエス】は喜ばれるのだと思います。

私の印象では、日本は伝統的には≪自己本位≫(マリア信仰)よりも≪他人本位≫(マルタ信仰)を尊重するので、マルタ的義務の方が尊重されやすいと思います。

しかし、私は≪自己本位≫の≪マリア的義務≫である【ビジョン:理想・夢・志】直視の生活を守り続けることも大切だと思います。現に私は自分が一番大好きな!【エゴイスト】なので、≪自己本位≫の≪マリア的信仰≫で≪マリア的義務≫を守りたい人間です。

●あなたにゆだねられている尊いものを私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい(テモテ後書1‐14)
●あなた方も、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となってイエス・キリストにより、神に喜ばれる霊のいけにえを、献げなさい(ペテロ前書2-5

皆さんはどちらの≪生き方≫が自分らしいと思いますか?それとも、このような考え方自体に反対かもしれませんね。

しかし、いずれにしても、私たちが「これだ!」という心から満足できる【ミッション:使命・天職】に到達できるためには今日から着手できる≪目前の義務(自分の仕事)≫があることは確かだと思います。

●まちがいなく最も手近な義務だと認められることを常に行ない、それから先のことは静かに待っていること。そのような人に宿っている真理な霊は必要に応じて何でもその人に思い起こさせてくれる。だから、その人は前もっていろいろのことを熟考したり、心にとめておくことはいらない(ヒルティ)
●自分の仕事を知り、それを為せ。我々の大事な務めは遠くのほうにおぼろげにあるものを眺めていることではなくて手元にあって、はっきりしている事を行なうことである(カーライル)
●どんな大きな仕事であっても、それを細かに分けて、いつも手近なものだけを眼中に置くならば、それは小さな仕事をするのと同じになる(ヒルティ)
●大事業の端緒はまず目前の義務を果たすことなり(内村鑑三

皆さんの人生においても、素晴らしい【ミッション:使命・天職】に出会えるために、先ずは≪目前の義務:仕事≫を見事にやり遂げて、苦しく悩みのある時には【神の愛=主イエス】に助け導いてもらい、着実に前進し続けましょう!

●【神助】(内村鑑三
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じてすべての善き物をもって 汝を恵まん。
⇔ ★天来の思想
★外来の友人
★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。汝は信仰をもって神の力を汝の力となすをうべし。
●我々は神の命じ給う道を歩いていれば日々その務めと力とが自ずから与えられる。特にそれを得ようと思い煩うことはいらない。ただ、それを受け入れて実行すれば善い(ヒルティ)

様々な現実問題に直面しても、時には失敗や苦境に陥っても、そのおかげで新しい出会いや自己発見を得ながら、自分の可能性を高め続けて、【神の愛=主イエス】の導きで、必ずや【ミッション:使命・天職】に到達することを心より応援しています!

●なおも神の御手と御心にさからわず
 勇気と希望を少しも捨てぬ。
 私は静かに耐え真っ直ぐに前進する(ミルトン)
●神の側に立とうと決心するが良い。次にはあなたの力と個性に合わせてあなたに個人的に下される神の命令に従え(ヒルティ)
●人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
 その人は倒されてもまっさかさまに倒されはしない。
 主がその手を支えておられるからだ(詩篇37‐23~24)
●多くの人が沢山の涙と大変な労苦を重ねて、やっと得たものを、お前はすぐに得ようと欲するのか。
 主を待ち望みなさい、雄々しく振る舞い、勇気をしっかり持っていなさい。孤疑せずに、逃げ出さずに、心身をいつも変わらず神の栄光へとささげなさい(トマス・ア・ケンピス)

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!

メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)