【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【神の愛】の≪二大教訓≫

◇◇【使命・天職】に生きるための主イエスの二大教訓◇◇
【2003年3月8日に作成した<第293回>に加筆】 
内村鑑三の著作より思うこと

●もし我(主)に従わんと欲う者は、己を棄て、その十字架を負い我に従え(マタイ伝6‐24)
●先ず神の国と神の義を求めよ(マタイ伝6‐33)
●何事も思い煩うことなく、ただ毎事に祈祷をし、懇求(ネガイ)をし、かつ感謝して己れが求めるところを神に告げよ(ピリピ書4‐6)

内村鑑三は主イエスの【二大教訓】として次の二つを挙げています。
 斂議餽骸腟繊曄、痢―住擎諭畸竸・圧服・虐遇の表彰(しるし)
 十字架を負うとは負けることである。全然敵に譲り、敵の善を思うこと、彼に愚弄されること、そして 神によって勝利を得る!
◆斂疑看杣腟(無頓着主義)】
 生活問題に関しては一切の心配ご無用!

この【二大教訓】は【ミッション:使命・天職】を目指すにおいて必要不可欠な心得といえるでしょう。
各自が負うべき【十字架】には【ミッション:使命・天職】も含まれると思うからです。【ミッション:使命・天職】を目指すことは自力本願では実現不可能な困難な道であり、世間だけでなく家族からさえも無理解の扱いを受ける事を覚悟するべきです。

●キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな迫害を受ける (テモテ後書2‐13)

誰もが無謀で愚かだと思われるような青年時代の熱き心に抱き忘れがたき【ビジョン:理想・夢・志】への挑戦には間違い無く【神助】と【神愛の祝福】による励ましと慰めがあることを信じましょう!

●まっさきに人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない (ヒルティ)
●神に頼るべき者が人に頼る時に恥辱あり、神の頼るべき者は神の他に何事にも頼るべからざるなり
 (内村鑑三)
●人を相手にせず、天を相手にせよ、天を相手にして己を尽くし人をとがめず我が誠の足らざるを尋ぬべし(西郷隆盛)
●沈黙せよ、苦しめ、耐えよ、おまえの苦しみは誰にも訴えるな、決して神に絶望するな、おまえの助けは日毎に来るのだ(ルター)

そして、失敗と恥辱の敗北を重ねてこそ、【神の愛】を知り心から受け入れ【神の愛の奇蹟】によって
勝利することを私たちは知っておくべきでしょう。

●神を知って万事ことごとく可なり、知らずしてことごとく非なり。
 ⇔主を知るは知恵の初めである(内村鑑三)
●不義は勝ちて滅び、正義は敗けて興る(内村鑑三)
●一切の仕事は神を離れては困難であり、神と共にあれば一切が可能である (ヒルティ)
●真理に逆らっては能力(チカラ)なく、真理に従えば能力あり(コリント後書13‐8)
●私の力は私の弱き時に完成(マットウ)せらる(コリント後書12‐9)

多くの人は【無抵抗主義】といえば「右の頬を打たれれば、左の頬を向ける」という【聖書】の有名な聖句を思い浮かべ≪敵≫に無条件に降参屈服する《愚かさの象徴》として都合よく解釈して、軽蔑することもあるのではないでしょうか。

●わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい(マタイ伝5-39)

果たして《右の頬》を打たれて、《左の頬》を向けるのは無条件に相手の言いなりになって屈する態度を示すのでしょうか?
【主イエス】自身が命じたこの【聖句】は、不義不正にも従属すべしという意味どころか、正反対であると私は理解します。
想像してみてください。通常は右利きが多いので、顔を打たれるとしたら、先ず《左の頬》を打たれるのではないでしょうか?先ず《右の頬》を打たれるという行為は、《手の甲》で軽くはたかれるような《侮蔑的行為》であることを理解するべきでしょう。つまり、単なる暴力的で肉体的虐待だけでなく、もっと根深い陰湿な精神的虐待までも含まれているのだと思います。
そんなに過酷な立ち直れないような侮辱を受けても、頭を垂れることなく、背を向けて退散することなく、踏みとどまって、毅然と真っ直ぐ《前方》に顔を向ける態度こそが、「右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい!」だと私は確信します!
自分の信じる【ビジョン:理想・夢・志】に向かって前進する時、【霊性:魂〈勇気〉・善意・良心】に従って行動する時に、たとえ不条理で不当に妨害されても、後ろを向いて退散することなく、顔を真っ直ぐに前方《未来》に向けて前進するぞ!という【パッション:受難覚悟の情熱・熱意・専念】の姿勢であり、【十字架】に向かった【主イエス】の姿そのものです!

●頭を垂れてはなりません。頭はいつも高く、そして世界を真っすぐに見るのです(ヘレン・ケラー
●私の心の奥底には、私に敵対する者をはね返す闘志がみなぎっている(バイロン
●私は少なくとも自分の体験により、このようなことを知った。自分の夢に向かって確信を抱いて前進し、思い描いた人生を生きるように努力するならば、普通では考えられないような成功を手にする(ソロー)
 
従って、【無抵抗主義】とはガンジーキング牧師に代表されるような社会的差別や横暴からの【自由】を目指す集団的デモや政治的活動だけでなく、【霊性:魂[勇気]・善意・良心】から信じ望み愛する個人的【ビジョン:理想・夢・志】を目指すときに周囲から反対されても、耐え忍び実現を目指して守り続けるような、≪個人的・内省的≫な【霊的聖戦】にこそ必要不可欠だと思います。

●あなたに委ねられていることを守りなさい。そして、俗悪な無駄話と偽りの「知識」による反対論を避けなさい(テモテ前書6‐20)
●あなた方はこの世に妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、
 何が神の御旨であるか、何が善であって神に喜ばれ、かつ全きことであるか、わきまえなさい(ロマ書12‐2)

そして、世間的に無謀と思われる【ビジョン:理想・夢・志】実現を目指す【ミッション:使命・天職】の道は【神の愛=主イエス】】と共にあるならば安全であり栄光を勝ち取るのです!

●恐れてはならない、私はあなたと共にいる
 驚いてはならない、私はあなたの神である
 私はあなたを強くし、あなたを助け
 我が勝利の右の手をもって、あなたを支える(イザヤ書41‐10~14)
●苦しみ悩みのうちから、私の主を呼び求めた
 主は私に応えて、私を広いところに置かれた(Set me free)
 主は私の味方、私は恐れない
 人は私に何ができようか(詩篇118-5~6)
●彼が神への信頼を失わずに、その試練をきり抜けるならば、他のいかなる
 道でも達せられないほど、神に近づくことができる(ヒルティ)
●希望は失望に終わることはない。何故なら私たちに賜っている聖霊によって
 神の愛が私たちの心に注がれているからである(ロマ書5‐5)

【ミッション:使命・天職】を目指す者は世間や家族の無理解や妨害にひるまず、あきらめず、世間体や目先の私利私欲に服従せずに、前進し続ける【無抵抗主義】であります。

●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)
●生活は必ず不断の進歩であって、その日その日が一つの創造であるべきである(ヒルティ)

しかし、「我独り賢し」の傲慢になったり、「独りぼっち」の孤独なチャレンジではありません。
「我が道を【神の愛】と共に往く!」のであって【神の愛=主イエス】と≪いつも一緒≫で【一心同体】だからです。

●インヌマエル:神われらと共にいます (マタイ伝1‐23、イザヤ7‐14、8‐8)
●見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる<Always,with you> (マタイ伝28‐20)

私たちが【ミッション:使命・天職】を目指す上で【無抵抗主義】と同時に【無心配主義】も重要不可欠です。

特に日本では【神の愛】が望む【自主独立】よりも、世間的に経済的自活している方が重大事かもしれません。一般的に【独立】とは「世間的に迷惑をかけないようにする」ことと考えるからです。しかし、神の望む【独立】は違います。与えられた【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮させることだからです。

●独立とは必ずしも他の援助を起つということではなく、自己の有する全ての実力を活用することをいうのである(内村鑑三

世間的には長期的展望に基づいた【ビジョン:理想・夢・志】よりも、日常の生活問題を優先しやすくなります。【ビジョン:理想・夢・志】を人生の最優先にしてチャレンジしようとするなら、日常生活や将来の様々な困難への《心配事》を誰かに相談したり精神的に援助してもらわなくてはなりません。
誰よりも頼もしくて【ビジョン:理想・夢・志】実現に向け、いつでも相談相手になってくれる≪最善最強の味方≫は【神の愛=主イエス】であることを私は自信と誇りをもって皆さんにお奨めします!ハレルヤ!栄光を主に帰します!

●あなた方はこの世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私は既にこの世で勝っている(ヨハネ伝16‐33)
●衣食は天職の遂行のために伴う必然の附随物である(内村鑑三)
キリスト教は世をあきらめずして、世に勝たしむるものなり(内村鑑三)

【神の愛=主イエス】に信愛するならば、心に変化が起こります。それまでは心配だった些細な日常問題(健康・生活設計・世間的成功)への不安や不満が徐々に消え失せて、同時に勇気と希望が沸いて来るようになります。

●あなたの顔を日の光に向けていなさい。そうすれば影を見なくてもすみます。いつも真理に目を向けていなさい。 そうすれば、あなたの心から不安や心配は消えます(ヘレン・ケラー
●起こるかもしれない不幸に対する心配はぜひとも忍ばねばならない。現実の不幸よりも、一層ひどく人の力を消耗させる。実際の不幸は、しばしば外的な手段や努力によって打ち勝つこともできるが、心配は神への信頼によってしか徹底的に打ち勝つことはできない(ヒルティ)
●神を信じる人々にとっては、すべての憂いが次第に消えて、その代わりに、ある確かな信念が生まれる。~本当の禍(ワザワ)いをもたらすことはないとう信念がわいてくる(ヒルティ)

そして、【無抵抗主義】も【無心配主義】も【主イエス】を通じて【神の愛】への【礼拝:祈りと感謝】で心に根付くようになります。【神の愛=主イエス】への【礼拝:祈りと感謝】こそが【神の愛】を【聖霊】として心に受け入れる≪最善の方法≫だからです。

●断えず祈祷の状態においてあるべし、常に心を虚しゅうし、すべての善き物を神より求めんと欲する謙虚にあるべし(内村鑑三)
●断えず祈るべし、祈祷をもって生命となすべし(内村鑑三)
●私たちが何事でも神の御旨に従って願い求めるならば、神はそれを聞き入れて下さる。私たちが願い求めることは、何でも聞き入れて下さるとわかれば、神に願い求めたことは既にかなえられたことを知るのである(ヨハネ第一書5‐14~15)
●求めよ、さらば与えられん。捜せよ、さらば見出さん。門を叩けよ、さらば開かれん(マタイ伝7‐7、ルカ伝11‐9)
●何でも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、その通りになるであろう(マルコ伝11‐24)

【礼拝:祈りと感謝】を習慣にして【無抵抗主義】と【無心配主義】を根付かせて【ビジョン:理想・夢・志】に真っ直ぐにチャレンジしましょう!Good luck & God bless you!
●神が私たちにくださったのは臆する霊ではなく、能力と愛と慎みの霊である(テモテ後書1‐7)
●語るための真理にあらず、信じて行なうための真理なり(内村鑑三)
●心からの祈りによって、成し遂げられないものは、この世界にない(ガンジー