【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神の愛】は我が【正義】!【1】

◇◇【主イエス=神の愛】は我等の【正義】!(その1)◇◇
【2002年12月10日に作成した<第281回>に加筆】 

2002年12月6日(金)朝日新聞天声人語
      12月5日(木)13:00NHK教育「にんげんゆうゆう:手話が育む笑顔と友情」
      12月5日(木)19:30NHK教育「にんげんゆうゆう:バリアフリー映画への挑戦」
を見聞きして

●正義の温暖なるもの、これを愛という(内村鑑三
●愛は神より出づ(ヨハネ第1書4-7)
●愛さぬ者は神を知らず、神は愛なればなり(ヨハネ第1書4-8)

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します。

天声人語」に最近81歳で亡くなった米国の著名哲学者ジョン・ロールズの話が紹介されていました。

皆さんご承知のように、≪正義≫という言葉は国家や組織の都合によって利用されやすいといえます。
民主主義的な「最大多数の最大幸福」を目指す≪正義≫に対して、ジョン・ロールズが提唱した
≪正義≫とは「最も不遇な人々の為になるか」という発想から、少数派や弱者を尊重するものだったと
書かれていました。

ジョン・ロールズの提唱する≪正義≫は社会主義共産主義人道主義者の主張する≪正義≫であり、
誰もが頭では理解できる道徳・倫理観でもあります。それは人間の理性で考えつく≪人間の理想≫であると
いえるでしょう。

一方で、【聖書・イエスの生涯と教え】に基づく、人間の理想と違った≪正義≫があると私は理解しています。

それは≪【神の愛】が示す理想≫であり【真理=主イエスの愛・生き方】といえるものです。

●愛【主イエス】は耐え忍び寛容である。愛【主イエス】は情深く人の益を図る
 愛【主イエス】はねたまない、誇らない、高ぶらない、非礼を行なわない
 愛【主イエス】は己の利を求めない、軽々しく怒らない、人の悪を念(オモ)わない
 愛【主イエス】は不義を喜ばないで真理を喜ぶ
 全てをおおい包み、全てを信じ、全てを望み、全てを耐えて支える
 愛【主イエス】はいつまでも絶える事がない      (コリント前書13-4~8)

≪神愛の正義≫は1匹の【迷える子羊】のためには残りの99匹を待たせておいても自分から率先して泥をかぶり
助け出しに行く【現場主義】であり、さらに【共感主義】でもあり、社会全体を改善するために先ず実践することは
【個人】の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を救済することから始める【個人主義】でもあるともいえます。

●あなた方に内に百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら九十九匹を野原に残しておいて
 いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないだろうか(ルカ伝15‐4)
●これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい(マタイ伝18‐10)
●これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなた方の天の父の御心ではない(マタイ伝18‐14)
●目の前の一人を救える者が、世界をも救える(ユダヤの格言)
●先ず人間を改造せよ、そうすれば人間の環境はおのずから変化する(ヒルティ)
●個人とは個々の霊魂(たましい)である。英語では【individual】分かつべからざるものの意である(内村鑑三
●個人は分かつべからざる者で、人そのままである。神の子、永久の存在者、自由独立、不滅の固有性を有し
 全世界を代価に払うても贖(アガナ)う事のできないほど貴いものである(内村鑑三
●喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい(ロマ書9-15)

【キリスト精神】における≪正義≫とは、たとえ自分の敵であろうとも分け隔てなく共に助け合い、≪悪・闇≫と思われる
肉体的/精神的苦痛や非人道的境遇であろうとも、【神の愛=主イエス】の望む≪最善≫を見出す【愛敵精神】であり、
むしろ少数派や社会的弱者である事を感謝し喜べる生き方といえます。

◎【愛敵の精神】(内村鑑三
悪に酬いるに悪をもってするは悪に負けたのである。
何をも酬いないで、ただ耐え忍んでいるのは戦わないことである。
善をもって悪に対するのが悪と戦って勝つ事である。
●怨に酬いるに徳をもってし
 憎に対するに愛をもってし
 悪に対するに善をもってする
●悪に負けてはいけない、かえって善をもって悪に勝ちなさい(ロマ書12-20)

【キリスト精神】の目指す≪正義=真理≫とは自力だけで実践するには到底不可能と思われることでしょう。
しかし、【神の愛=主イエス】を信愛して、【神の愛=主イエス】と共に実践する【隣人愛】に生きるならば、全ては
可能となる事を私たちは日頃見聞きしているのです。

●イエスに対する【貴い愛】は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、人を励まし、いつもいっそう完全な徳を望むように
 仕向けさせる。愛は常に向上を欲していかなる、いと低い事物によっても引き停められることを望まない。
 (トマス・ア・ケンピス)

例えば、2002年12月6日(金)朝日新聞夕刊一面に紹介されていたジャネット・ランキンさんの生き方は感動的です。
彼女は米国で女性初の国会議員(連邦議員)となった人物です。1917~19年と1941~43年の2期だけ下院議員に
選ばれます。

1期目の議員時代には「第1次大戦への参戦決議」の際に、たった独りだけで堂々と反対票を投じたそうです。
周囲の男性先輩議員は決議の前にわざわざ忠告してくれたそうです。

「君は女性初の議員であるのだから、行動には慎重であるように」

しかし、彼女は≪【神の愛】の正義=【隣人愛】≫を守りぬくという信念を捨てませんでした!

●君がもし、それをしなければならないと確固たる信念をもってある事をなす時、たとえ多数者(大衆)はそれについて違って
 考えようとも公然とそれをするのにはばかる事はない。君がもし正しく行動しないのなら、その行動をこそはばかるべきで、
 もし正しく行動するのなら、きみを不当に非難する人々に対して何のはばかるところがあろうか(エピクテトス

そして、2期目の時の1941年には真珠湾攻撃を受け全米の国民が対日宣戦に賛成する渦中において、唯一反対票を
投じたのです。彼女は売国奴・非国民の酷い扱いを受け迫害され、その後の政治生命も失ったそうです。

ランキンさんはさらに前進し続けました。87歳になった1968年には5000人を従えて首都ワシントンでベトナム反戦デモを
決行するのです。

もし、彼女の二つの反対票が無くてニ大戦の参戦決議が満場一致だったとしたならば、米国の民主主義や良心は、
そして人類の目指す自由主義はどうなっていたでしょうか?

彼女の【神の正義=隣人愛】に従った勇気ある2度の決断と実行があったからこそ、欲望と権力が渦巻く政治の世界にも、
≪米国の良心≫は守られ、社会が理想とする自由主義の実現に向けて、貴重な【希望の光】が絶やされずに、21世紀を
迎えられたといっても過言ではないと思います。

●人間のうちに善をのばしてやり、彼等の心に善に対する愛好心を注ぎ込むことが必要である(ヒルティ)
●【道徳的世界秩序】
 この世におけるまことの善は十分強くなるまでは、常に世間やその色々な機関の好意や承認をうけることはできないであろう。
 それにもかかわらず、善は活動をつづけそのような静かな孤立の中で成長してゆく(ヒルティ)
●涙とともに蒔く者は歓喜とともに刈取らん。その人は種をたづさえ涙を流して出で行けど束をたづさえ喜びて帰り来たらん
 (詩篇126‐5~6)
●「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」 種を蒔く人も刈る人も共に喜ぶ(ヨハネ伝4‐36~37)

たった独りでも≪人類の理想≫を守ることは可能であり、初めは敗北したように思われても最後には勝利する証明です!

●大いなる事業が完成されるためには、ひとつの精神があれば足りる。千の手を動かすために(ゲーテ
●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、殺されて活くるのがキリスト信者の生涯である(内村鑑三
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三)
●正義は負けて興り、不義は勝ちて滅ぶ(内村鑑三

1973年に亡くなった後もランキンさんの【ビジョン:理想・夢・志】を受け継ごうと起ち上がリます。1987年に彼女の
生まれ故郷であるカナダの人口4万人の町ミズーラにNGOによる「ジャネット・ランキン・ピース・リソースセンター」が
300人の支援によって設立運営されているそうです。

ご存知のように、アフガン攻撃への決議においても、バーバラ・リー下院議員だけは唯一の反対票を投じました。

興味深いことはランキンさんの議員時代と異なり、現代は情報公開が進み情報社会の発展のおかげで、市民一人一人が
事実を掴み、彼女の行動を単純に売国奴・非国民扱いせずに、以前よりも冷静に理解してくれる人々も現れて、彼女は
見事に再選されたそうです。

●この世において真実の善良な生活をしようという勇気を彼等に取戻してやらねばならない(ヒルティ)

ランキンさんやリーさんは狭小なる愛国心ではなく、最善なる【神の愛=隣人愛】の勝利を常に信じ望み愛し続ける信念に
よって起ち上がったのだと思います。そして、その行動こそが【精神的自由】である証明だといえるでしょう。

●自由は己を治むるの意なり。自由は己を神に委ね、しかれども強いられて委ねるにあらず、自ら求めて委ねるなり(内村鑑三
●愛の中に恐れあること無し、全き愛は恐怖を除く(ヨハネ第1書4-8)
●善の勝利への絶望は、常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)

≪人間の理想≫としての≪正義≫を目指す社会主義共産主義人道主義においては、先ずは社会改良や人権保護や
法律改正を目指し徒党を組んだ政治運動が必要となるかもしれません。

しかし、【キリスト精神】における≪【神の愛】の正義≫」なる【善:隣人愛】の勝利を目指すためならば、たった自分独りからでも
実現可能である事を私たちは理解するべきです。

●単独の勢力:世界改造の実力は一人の霊(内村鑑三
●余は余一人にして一党派を樹立せん(ダンテ)
●我、神と共にありて、我一人は全世界よりも大なり(内村鑑三
●党を組んで強きを感ずる者は世の人なり。人を離れて力を得る者は神の人なり(内村鑑三
●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三
●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。 世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである
  (マーガレット・ミード)
●すべて偉大なことは、小規模に少人数から始まるものだ。あなたはそれを覚悟しなければならない。
 そして、子供たちを教育するにも彼等が少数派に属することを平気なように導かねばならない(ヒルティ)

★★【その2】につづく★★