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為せば成る!【1】

◇◇『仕方ない(no choice)』から『為せば成る」へ(その1)◇◇
【2001年8月18日に作成した<第171号>より】
2001年8月15日19:30NHKスペシャル「戦争を知らない君たちへ」
     8月17日深夜再放送「プロジェクトXえりも岬に春を呼べ』」を観て

●為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 為さぬは 人の為さぬなりけり(上杉鷹山
●なせば成る なさねば成らぬ 成るわざを 成らぬと捨つる 人のはかなき(武田信玄

●四方から患難を受けても、窮しない
 途方にくれても、行き詰まらない
 迫害にあっても、見捨てられない
 倒されても、滅びない(コリント後書4-8~)

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

皆さんの多くの方もご覧になられたとは思いますが、終戦記念日に若者と戦争体験者が
戦争について考えるスペシャル番組の中で興味深い発言がありました。

その発言とは、終戦直後の沖縄で米国に降伏した日本人捕虜に尋問した米国人の感想でした。

フランク・ギブニーによると、日本人の多くが戦争に巻き込まれ行わざる得なかった行為に

    「まちがっているが、仕方ない… (no choice)」

というあきらめとも思える発言をすることが、非常に印象深く驚いたと語ってくれました。

恐らく日本人同志ではあまり不自然ではなく、今でも日常使っているのではないでしょうか。

彼はその後も日本を研究し米国では現在でも日本通のジャーナリストとして有名だそうです。
彼は私たちに日本人気質のある特質を次のように指摘していました。

「一歩前に踏み出して、これはオカシイと言う人がいない。
 ブレーキのきかない日本には、社会にちゃんとした仕組みがないのではないのかと思える」

確かに、現在でも、小泉・田中内閣人気に乗じた加熱報道や集団ヒステリー現象には危機意識
を感じます。マイナスに転じると日本の危険性でもありますが、そのパワーがプラスに転じると
驚くべきチャレンジを実現させるのも日本人の気質かもしれません。

●悪いことの中にも、なにほどかの善の魂がまじっている。人が注意ぶかくそれをさがし出す
 ならば(シェークスピア

常に日本人気質のプラス面に光をあてているのが「プロジェクトX」だと思います。

皆さんも既にご覧になられたと思いますが、私は今回はじめて「えもり岬」での40年以上に
渡る壮大なチャレンジに感動しました。

北海道えりも岬は昆布の町です。しかし、明治の開拓民があまりの苛酷な寒さをしのぐために
岬一帯の森を伐採して薪に使用したためにえりも岬は砂漠地帯となったそうです。強風が表土を
けずり海水を真っ赤にして、やがて昆布自体の根が腐り安価な泥昆布しか収穫できない悪循環の
中でわずかの住民が黙って静かに暮らしていたのが、昭和27(1952)年当時です。

まさに「仕方ない」の世界です。

そんな住民の一人に飯田常雄さんがいました。当時24歳の彼は出稼ぎ先の小樽で地元の女性の
雅子さん(18歳)と恋に落ちます。彼等が50年後の今日を迎えることなど想像できなかったに
ちがいありませんが、この二人の出会いが奇蹟を起こす全ての始まりだったのです。

常雄さんは雅子さんにどうしても結婚を申し込む勇気が持てません。何故なら、そんな苛酷な
町に嫁いでもらうことなどできなっかたからです。町にはカラスや野ギツネがたまに観られる
くらいで、日常の生活で小鳥のさえずりも美しい緑など存在しないところだったからです。

しかし、常雄さんはあきらめませんでした。彼は熱く語ります。「おれは故郷を守ってやる!」
そんな彼に心ひかれた雅子さんは親の反対を押し切って結婚を決意するのです。

えりもでは常雄さんと同世代の青年が集まっている時に「木を植えて森に変えよう!」という
動きが出始めます。そんな不可能で無謀な計画に真っ先に「俺はやる!」と声をあげたのが
常雄さんでした。彼の勇気に励まされて50人の若者が立ち上がります。

その当時、北海道では十勝沖地震が起こり、えりもでも被害があり、国会議員が丁度見舞いに
訪問してきました。彼等は政治家に訴えます。地震被害より海岸の森の復活支援のための援助
を陳情します。陳情は見事成功して予算化されます。

昭和28(1953)年、先ずは荒地を牧草地に変えるための地元住人によるチャレンジが始まります。
専門家の指導で牧草の種をまき、強風対策のために「ヨシズ」で周囲を守りますが、それでも
一日で砂嵐に吹き飛ばされてしまいます。そんな繰返しが3年間続きますが、一向に牧草は
根付きません。その昭和30年に飯田さんは結婚します。

常雄さんは専門家の指導の限界を感じて、他の手段を探します。そんな悩める彼を神は見捨て
ませんでした。彼は波際にいつも打ち上げられている「ゴダ」の存在に気づくのです。腐った
海草類の「ゴダ」はしっかりと岩にはりついて強風にも吹き飛ばされない事を発見したのです。

まさに、神様から【インスピレーション・霊感・導き】が与えられた瞬間です。

この「ゴダ」を海岸から毎日運び種の上にまく事によって見事に根付かせることに成功します。
しかし、当初の人員では1ヶ月5ヘクタールが限界で、200ヘクタールもある広大な土地を
完全に「ゴダ」でうずめるだけでも、20年間を要するのです。そんな彼等の50家族の協力が
加わります。先の成果などまったく見えない中での彼等の偉大なチャレンジに敬意を表します。

●望みて喜び、患難に耐え、常に祈れ(ロマ書12-12)

そんな夫を支えるべき雅子さんでも、将来の夢だけでは耐えられない時がありました。一年目に
して、家の中や食事にまで舞い込む砂まみれの苛酷過ぎる生活に疲れ果てたのです。
彼は兄に手紙を出したそうです。「帰りたい」と・・・。

そこで雅子さんの兄は「母危篤」の偽りの電報をよこしてきます。常雄さんの父親が雅子さんに
この電報は本物かどうかを尋ねます。しかし、雅子さんは応えられません。そして、その時に
はじめて夫の常雄さんの家族の為に昆布漁をしながらも、森を復活させようとしている努力を
改めて考えるのです。そして、この場を逃げ出そうとしていた自分を恥じるきっかけとなります。
この時から、夫婦は本物になったのです。雅子さんの実家へ帰ることを断念した決断が後の日に
大いなる実りと恵みをもたらしてくれたことは、本人が今も健在で孫に囲まれた生活を送れて
いることで証明されているのです。真っ先に耐え忍んだ者を神様は必ず見守っていて下さるのです。

●善をなすことのみ善事にあらず、困難に耐ゆること、これもまた大なる善事なり(内村鑑三

昭和34(1959)年には常雄さんに長男が生まれます。そのことが励みとなります。牧草地は4分の1
までになっていました。北海道大学の専門家の東氏が現地調査した時に、砂漠地帯が見事に牧草に
なっているのを観て、それまでの研究の歴史に無い、人間技ではない驚異を感じたそうです。
彼は語っています。「えりもの人々にはただ敬意を表するばかりです。」

この大事業は人間単独の事業ではなくて、人間と神との愛の共同事業であったと私は信じます。

●恐れるな、私はあなたと共にいる。たじろぐな、私があなたの神だから。
 私はあなたを強め、あなたを助け、私の義の右の手であなたを守る(イザヤ書41-10)

昭和45(1970)年に、ようやく砂漠地帯全体が牧草地にすることに成功します。既に20年近い
時が経過しています。ようやく植林がスタートします。先ずは丈夫な黒松が植えられて行きます。
ところが、またしても【試練】が訪れます。1年後に全て枯れてしまったのです。原因は地層に
ありました。そこで地層の水を排水させるために人手だけで排水の溝を掘らなくてはなりません。
また長い苛酷なチャレンジが始まるのです。

そんな昭和49(1974)年には皆さんもご存知の歌謡曲の「襟裳岬」が大ヒットして全国で有名に
なります。しかし、そこで描かれる「えりも」の歌詞にとても怒りを覚えたのは常雄さんでした。

「♪えりも~の、春~は なにも~ない 春で~す♪」

この歌は彼だけでなく、えりもの住人を奮起させます。「世界一の春」を取り戻すために。

★★【その2】につづく★★