【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

メルマガ転載:草莽崛起(ソウモウクッキ)<一部省略>

【2002年1月31日に作成した<第214号>より】
◇◇ 草莽崛起(ソウモウクッキ)◇◇
2002年1月30日(水)21:15NHK「その時歴史が動いた:吉田松蔭~志ある者よ、立ち上がれ」を観て

●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)
●あらゆる存在は、その特性に従って自己を発展させ自己を実現する生まれつきの衝動を自分のうちに持っている(ヒルティ)
●【独立の確信(中江藤樹)】
 知らざりし 外に求むる いろいろの ちから我が身の うちにありとは

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

理想の民主主義の根本は【キリスト精神】に通じると思います。

それは、どんな身分でも、どんなに少数意見でも、どんなに実績のない素人的な言動であっても、
発言するチャンスを周囲が与えることだと思います。

民主主義は生まれながらの身分制がある社会では実現困難といえます。
しかし、その困難にも、あえてチャレンジしてくれた先人のおかげで士農工商封建社会から四民平等が生まれ現在の私たちの民主主義的な社会が実現できたのだといえるでしょう。

吉田松蔭のチャレンジも大きな貢献であったと誰もが認めることだと思います。わずか30歳の生涯でも、彼の示した精神は後世の21世紀の現在にも崇高な理想として光輝いています。

テレビ番組で吉田松蔭の「草莽崛起(ソウモウクッキ)」の思想を初めて知り、【キリスト精神】に通じるものと改めて理解でき感動しました。

草莽崛起(ソウモウクッキ)」とは幕末の混迷期に無位無冠の在野の志ある一般庶民が政治参加して社会貢献することを奨励した思想です。

当時の封建社会では身分制度のために、各自が自由に職業も人生をも
選択することは困難でした。従って、政治や公共的なことはすべては
お上(武士階級)に任せておくことが常識であった時代です。

しかし、幕末の政治は外圧に脅かされ経済も破綻しており社会的危機にありました。もはや、武士階級だけに政治を任せておけないような危機状況を一般庶民でも感じ始めていました。

そこで、幕府の任官でない在野(民間)の脱藩浪士や豪農商出身の志ある者たちが「草莽崛起(ソウモウクッキ)」の思想に啓蒙啓発されて続々と地方を中心にして立ち上がるのでした。

その一つが皆さんご存知の松下村塾の塾生たちといえるでしょう。

さて、吉田松蔭が「草莽崛起(ソウモウクッキ)」の精神に目覚めるまでに様々の【試練:神の導き】を経験しなくてはなりませんでした。

彼は幼い頃より頭が良くて、幕府が推奨する儒学や兵法を人に教えるほどに学びますが、やがて青年時代に黒船に出会ったことで、その無力を知ります。
そこで、今度は西洋の思想を学ぼうとして黒船に乗船し渡米を試みますが、乗船拒否されて密航の罪で牢獄に入れられることになるのです。

世間的には不幸で人生どん底の「牢獄生活」こそが、彼を【使命・天職】に導いてくれたのです。彼は同志の金子と密航の同罪で牢獄に入れられますがそこでは身分差別がありました。武士階級の吉田が独居房であるのと異なり農民出身の金子は不衛生の雑居房に投獄された為に、もともと病弱の金子は
獄死してしまいます。吉田松蔭は身分制度の矛盾に憤りと罪悪感をも感じたことは彼の残した言葉に示されています。

「我れ独り生を倫(ヌス)み 涙くだること雨のごとし」 

吉田松蔭が神の愛に選ばれていたのは、彼が身分制度の特権階級にあっても、常に【オープン・マインド、ポジティブ/プラス思考、チャレンジ精神】に富んでいて、【自由・平等・寛容・博愛】の精神を愛してしたからだと思います。

彼は独居房のみんなと交流する中で、さらに身分制度の矛盾を発見します。そこには獄中48年間の老人、家族に見放され牢獄に押し込められた偏屈者、三度も入出獄している者、そしてただ一人の女性の高須久子がいました。

高須は武家の出身にもかかわらず、三味線を愛して身分の差別なく誰でも自宅に受け入れたという、当時のタブーを破った罪で投獄されたのです。

吉田は【自由・平等・寛容・博愛】を実践できる身分を度外視した純粋な考え方に共感し傾倒します。それは、吉田松蔭の精神にも通じるからです。

●真個の聖徒の交際は独立人の交際なり(内村鑑三

それまでの士農工商身分制度から脱却した四民平等の精神が育成されるには幕藩体制の中央エリートの教育や制度からは生まれなかったのです。

世間からは打ち捨てられたように見える「牢獄」こそが次の時代に必要な精神を生み育てる【コーナー・ストーン】となて、教会となったのです。

吉田松蔭は獄中の様々な境遇の人たちの、身分に無関係の、各自の才能を見出します。そして、彼らの得意分野をお互いに教えあうように導きます。
それまで自信のなかった者も、自分が人に書を教えることで自信を持てるようになり、さらに自分の才能を高めるようになって行きました。

吉田松蔭は誰にでも生まれつきの優れた【才能】があることを確信します。そして、各自の個性を見出し伸ばすことの大切さを学びます。

「人 賢愚ありといえども 各々1、2の才能なきはなし(吉田松蔭)」

吉田松蔭は自宅謹慎を命じられ萩に帰ります。そして、自宅で開いた塾がご存知の松下村塾です。そこでは各自の個性に合わせたマン・ツー・マン指導が中心であり、それまでの講義中心のテキスト形式ではなくて、討論中心のゼミナール形式であったそうです。自分で考える力を育てることと身分や地位に関係なく人々が触れ合い意見の違いでぶつかり合えるような自由に議論できる環境を用意して体験させることこそが、新たな時代には必要不可欠な四民平等精神であることを知っていたからです。

「沈黙を自から守るは、余、はなはだ これを醜(ハズカシ)む」

吉田松蔭は安政の大獄など思想弾圧する幕末の腐敗混迷の政治に失望して倒幕にむけて急進的で過激な思想家となって行きます。

彼は再び投獄されます。彼は倒幕に消極的な塾生たちに向け断絶状を送り独りで戦う事を決意します。しかし、彼を変えてくれる【愛の導き手】のの高須久子と再会します。

彼女と交流している内に、彼は新しい日本を築くヒントを思いつくのです。

「独りでは結局ダメなのだ。
 身分・地位は無用であり、多くの人々が力を合わせ日本を救うべきなのだ。
 誰にでも才能があり、多くの者に呼びかけよう。
 自分がダメでも、志ある者が後に続くにちがいない。」

これは、自分と同じように【隣人・社会】の【善意・良心・可能性】をも信じ望み認め尊重できるように【隣人愛】に目覚め生まれ変わったのです。

●誰でも新しく生まれ変わらなければ神の国を見ることはできない(ヨハネ伝3‐3)

彼は二度目の獄中生活で「草莽崛起(ソウモウクッキ)」の思想を樹立します。そして、彼は塾生との和解も試みるのです。

●役に立つ著書と真の幸福とは、両方とも苦しい土台なしには得られない。
 不幸は(逆説的に聞こえるかもしれないが)人生の幸福に是非とも必要な
 ものである(ヒルティ)

彼は恩師であり【愛の導き手】である高須久子と離れ離れとなり、江戸に移されます。塾生たちも江戸に駆けつけて何とかして彼の救出を画策します。塾生が脱出を促しても、吉田松蔭は既に覚悟ができていました。

「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし
 生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし」
●人はその天職が終了(オワ)るまでは不滅なるがごとし(内村鑑三

彼の思想はやがて到来する新時代には崇高な理想として理解されるものでも当時の封建制社会では不当なものとして、わずか30歳で処刑されます。

しかし、彼の遺言には崇高な【ビジョン:理想・夢・志】が示されていて、21世紀の新世紀にも、聞く者に大いなる希望の光として勇気と感動を与えてくれる力を感じます。

●彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている(ヘブル書11‐4)

彼の遺書である「留魂録」の内容を紹介します。(NHKホームページより)

「私は30歳。四季はすでに備われており、花を咲かせ、実をつけているはず
 である。それが単なるもみ殻なのか、成熟した粟の実であるのかは、私の
 知るところではない。もし同志の諸君の中に私のささやかな真心を憐れみ
 受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種が絶えずに、
 穀物が年々実っていくのと同じである」
●誠に実に汝等に告げん、一粒の麦も地に落ちて死なずば、ただ一つにて残らん。
 もし死なば多くの実を結ぶべし(ヨハネ伝12-24)
●見えるものは一時的であって、見えないものは永遠に続く(コリント後書4‐18)

新世紀の現代政治もまた腐敗混迷の経済破綻の社会的危機にあります。現在でも吉田松蔭が唱えていた無位無冠の誰にでも才能があって志ある者が政治に自由に参加できるという「草莽崛起(ソウモウクッキ)」の思想は改革には必要不可欠な精神だといえます。

そして、同時に在野にある無位無冠の名も無き志ある者のチャレンジには覚悟が必要であると思います。改革の【先駆者】として、和解に導く【仲保者】として負け戦を、未完成を、不成功を覚悟しなくてはならないということです。

●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、殺されて活くるのがキリスト信者の生涯である(内村鑑三
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三)
●正義は負けて興り、不義は勝ちて滅ぶ(内村鑑三

何故なら、政治を社会を改良するのに、独りだけの力は無力であるからです。しかし、吉田松蔭がチャレンジしたように、誰かが先陣を切らなくては道は拓けません。多くの場合は初めてのことであり、困難なために不成功に終るのは当然なことなのです。

しかし、その崇高な【ビジョン:理想・夢・志】は受け継がれるのです。彼の【ビジョン:理想・夢・志】を受け継いで後に続く者は勇気と励ましを得てパワー・アップします。そして勝利は後世にまで受け継がれるのです。

植物でも花を咲かせるときには、最初にたった1輪の花が静かに開きます。やがて安全確認したかのように他の花が一気に咲き始めるのです。


私たちも各自の【タレント:個性・才能・可能性】を最大発揮させてできる【ビジョン:理想・夢・志】を目指したチャレンジで政治改革・社会改良に貢献できるはずです。たとえ国会議員でなくても日本や世界の平和を考えてチャレンジできることを【キリスト精神】は積極的に促してくれます。

無位無冠だからこそ、無知無能の素人だからこそ新たな時代の【先駆者】になれる「有名無力・無名有力」を信じて大いにチャレンジしましょう。

●【国家の危殆~国家の指導者】
 人によらずして神へ頼んで国家の指導を小児にゆだねるべし(内村鑑三

皆さんの【ビジョン:理想・夢・志】に向けたチャレンジを心から応援します。

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!