【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

<恩恵>の為の<患難>【2】

◇◇神の計画:恩恵のための患難(その2)◇◇
【2002年12月16日に作成した<第282回>より】
★★【その1】のつづき★★

私たちが恐れる【最大の敵・悪】とは自分自身から発するものとといえるでしょう。
内面に存在する悪意やねたみや虚栄心など【自己愛・エゴ】から湧き上がる思いと
同様に、病気・障害なと肉体的苦痛・不自由もまた恐るべき【最悪な敵】の1つだと
いえるでしょう。何故なら、人生において不信・絶望・愛の冷却を呼び起こさせる
悪循環を生むきっかけとなりやすいからです。

しかし、そんな悲惨な【患難】を神からの【恩恵・祝福】として善循環させてくれる
人々は私たちに勇気と感動と希望を与えてくれる【愛と自由の戦士】です。

例えば、目の不自由な視覚チャレンジドにとって、パラリンピック以外では世界初の
国際マラソン大会を92年に開催させた杉本さんの生き方にも【神の導き】があったと
私は確信しています。

現在84歳になる杉本さんは50歳前に失明してしまいます。そして、経営していた会社も
倒産して【人生のどん底】を経験します。精神的にも肉体的にも打ちひしがれた彼に
主治医は心配して何かスポーツをすることを奨めたそうです。

杉本さんの友人が「一緒に走りましょう!」と励ましてくれたことで、彼は救われます。
それ以来現在に至るまで20年間走り続けてきたのです。

杉本さんは走る喜びを見出して行き、やがて「マラソン大会に参加したい!」という
【ビジョン:理想・夢・志】を抱くようになります。しかし、20年前の日本では視覚
チャレンジドがマラソン大会に参加することは門前払いされてしまう状況でした。

そこで、伴奏者と共に密かに参加して5キロ、10キロ、30キロと着実に経験を積んで行き
1981年の63歳の時には参加自由なハワイのフル・マラソンに初めてチャレンジしたのです。

この【先駆者】としての勇気ある体験から、「目が見えなくても楽しく走られる喜びを
皆にも味わって欲しい」という気持から日本盲人マラソン協会を自ら創設します。
さらに、彼の【ビジョン:理想・夢・志】を確固たるものにしたのはソウルで開催した
パラリンピックをテレビで知ったことだったそうです。「よし、世界大会を開こう!」

杉本さんならではの勇気ある決断は【試練】を克服して与えられた【神の祝福・恩恵】で
あり、まさに杉本さんに託された【使命・天職】そのものを発見した瞬間です!

●ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち
 神がこの世で彼を用いようとするその目的が明かにわかり、また、
 これまで彼が導かれてきたすべての道がそこに通じているのを悟った
 日のことである(ヒルティ)

87年から始まり、視覚チャレンジドも参加している宮崎県のマラソン大会を知ります。
そこで、協力をお願いして92年に第1回の世界盲人マラソン大会を計画し実現しました。
苦労したのは運営資金を集めることでした。企業からの寄付は不景気を理由に集まらず
メディアを通じて知った全国からの一口一万円の個人寄付が中心となって5000万円以上
集まって成功したそうです。さらに1700人のボランティアも駆けつけてくれたのです。

世界初の国際大会には世界21ヶ国から292名の選手と伴奏者330名が結集したそうです。
当日の宮崎は観測史上初めて98年ぶりの大豪雨に見舞われる【試練】となります。
選手にとっては「今まで体験したことのない辛いマラソンでした」と語るほどの最悪の
コンディションでも、初の大会を成功に終らせたいうという心を一つ、思いを一つにして
全員が完走を目指したそうです。

第2回大会は4年後の96年に茨城県で実施しますが、第3回大会は資金不足の困難で
予定の2000年に実現できずに今日を迎えているようです。

テレビに登場して語る84歳になる杉本さんは明るく前向きな姿を見せてくれたことにも
大いなる勇気と希望と感動を与えられました。

困難な【試練・患難】にある時ほどに光輝く人は【ビジョン:理想・夢・志】に向かって
日々前進し続ける【使命・天職】に生きる【光の子】であるといえるでしょう。

●光の子らしく歩きなさい、光はあらゆる善意と正義と真実との
 実を結ばせるものである(エペソ書5-8~9)
●我々は神の命じ給う道を歩いていれば日々その務めと力とが自ずから与えられる。
 特にそれを得ようと思い煩うことはいらない。ただ、それを受け入れて実行すれば
 善い(ヒルティ)

また、78歳で自分の【青年の夢】を見事に開花させた感動的な話にも考えさせられます。
足立さんは若い頃には「エンジニアになりたい!」【ビジョン:理想・夢・志】があり
機械について基礎知識を学んでいました。しかし、現実の生活は農作業の毎日でした。
そして9年前に【試練・患難】に遭遇します。トラクターと接触して下半身不随となり
車イス生活を余儀なくされたのです。もはや農作業もできない肉体となった足立さんは
絶望の【人生のどん底】にあっても、かえって光り輝く人生に大転換させたのです。

●起きよ、光を放て、あなたの光が臨み主の栄光があなたの上に
 輝いているからだ(イザヤ書60-1)
●人もしキリストに在らば新たに造られる者なり。古きは既に過ぎ去り、
 視よ新しくなりたり(コリント後書5-17~18)

健康であった足立さんが車イスに乗って初めて不自由を感じたのは、その大きさだった
そうです。大き過ぎて小回りが効かず、自宅内では乗りこなせない問題を痛感します。
そこで、足立さんは考えたそうです。

「多くは望まない。せめて自分が座る『座布団サイズ』位が自由に動いてくれれば
 車イスは十分だ」そして、彼はただ嘆き悲しむだけではありませんでした。

自宅でも使え小回りの効くコンパクト・サイズの「理想の車イス」を自ら創ることを
決意し実行したのです!おそらく世界初のチャレンジであり、車イスの革命です!
足立さんでなければ抱けなかった決意は、神が託した【使命・天職】が示されている
証明だと私は確信できます。

足立さんにとっては80歳真近になって【青年の夢】は見事に大きく開花したのです!
私たちも人生の途中で挫折したり失望不信の困難に出会い、悲しみ涙に暮れる日々を
送ることもあるでしょう。しかし、【青年の夢】を自らあきらめる必要がないことを
証明していることを私たちに【福音】として示してくれたのだと感謝しています。

●彼等は涙の谷を過ぐれども、そこを多くの泉あるところとなす。
 また初めの雨は、もろもろの恵みをもって、これを覆えり(詩篇84‐6)
●それでもひたすら神に信頼し続けよ。そうすれば、まもなく光と力を見るだろう。
 おまえが信じたものを、まのあたりに見、信じた通りに成るであろう(バンヤン

既成の車イスを分解活用し、構想から4年にして、自ら設計開発して完成させたのです。
現在では足立さん個人が独自開発した車椅子の商品化を望んで、あるメーカーによって
生産する予定だそうです。 

杉本さんと同じく足立さんにとって、突然の肉体的試練は人生において【最悪の敵】と
思われがちですが、この二人に共通することは【試練】をマイナスの悪と受け取らずに
プラスに転じさせるために、人生そのものを大転換させたことだといえるでしょう。
つまり、自分の望む【ビジョン:理想・夢・志】に従った生き方を自ら選んだのです。
その時に、不自由と思われる肉体的不自由という【敵・悪】がかえって善き【祝福】と
なる【神の平安】が与えられる【愛の奇蹟】が起きたのです。神に導かれた証明です。

●主は人の行ないを喜ぶ時、その人の敵をもその人と和らがせる
 正義によって得たるわずかのものは不義によって得た多くの
 収穫にまさる (箴言16-7~8)
●私は平安をあなた方に残して行く。私の平安をあなた方に与える。
 私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなた方は
 心を騒がせるな、また、おじけるな(ヨハネ14-27)

そして、【愛の奇蹟】は【試練】に耐えて自分の為すべき道を発見して独り起ち上がる
【個人の魂】から始まることも【神の意志と計画】であると知るべきでしょう。

●個人をもって始まらざる事業にして偉大なる事業あるなし(内村鑑三
●神は大事を為すにあたって多数の勢力をもってせずして単独の勢力をもってし給うた(内村鑑三

神に信頼するならば、確実に望みの人生は与えられることを私たちも信じましょう!
神に信頼する生き方は、自分にとって【悪・敵:マイナス・闇・不完全・未実現】と
感じる対象にこそ、実は【善・味方:プラス・光・理想・可能性】が示されていると
いう「見えざるもの」を信じ望み愛する【信仰精神】であるといえるでしょう。
つまり、【善】は勝利するという確信を抱く勇気といえるでしょう。

●信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである(ヘブル書11‐1)
●信仰は人によっては迷信のごとくに見える。信仰は確かに一種の冒険である。
 これに従って、あるいは失敗におわるかもしれない。しかしながら、信ずる者は
 信仰の迷信でないことを知る(内村鑑三
●失望は不信なり、信仰は無限の希望を意味す(内村鑑三
●悪い事の中にもなにほどかの善の魂がまじっている。人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア
●善の勝利についての絶望は常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)
●神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝に恵まん(内村鑑三
●賢さで人生を乗りきるのは困難だが、導きによって生きるのは容易である(ヒルティ)

私たちのそれぞれの人生においても、【ビジョン:理想・夢・志】から遠ざけられる
様々な【患難辛苦】に遭遇させられる荒れ野に生きています。その【試練】に耐えて
鍛えられてこそ、私たちの目指す望みの【生き方:使命・天職】に導かれている事を
信じる勇気と希望を与えてくれて、しかも実現に向けて【愛の奇蹟】起こしてくれる
【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】が【主イエス】であることを
私は自信を持って推奨します!

●善をなすことのみ善事にあらず、困難に耐ゆること、これまた大なる善事なり内村鑑三
●教会のキリスト教は成功において神の恩恵を認む。
 これに反してキリストの福音は失敗において神の愛を示す(内村鑑三
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、
これに対抗することはできるであろう。私は神のおかげで困難になれてきた。
 神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
●ひとが本当に神を信じ、それが単に口先だけのことでないなら、唯物論
 世界秩序においては、ただ不可能としか思えない多くの事が当然のことになってくる(ヒルティ)

皆さんが日々の困難や患難に耐え鍛えられ【神の愛】に導かれた【祝福】により
望みの人生を歩めるように心よりお祈りいたします。

●試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたら
 神を愛する者たちに約束された命の冠を受けるであろう(ヤコブ書1‐12)

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。 God bless you!