【2006年9月25日に作成した<第415回>に加筆】<改訂版・再掲載>
◇◇<【センチネル(Sentinel):見張り番・守り役】の務め>に感謝!(その1)◇◇
●わが主は私にこう言われた。「さあ、見張りを立てよ。見るところを報告させよ
(イザヤ書21-6)
●エルサレムよ、あなたの城壁の上に私は見張りを置く。
昼も夜も決して黙してはならない。主に思い起こしていただく役目の者よ、
決して沈黙してはならない(イザヤ書62-6)
●人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。わたしがある国に向かって
剣を送るとき、その国の民は彼らの中から一人の人を選んで見張りとする
(エゼキエル書33-2)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
英語聖書では「見張り番」として「Watchman」という単語が使われているようですが、
勝手ですが、私は【センチネル(Sentinel)】という言葉が気に入っています。
私が<センチネル>という言葉にとても強い印象を与えられたのは、80年代にTVで観た
映画のタイトルからでした。
皆さんの中に御覧になった人もいるかもしれませんが、米国映画『センチネル』は、
当時流行したオカルト映画の小作品といえるでしょう。
記憶がおぼろげで申し訳ありませんが、NYマンハッタンのアパートメントの一室の
<名も無き住人>が、実は重大な<見張り番の務め>があるというストーリーです。
住人は部屋から外出する事なく、大都会の中で誰にも気づかれる事なく、<悪霊勢力>を
部屋に封じ込めることに生涯を捧げて、全人類を守る【聖戦】に献身しているのです。
この<特別な住人>は、時にかなって一般市民から一人選ばれて、代々継承されながら、
静かな攻防戦が繰り広げられているという物語です。
まだ【聖書】も【神の愛=主イエス】も具体的に知らなかった、今から25年以上前の、
若き青年の私にとっては、この<センチネル>の<献身的な姿>は、カッコよくて、
切なくて、「あんな人生も素晴らしい!」と心に刻まれました。
それ以来、私にとって<センチネル>は代表的な名誉ある【ヒーロー像・戦士像】です!
【聖書】や【神の愛=主イエス】を信愛する現在ならば、、何故あれほど感激したのか、
十分に納得できます。まさに<センチネル>は【神の愛=主イエス】に<召命>されて
【ミッション:使命・天職】に生きる姿そのものだからです。
●聖なる方の命令で、星は定められた場所につき、見張りの務めを決して怠る事はない
(シラ書〔集会の書〕43-10)
●皆が同時に見張りをするな。めいめいが自分の所で眠り、順に見張りをするがよい
(エズラ記〔ラテン語ギリシャ語〕11-8)
【神の愛=主イエス】に信愛する現在の私なら、特別な<映画の世界>の中だけでなく
【神の愛=隣人愛】に満ち溢れた<天然の世界>の至る所に目立たずとも懸命になって
<天然世界>を守るために【センチネル】が活躍してくれていることを見出せます!
たとえばペットでブームにもなった、耳が大きくて可愛らしい「フェネック」ですが、
エジプトのサハラ砂漠で重大な環境破壊問題となっている<砂漠化>を防ぐためには、
あのフェネックが不可欠な貴重な存在であったことが、最近になって判明したそうです。
砂漠の住人にとっては、【悪=闇】としか見なされてこなかった<春の砂嵐>ですが、
この激しい砂嵐パワーのおかげで、水分と種が運ばれて砂漠全体に散布されるのです。
それだけでは、せっかくの種も芽を出せません。
その大切な春の時期だけに、緑が少ない砂漠に<巣作り>にやって来る動物がいました。
それはわずか30センチ足らずのキツネの一種である耳の大きく可愛いフェネックでした。
臆病で神経質なフェネックは、普段ならば単独行動するのに、春の出産時期に限っては
集団行動で砂漠に<巣穴>を懸命に掘るのです。
天敵の鳥類からの攻撃を警戒しながら、懸命にたくさん穴倉を掘ってくれるおかげで、
土が耕され種が植えられて、彼等が出産を終えて巣穴を去った後には、巣穴から多くの
草木が生えて、やがてオアシスにまで育っていたことが判明したのです。
何の役にも立ちそうにない臆病者のフェネックが絶滅しかけたことで、<砂漠化>が進み
環境破壊問題となって、ようやく誰が<センチネル>であったかが判明されたのです。
あの広大なサハラ砂漠の緑を守り続けてきたのは、強大な猛獣でも、すばしこくて頭の
良い動物でもありませんでした。一番弱々しくて砂漠に似つかわしくない絶滅しかけた
フェネックだったとは感動的で、まさに【神の愛の方程式・摂理】そのものです。
砂漠を守る【センチネル】、偉大なるフェネックよ!そして、偉大なるかな【神の愛】!
ハレルヤ!栄光を神に帰します!
●知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子のような者にあらわした
(マタイ伝11-25、ルカ伝10-21)
●【神の力、神の知恵であるキリスト(コリント前書1‐26~31)】
◆兄弟たちよ、あなた方が召された時のことを考えてみるがよい。
人間的には知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も
多くはいない。
◆それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
◆有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、
すなわち無に等しい者を、あえて選ばれたのである。
◆それは、どんな人間でも神の御前に誇ることがないためである。
◆あなた方がキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。
キリストは神に立てられて、私たちの知恵となり、
義と聖とあがないとになられたのである。
◆それは「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである
同じような話は草原で集団生活するプレーリー・ドッグにも観られます。
彼らもまた、草先だけを大量に食べることによって、草原の育成を高め、穴を掘る事で
土を耕し、糞尿は豊かな肥料にしてくれので、大型で大量の草食動物たちにとっての
豊かな草原が守り続けられていいるのです。
人間社会では大迷惑の大敵である、ダニやネズミにしても、山林においては不可欠な
<センチネル>として貴重な存在であることも感動的です。
ダニがいなければ森林の豊かな土壌は生まれません。ダニが腐敗した木々を土に戻す
重要な【ミッション:使命・天職】を実践しているのです。
山のネズミは冬眠に必要な食糧補給として、木の実を土中に貯蔵しなくてはなりません。
ネズミの<熱心>のおかげで食べる以上の種を土中に埋めてくれて、種蒔きとなって
新たな木々を生まれ育てるという大切な【ミッション:使命・天職】を果たしています。
都会では<悪者>でも、山林では偉大な<ヒーロー>で、名誉ある<センチネル>です!
ここで興味深いことは、【神の愛=主イエス】が命じた<【センチネル】の務め>には
見張り・守り役として<持ち場>があって、ダニやネズミのように、一旦<持ち場>を
離れると、自分の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮できなという事実です。
都会で生息するダニやネズミだけでなく、私たち各自にも本来の<持ち場>があって、
【神の愛=主イエス】が定める<待ち場>につけば<センチネル>として活躍できます!
●愛する兄弟たちよ、思い違いしてはならない。あらゆる善い贈り物は、
あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下ってくる(ヤコブ書1-16~17)
●あらゆる存在はその特性に従って自己を発展させ自己を実現する生まれつきの衝動を
自分のうちに持っている(ヒルティ)
●<独立の確信>(中江藤樹)
知らざりし 外に求むる いろいろの ちから我が身の うちにありとは
●山家に住して漁業をうらやむなど最も愚なり。
海には海の利あり、山には山の利あり。
天命に安んじてその他を願うことなかれ(二宮尊徳)
★★【その2】につづく★★