HALLELUJAH THANKS A LOT !
【2013年6月26日に作成した<第614回>に加筆】
◇◇<神愛特権>で【ビジョン&使命・天職】に導く【神の愛=主イエス】!①◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読に感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
「神の子ども」になれるという<神愛特権>を得られる必要条件は単純明快です。
【聖書】に示されている【神の愛=主イエス】の<実在>を受入れるだけです。
●この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった(ヨハネ伝1-12)
私は教会や宗派に属さず、洗礼を受けたクリスチャン<教会的信者>でもないので
世間的評価や【この世の勢力:富・権威・名声】からは非公認・無縁の無一物でも
どんなに惨めな恥辱にまみれ、背信で忘恩な罪筆頭の地獄の住人に成り果てようと
<いつも一緒!>の【神の愛=主イエス】と個人的【信仰:信愛・信頼・信従】で
ダイレクトに結ばれている!と体感できる事こそ、【賜物・無償ギフト・神恵】の
<神愛特権>が、落ちこぼれの私にでさえも授与された証明です!
●主は私の羊飼い、主は必要なものはみな与えて下さり、
私には何も欠けることがない。
主は私を牧草地にいこわせ、ゆるやかな流れのほとりに連れて行かれる。
傷ついたこの身を立ち直らせ、魂を生き返らせ、
主の御名にふさわしい義の道に導き、
私が最高の主の栄光を現す仕事ができるよう、手を貸してくださる
たとい死の陰の谷を行くときも、私は災いを恐れません。
主なるあなたが私のすぐそばにいて、道中ずっとお守りくださるから。
あなたのむち、あなたの杖、それが私を慰め力づける。
主なるあなたは私を苦しめる敵を前にしても、私に食卓を整えてくださる。
私の頭に香油を注ぎ、私の杯を溢れさせてくださる
生きている限り、恵みと慈しみは、私についてきます。
やがて、私は主の宮に着き、いつまでもおそばで暮らすことでしょう
(詩篇23-1~6)
●まことに、私のいのちのある限り、恵みと慈しみとが、
いつも私を追って来て寄り添ってくれる。
私は、とこしえに主の宮に住まいましょう(詩篇23-6)
●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、
現在のものも将来のものも、
力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から
私たちを引き離すことはできないのである(ロマ書8‐38~39)
●見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる
<With You Always>(マタイ伝28‐20)
●インヌマエル:神われらと共にいます(マタイ伝1‐23、イザヤ7‐14、8‐8)
●もしもあなたがあらゆるものにイエスを求めるならば、
必ず(そこに)イエスを見出し得よう(トマス・ア・ケンピス)
●我は逃れんと欲して、我が神の恩恵の手より逃れることはできない。
神は奈落の底にまで、神の手を拡げて我を支え我を救い給う
●私はあなた(主)の御霊から離れてどこへ行けましょう。
私はあなたの御霊を離れてどこへ逃れましょう
たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ
私が黄泉(ヨミ)に床を設けても、そこにあなたはおられます(詩篇139‐7~8)
●私が暁(アカツキ)の翼をかって、海の果てに住んでも、
そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕えます
(詩篇139-9~10)
●あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる(箴言3ー6)
私が得た<神愛特権>は罪から解放される「免許・資格」であったり、
心が自由平安である「境遇・状態」のようなものではありません。
私にとって<最高!最善!最美!>の<神愛特権>とは、いつでも、どこでも
地獄にいようと恥知らずであろうと【神の愛=主イエス】と直接対話ができて
【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に従って
生きる証として【礼拝:★讃美★祈求★感謝】ができる<自由・能力>です!
●<真の自由>(内村鑑三)
◆真の自由は発意である ⇔Unconditional(無境遇)
◆真の自由は正しき選択である⇔霊性本来の標準に従う~霊的生命達成の道
◆真の自由は善き意志を行う能力である
●真の自由は消極的状態でなく積極的状態である
何事をも為しうる状態又能力でなく,
ある事を為さずしてある他のことを為す能力
⇔善悪を判別して悪を避けて善を行う能力
●I can do that which is right.(我は正しき事を為し能う)
●真の自由とは、自已のうえに万事をなしうることである
[真の自由とは、すべてのことを己の基準でなしうることである]
(モンテー二ュ)
●天の高きに上げられても、陰府の低きに下げられても私は祈ろう。
力なき私、私のできることは祈ることのみ(内村鑑三)
●神様は天高く遠くにおられるが、祈るなら神様がこの地に降りてこられ、
さらに神様の能力と私たちの努力を結び付ける。(ガースパリン)
●朝の祈りは神様の慈悲と祝福の倉庫を開く鍵であり、
夕方の祈りは神様の守りの御翼の影に隠していただく入り口である
(ペンリーピッチャー)
●私たちの生きた祈りと賛美が少しでもあるなら、
神様は千里の道をかけてでも私たちに会いに来てくださるだろう
(アーロンド)
●すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。
そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、
忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい(エペソ書6-18)
●近代人が運動に頼るに対して、クリスチャンは祈祷に頼る(内村鑑三)
●絶えず祈るべし、祈祷をもって生命となすべし(内村鑑三)
●仕事は、すなわち祈祷(礼拝)なり(内村鑑三)
闇深い私の<重荷>【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】は棚上げできて
【神の愛=主イエス】<【神の愛】の御手:導き手・助け手・癒し手> にお任せの
【神助精神:神助主義・神助本願・神助努力】の【信仰:信愛・信頼・信従】こそ
【三位一体:父・子・聖霊】への<敬愛・熱愛・親愛>であり、私の愛の働きも
私自身の内なる働きではなく、<神愛特権>による<神助:祝福・恩恵>であり、
【神の愛の事業=隣人愛&奇蹟】そのものです!
●この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。
赦されることの少ない者は、愛することも少ない(ルカ伝7-47)
●今の私があるのは、ただひとえに、あふれるほどに注がれた神様の恵みと、
あわれみとのおかげです。実際に働いたのは私ではありません。
神が私の内部で働き、祝福してくださったのです(コリント前書15-10)
いつでも、どこでも、<相思相愛の主従関係>の霊的交流ができるおかげで、
過去の<重荷>【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】を棚上げできても
これで人生ハッピーエンドとは行かず、<聖戦>のスタート地点に過ぎません。
【信仰:信愛・信頼・信従】【キリスト精神】【聖書の世界観】を体得する事で
内なる光が増大すれば、内なる兇悪な<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>も
真昼の影の如く先鋭化した<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>と
<邪魔症候群:邪気・邪意・邪心>で【神の愛=主イエス】との分断工作を企て
<7つの大罪:傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲>を積み重ねる事で
日々<重荷>【罪意識:自己不信・自己否定・自己嫌悪】の霊的奴隷で苦しませ
私の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】をあの手この手で総攻撃してきます。
この根深い<悪循環>から逃れることはできませんが、一切の心配ご無用です!
たとえ私は<悪玉菌><大罪の総合デパート>でも、【神の愛=主イエス】は
破廉恥・臆病者・卑怯者の<悪玉菌>の<弱き私>にも、私だからこそできる
<最高!最善!最美!>の<使い道>【ミッション:大義・使命・天職】と
【タレント:個性・才能・可能性】の最善発揮に導いてくれます!
●主は言われた「私の恵みはあなたに対して十分である。
私の力は弱いところに完全にあらわれる。」
それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ
喜んで自分の弱さを誇ろう(コリント後書12-9)
●私はキリストのためならば、
弱さと侮辱と危機と迫害と行き詰まりとに甘んじよう。
何故なら、私が弱い時にこそ、私は強いからである(コリント後書12-10)
●苦しみにあったことは私にとって幸せでした。
私はそれであなた(主)の掟を学びました(詩篇119-71)
●私は神様に、私の弱さを感謝します。
というのは、私はその弱さを通して、
私自身を、私の仕事を、私の神様を見つけることができたからです
(ヘレン・ケラ-)
●我々はいつも行為によって完全なものになろうとするが、
神はたいてい苦しみを通して我々を前進させようとし給う
(ヒルティ)
●あなた方はキリストのためにただ彼を信じることだけでなく、
彼のために苦しむことも賜っている(ピリピ書1‐29)
●自分の授かった才能に生きることがもっとも美しい生き方だ(ゲーテ)
<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>の<邪魔症候群:邪気・邪意・邪心>や
<邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>で日々多種多様な奇襲攻撃に
何度倒され挫折しても、<逃げ腰・及び腰・弱腰>にならず再起できるようにと
<神愛の智恵:聖書観力・霊感力・直観力>と<神愛戦力:対戦・応戦・抗戦>が
<神愛の武具・武器・武装>である<神愛特権>として授与されています!
●悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい
(エペソ書6-11)
●彼らの目を開き、彼らを闇から光へ、悪魔の支配から神のもとへ帰らせ、
また、彼らが罪の赦しを得、私(主)を信じる信仰によって
聖別された人々に加わるためである(使徒行伝26‐18)
●神に服従し、悪魔に反抗しなさい。
そうすれば、悪魔はあなた方から逃げて行きます(ヤコブ書4-7)
●自分の欠点を直視し認めることです。ただし欠点に振り回されてはいけません
(ヘレン・ケラー)
●主御自身が知恵を造り、これを見て、価値あるものとされ、
造られた全てのものの上に知恵を注がれた。
主は、すべての人々に分に応じて知恵を与え、
主を愛する者には惜しみなくそれを与えられた。
〔主を愛することこそ、輝かしい知恵。主は、御自分を示すために、
知恵を分け与え、こうして彼らは主を見るようになる。〕
(シラ書〔集会の書〕1-9~10)
●その方すなわち、真理の御霊が来ると、
あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。
その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、
また、これから起こる事をあなた方に告げる(ヨハネ伝16-13)
●我が敵よ、私のことで喜ぶな。たとえ倒れても、私は起き上がる。
たとえ闇の中に座っていても、主こそ我が光なりミカ書7-8)
●暗闇と死の陰に座している者たちを光で照らし、我らの歩みを平和の道に導く
(ルカ伝1-79)
★★【その2】につづく★★