【2008年7月31日に作成した<第467回>に加筆】
◇◇<感謝の献げ物・霊的いけにえ>⇔【ビジョン:理想・夢・志】!◇◇
●感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ
(詩篇50-14)
●感謝のいけにえをささげる人は、私をあがめよう。その道を正しくする人に、
私は神の救いを見せよう(詩篇50-23)
●神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、
あなたにささげます(詩篇56-12)
●感謝のいけにえをささげ、御業を語り伝え、喜び歌え(詩篇107-22)
●あなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます(詩篇116-17)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
皆さんもご存知のように日本社会で<キリスト教>が普及されにくい原因・理由として、
あまりにも【自己愛】や積極的な【自己実現】を否定的に説教するからだと思います。
「自分を大切にしたい!自分を最善発揮したい!私の夢や理想を実現させたい!」など
【自己愛】、【自己実現】、自己の【ビジョン:理想・夢・志】実現を目指すよりも
先ずは自己より【隣人・社会】を優先し、犠牲的【神の愛=隣人愛】実現を目指す事が
日本のキリスト教会が認める<敬虔なクリスチャン>の姿ではありませんか?
私の自分勝手な偏見と先入観かもしれませんので、ご不満の方がいればご容赦下さい。
私自身も【自己愛】&【自己実現】と【隣人愛】&【神の愛実現】とは対極にあって、
キリスト教の<狭き門>というのは、二者選択の道であるように思い込んできました。
しかし、あまりにも<自我:我欲・野望>を悪玉のようにして禁欲的に抑制していると、
<自己否定:自己不信・自己嫌悪>に陥って、やがては自発的・自主性・独自性などの
【自主独立:自由・独立】精神を見失ってしまう危険性に気がつきました。
<自我>を禁欲的に抑制するのではなく、自由意志と判断ができるように解放する事で
多くの挫折と失敗を積み重ねながら、常に【神の愛=主イエス】の助け導きに信頼して
前進し続けることが、【神の愛=主イエス】のお望みだと思います。
●自らの意志の主人となり、自らの良心の奴隷となれ(リーブ・ラズロー)
●人間生活は意志の自由に基づいており、それに、神は自由な人間と、みずから進んで
働く僕とを欲していられるからである(ヒルティ)
【神の愛=主イエス】は、世界に一つである貴重で大切な<自分>が大好き!であると
断言できるまで、自己に存在する【闇:不完全・悪・マイナス】まで認められるように
積極的で前向きな【自己肯定:自己愛】のレベルに導いてくれるのだと実感しています。
●自分自身のことを好きになればなるほど、他の人たちと違ったユニークな人となる
(ディズニー)
このような観点で【聖書】を読み直してみると興味深い【御言葉】を発見できます。
●わたしが喜ぶのは愛であって、いけにえではなく、
神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない(ホセア書6-6)
●サムエルは言った。「主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。
むしろ、主の御声に聞き従う事ではないか。見よ、聞き従う事はいけにえに優り
耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる(サムエル前書15-22)
●あなたは、焼き尽くす献げ物や罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
(ヘブル書10-6)
<いけにえ=盲信的・戒律的な犠牲的精神>と【神の愛=隣人愛】とは別であるのです。
【神の愛=主イエス】が喜ばれることは、私たちが心から喜び望み愛する事であるので
つまり、自発的な【自主独立:自由・独立】で【神の愛=隣人愛】を実践する事であり、
教会権威や【聖書】が命じるから、仕方なく、止む無く、我慢して、節制して行う事は
【神の愛=主イエス】は喜ばれないのではないでしょうか。
<焼き尽くす献げ物>とは教会や世間が認める熱心な<戒律遵守・慈善・奉仕>であり、
必ずしも【神の愛=主イエス】を知ること(体感すること)とは一致しないようですね。
●あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、
つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった
(ヘブル書10-8)
次の【御言葉】のおかげで【自己愛】や<自己&【ビジョン:理想・夢・志】>実現は
【神の愛=主イエス】が喜ばれて、【神の愛=隣人愛】に通じると実感できました!
●あなた方の内に働きかけて、御心のままに志望を起こさせ、かつ実現に至らせるのは
神であって、それは神が善しとされるところだからである。
何事も、つぶやかず疑わないで(不平や理屈を言わずに)行いなさい
(ピリピ書2-13~14)
●各自は惜しむ心からではなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めた通りに
なすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである(コリント後書9‐7)
●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得の為でなく、
本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
誰でもが、幼少時代から、ずっと憧れ心から望んでいた【ビジョン:理想・夢・志】を
<自己実現>できたときは、人生で最も<歓喜!感動!感謝!>することだと思います。
●青年の夢を軽んじてはならない。それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に
応じたものであり、したがって、またその人の使命とも一致することが多い。
つまり、人の使命も最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである
(ヒルティ)
●少年の頃の理想主義の中に、人間にとっての真理が潜んでいる。
そして少年の頃の理想主義は何ものにも変えることが出来ない人間の財産である
(シュバイツァー)
そうです!【神の愛=主イエス】は私たちが心から望み願うことならば、一緒に喜んで
「ルーキーズ」の熱血教師のように、積極的・全面的に応援するに決まっていますね。
●人は止まらんとし、神は動かんとし給う
人は固執せんとし、神は溶解せんとし給う
人は制定せんとし、神は産出せんとし給う(内村鑑三)
●すべて神の約束は彼の中に是(しかり)となり、また彼の中にアーメンとなる。
神は是なり、またアーメンなり。彼は万事において積極的なり。
しかして、人は神を信じて希望の人、歓喜の人、満足の人、
すなわち全然積極的人物たらざらんと欲するもあたわざるなり
<すべてにおいて積極的人物となる!>(内村鑑三)
私も大好きなTVドラマ「ルーキーズ」が多くの人々に感動や勇気や希望を与えたのは
【ビジョン:理想・夢・志】の実現が、単に「自分の為」だけではないという証明です。
まさに<自己&【ビジョン:理想・夢・志】実現>は【神の愛=隣人愛】に通じます。
●理想はひとり青年の夢想ではなく、また単なる抽象的観念でもなく、
われわれの生活を貫いて、いかなる日常の行動にも必ずや現実の力となって
はたらくものである(南原繁)
●あなたがいるだけで世界は意味をもつし、
生きている意味があると思わせる人生こそ最高だ(フランクル)
●君が求める物は、君が与える物の中にある(ジェームス・アレン)
教会組織や慈善事業や社会貢献のボランティア活動に無縁でも、気が向かなくても、
私のように<無一物>で自分勝手で、目立ちたがり屋の<エゴイスト>であっても、
【神の愛=主イエス】に対して<感謝の霊的いけにえ>を捧げることはできます!
私の心に【神の愛=隣人愛】で輝く【ビジョン:理想・夢・志】を目指す事です!
世界で一つの私の<霊的な家=心>で生まれ育った【ビジョン:理想・夢・志】を
【神の愛=隣人愛】で光り輝かせることで【神の愛=主イエス】を讃美するための
<歓喜!感動!感謝!>の<献げ物=霊的いけにえ>としましょう!
●こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。
これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です(ロマ書12-1)
●あなた方自身も生きた石として用いられ霊的な家に造り上げられるようにしなさい。
そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえをイエス・キリストを通して
献げなさい(ペテロ前書2-5)
●神の御名を賛美してわたしは歌い、御名を告白して、神をあがめます。
それは雄牛のいけにえよりも角をもち、ひづめの割れた牛よりもなお
主に喜ばれることでしょう(詩篇68-31~32)
●キリストが私たちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして
私たちのために神に献げてくださったように、あなた方も愛によって歩みなさい。
(エペソ書5-2)
●イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、
絶えず神に献げましょう(ヘブル書13-15)
混迷波乱の現代だからこそ、大いなる<確固たる目標>となり、<生きる証>でもある
皆さんの【青春:幼な心・青年の心】に憧れ望んだ<最愛の我が子・我が分身>である
【ビジョン:理想・夢・志】を<旗印>に掲げる【愛と自由の戦士・神の僕】となって
身も心も<歓喜!感動!感謝!>の<献げ物=霊的いけにえ>として活躍されることを
心より応援しています!
●この世にあるやすらぎはただ一つ大いなる目標への確信だけです(タウラー)
●この動揺する時代に自分までぐらつくのは、ただ災いを増すばかり、
おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが世の中をつくりあげて行くのだ(ゲーテ)
●二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めた。ひとりは泥を見た。 ひとりは星を見た。
(フレデリック・ラングブリッジ)
●まっしぐらによい道を進んでいくべきだ。
いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。
その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ
(ゲーテ)
●自分自身の道を迷って歩いている子供や青年の方が、
他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う(ゲーテ)
●ただ自ら慎み注意して、あなたの魂をよく守りなさい。あなたが目で見た事を忘れず、
生涯心から離すことのないようにしなさい。
あなたはそれらを子や孫たちにも語り伝えなさい(申命記4-9)
●偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語れ(エペソ書4-25)
●聞く人に恵みが与えられ徳を高めるように、その人を造り上げるのに
役立ち益になる言葉を必要に応じて語りなさい(エペソ書4-29)
ハレルヤ!主の恵みに感謝します!
栄光を主に帰します!アーメン!
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)