【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【想念義認】で前進!

◇◇「行為義認」でも「信仰義認」でもない【想念義認】で前進! ◇◇【2004年11月17日に作成した<第351回>に加筆】「やもめと裁判官のたとえ(ルカ伝18-1~8)」に学ぶ

●イエスは、失望せず気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために
 弟子たちにたとえを話された(ルカ伝18-1)
●神は日夜叫び求める選民のために、正しい裁きをして下さらずに長い間そのままにしておこうか?
 言っておくが、神は速やかに裁いて下さるであろう(ルカ伝18-7~8)

【主イエス】が教えられた「やもめと裁判官のたとえ(ルカ伝18-1~8)」は私たちに勇気と希望と励ましと慰めを与えてくれます。名も無く無力で世間的に力量不足の象徴である「やもめ」は私自身でもあるからです。人を人とも思わぬ「裁判官」とは厳しき現実社会そのものです。しかし、過酷な現実社会であっても、不義・不正の権威でも日夜熱く訴え続ければ、裁判官は悩まされることにうんざりして、結局動いてくれるという事実を示しています。

この啓示は【驚くべき恵み】ではありませんか!あれほどに不義・不正・非情な裁判官(世間)を動かしたものは「やもめ」の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気骨】でしょうか?
それとも厳しき「裁判官」にもある【霊性:魂[勇気]・善意・良心】だったのでしょうか?

迷惑がられてイヤイヤであろうが、うんざりしてであろうが、常に背後には、必ず【神の愛】が働いて関係者全てを【最善】に導く【新たな人:仲介・弁護・とりなし・助け主】になったと信じます!ハレルヤ!主に栄光を帰します!

●キリストは私たちの平和であって2つのものを一つにして敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって数々の規定から成立する規律と戒律ずくめの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって二つのものを一人の新しい人に造りかえて平和を来らせ、十字架によって二つのものを一つの体として神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである(エペソ書2-14~16)
●命は恩寵のうちにある、夕暮れに涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある(詩篇30‐5)
●主は人の行ないを喜ぶ時、その人の敵をもその人と和らがせる。正義によって得たるわずかのものは不義によって得た多くの収穫にまさる(箴言16-7~8)
●私は平安をあなた方に残して行く。私の平安をあなた方に与える。私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなた方は心を騒がせるな、また、おじけるな(ヨハネ14-27)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、 これに対抗することはできるであろう。
 私は神のおかげで困難になれてきた。神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)

ニューヨーク・マンハッタン市街では毎週末には様々な抗議・啓蒙のデモ行進が行われていたことを思い出します。最近の日本でもそうですが、欧米でデモ行進や署名運動が盛んな背景に【主イエス】の説いた【やもめ精神】が【根本精神】に感じられます。あきらめるな!弱いからこそ結集しよう!明るく元気に前進し続けよう!

ガンジーキング牧師の無抵抗運動は同時にストライキ運動・民衆蜂起など労働争議や権力闘争へ発展します。

ここで注意すべきは【主イエス】の説いた【道】とはデモ・署名活動などの集団的行為より【個人的実践】だと思います。たった私一人であっても、【神の愛】と共に行進すれば、やがては世界をも動かせる【神の愛の奇蹟】の証明です!

●単独の勢力:世界改造の実力は一人の霊(内村鑑三
●余は余一人にして一党派を樹立せん(ダンテ)
●党を組んで強きを感ずる者は世の人なり。人を離れて力を得る者は神の人なり(内村鑑三
●神(愛)を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じて全ての善き物をもって汝を恵まん(内村鑑三)
●死に勝つに生をもってし、闇を逐うに光をもってし、怨を滅するに愛をもってす、これ神の救済法なり(内村鑑三)
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるようにする方が善いと考えられたのである(アウグスティヌス「エンギリオン」)
●悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい(ロマ書12‐20)

【個人的実践】において共にある【神の愛】とは【内なる神の声】である【ビジョン:理想・夢・志】だと私は理解します。

●主は何をあなたに求めておられるのか?それはただ公義を行ない、慈しみ・誠実を愛しへりくだって、
 あなたの神と共に歩む事ではないか!(ミカ書6‐8)
●青年の夢を軽んじてはならない。それは大抵、その人のまだ自覚しない素質に応じたものであり、
 したがって、またその人の使命とも一致することが多い。
 つまり、人の使命も、最初はただ空想的な未来像として現われてくるものである(ヒルティ)
●神は御意(ミココロ)を成さんために、汝等の内にはたらき、汝等をして志望(ココロザシ)を立て、業を行わしめ給えばなり(ピリピ書2-13)
●我等は神に造られたる者にして、神のあらかじめ備え給いし善き業に歩むべくキリスト・イエスの中に造られたるなり(エペソ書2‐10)
●私たちはこの宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、私たちから出たものでないことが、あらわれるためである(コリント後書4‐7)
●人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。何故なら、全ての永続的な真実の力は神のものであって、人間のものではないからである(ヒルティ)
●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、神はその人の中でみずから全てのことを行ない、彼を完全へと導き給う(聖女カタリナ)

【神の愛】に認められる道は、当初は【戒律・十戒】遵守の善行を重視する「行為義認」でした。やがて、ルターが目覚めて誰でも信じれば救われる!「信仰義認」を【聖書】から新発見して宗教改革が起こりプロテスタントが生まれた事は皆さんもご存知のはずです。

私は【聖書】の中に【ビジョン:理想・夢・志】を熱く想い念じるだけでも救われるのだ!という【想念義認】を新発見しました!
人生目的を【熱き青年の心】に抱く【ビジョン:理想・夢・志】として定め、【神の愛】を信愛することを【実現手段】とするならば、私や貴方の描く【ビジョン:理想・夢・志】は【ミッション:使命・天職】となるからです!

●あなたのしようとすることを主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計画はゆるがない(箴言16-3)
●真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない(ヒルティ)
●おまえの不幸に打ち負かされるな。神に頼れ、そうすれば勝つだろう。
 洪水が襲ってきても、おまえは上にあって、溺れないだろう。
 苦し過ぎる重荷を負わされたならば、
 主なる神が既にお前の願いを聞き給うたのだ(パウル・ゲルハルト)
●主が言われた『私の恵みはあなたに対して十分である。私の力は弱いところに完全にあらわれる』それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ喜んで私の弱さを誇ろう(コリント後書12~9)
●神はあなた方にあらゆる恵みを豊かに与え、あなた方を常にすべてのことに満ち足らせ、すべての善いわざに富ませる力のある方である(コリント後書9‐8)
●嘆くのはやめて旅をし続けるがよい。すでに与えられたものをしっかり守れ
 この午後をなお歩み続けるならば、夕べには平和がさし招くであろう(ヒルティ)
●【最大の能力(内村鑑三)】
 確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。これが世界を動かした力である。
 先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、かくて自己は死して神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。

【主イエス】が善しとされた「やもめ」は自分の描く【ビジョン:理想・夢・志】を熱心に日夜問わずに、敵対関係と思われる強大な【この世の勢力:富・権威・名声】に対してあきらめることなく、実現を信じて、いつも元気に訴え続けたからこそ、世間的に「立派な善行」でも教会信者として「強き信仰」でもない、ただ【想念】するだけでも、【神の愛】は【義認】として【選びの民】とされたのだと私は理解します。

だからこそ、世間的に無名無力な「やもめ」である私自身は、自分の心に描く【ビジョン:理想・夢・志】だけは大切にして明るく元気よく喜び勇み、常に実現を信じて、あきらめずに祈念し、いつも【神の愛】に感謝できます!

●【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】
 いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
 これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである(テサロニケ前書5‐16~18)
●夕べに、朝に、真昼に、私が嘆き、うめけば、 主は私の声を聞かれる
 たとい私を攻める者が多くとも、主は私が戦う戦いから、私を平和のうちに救い出してくださる。
 私と争い挑む者が多いから(詩篇55-17~18)
●熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え
 望みを抱いて喜び、患難に耐え忍び、常に祈りなさい(ロマ書12-11~12)
●絶えず祈りと願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、目を覚まして、うむことなく根気よく
 全ての聖徒のために祈り続けなさい(エペソ書6-18)
●何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに感謝をもって祈りと願いとを捧げあなた方の願い求めるところを神に打ち明けなさい(ピリピ書4-6)
●目を覚まして、感謝を込めて、ひたすら祈り続けなさい(コロサイ書4-2)

皆さんが熱心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】の実現を信じ望み愛することで、【神の愛」に【想念義認】とされながら【神の愛】と共に光り輝き明るく元気よく前進し続けることを心より応援しています!

●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走りキリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めている(ピリピ書3-13~14)
●罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と生命と成功と愛とに向かって進まんのみ(内村鑑三
●汝ら前に進まんのみ(内村鑑三出エジプト記14-15)
 前に進まんのみ、餓死を恐れず、単独を恐れず、失敗を恐れず、破滅を恐れず
 前に進まんのみ
●神の側に立とうと決心するが良い。次にはあなたの力と個性に合わせてあなたに
 個人的に下される神の命令に従え(ヒルティ)
●我々は神の命じ給う道を歩いていれば日々その務めと力とがおのずから与えられる。特にそれを得ようと思いわずらうことはいらない。ただ、それを受け入れて実行すればよい(ヒルティ)
●愛する兄弟たちよ、確(カタ)くして動かされず、常に励みて全力を注いで 主の事(ワザ)に務めよ。主にあってあなた方の労苦が無駄になる事はない(コリント前書15―58)
●あなた方はこの世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私(主イエス)はすでに世に勝っている
 (ヨハネ伝16-33)
キリスト教は世をあきらめずして、世に勝たしむるものなり(内村鑑三
キリスト教は不断の幸福を約束しない。しかし、世に勝つ平和を約束している(ヒルティ)
●私たちは真理にさからっては何をする力もなく、真理に従えば力がある(コリント後書13-8)
●悩みを突き抜けて歓喜にいたれ!(ベートーベン)