◇◇【キリスト精神】は有名無力・無名有力を実現させる◇◇【2003年8月10日に作成した<第312回>より】~【キリスト精神】の【チーム・スピリット】を考える
★★【One Body with Many Parts】★★(コリント前書12‐12~31)
●からだが一つであっても肢体(シタイ)は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である(コリント前書12‐12)
●神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられた(コリント前書12‐18)
●あなた方はキリストの身体(カラダ)である。一人びとりはその肢体である(コリント前書12-27)
●目は手に向かって「お前はいらない」とは言えず、また頭は足に向かって「お前はいらない」とも言えない。そうではなく、むしろ体の内で他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのである(コリント前書12‐21~22)
●もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、他の肢体もみな共に喜ぶ(コリント前書12-26)
【キリスト精神】とはいつでも【チーム・スピリット】であると思います。先ず、私個人の【魂:善意・良心】は【神の愛】と共に【一心同体】であり世間的に孤立して、どんなに【どん底】にあっても【独りぼっち】でなくて【神の愛】と私たちは、いつも一緒の【ふたりぼっち】です。
●見よ乙女がみごもって男の子を産むであろう。その名はインヌマエルと呼ばれるであろう。これは「神我等と共にいます」という意味である(マタイ伝1‐23、イザヤ7-14、8-8,8-10)
●視よ、我は世の終わりまで常に汝等と共に在るなり(マタイ伝28‐20)
そして、私たち個人の心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】の実現においても、自助努力はもちろん、【神の摂理(プロビデンス):神助・導き】の啓示である【インスピレーション】や【セレンディピティ】があり、【隣人・社会】との【愛の協働事業】でこそ実現される【チーム・スピリット】が不可欠です。
●天は自ら助ける者を助く(スマイルズ)
●神は神の聖霊を役立てたいと思う人々にだけ、それを授け給うのであって、ただそれを所有して楽しむためには与えられない (ヒルティ)
●【神助】(内村鑑三)
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じてすべての善き物をもって汝を恵まん。 ⇔ ★天来の思想★外来の友人 ★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。汝は信仰をもって神の力を汝の力となすをうべし。
●賢さで人生を乗りきるのは困難だが、導きによって生きるのは容易である(ヒルティ)
以前も紹介しましたが、ラズロ博士を中心にして、世界の有識者や各分野で活躍する著名・有名人が集まって開催された【ブダペスト・クラブ】によると世界の危機にある現代は大転換を実現するべき【マクロ・シフト】の時代に突入していると結論づけたと聞きます。
つまり、20世紀までの社会価値観で成功してきた有名人・有識者が中心にして築いてきた【この世の富・権威・名声】の実力だけでは、もはや解決できない現代の世界的危機を克服するには、一般個人の抱く【想念パワー】の結集だと提唱しているのです。
つまり、私たちが心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】こそが世界を救えると認めているのです。まさに社会のピンチは個人のチャンスです!
●情熱は世界を動かす(ベンツのCM)
安岡正篤氏が戦後に著書で唱えていた【有名無力・無名有力】を思い出します。世間や国家が認める資格取得者や研究・専門家よりも、【神の愛=隣人愛】に導かれて、たとえ誰に勧められなくても、たった独りからでも立上がるような【愛好精神:dilettante】に満ちた【レイ・エキスパート(Lay Expert)】こそ
つまり、【非専門家の熟練者】が活躍する時代がやって来ました!
●知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子のような者にあらわした(マタイ伝11-25、ルカ伝10-21)
幕末の混乱期の吉田松蔭が提唱した「草莽崛起(ソウモウクッキ)」にも通じる無位無冠の在野の志ある一般庶民が様々な分野で活躍する【個人の時代】です。
●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)
●あらゆる存在は、その特性に従って自己を発展させ自己を実現する生まれつきの衝動を自分のうちに持っている(ヒルティ)
●【独立の確信(中江藤樹)】
知らざりし 外に求むる いろいろの ちから我が身の うちにありとは
【聖書:キリスト精神】が説くように【コーナー・ストーン】にある者にこそ新時代の【先駆者】や【ライト・スタッフ(適任者)】が存在している証明です。
●家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主のなされたことで、私たちの目には不思議に見える(詩篇118‐22、マタイ伝21‐42、マルコ伝12‐10、ルカ伝20‐17、使徒行伝4‐11、エペソ書2‐20、ペテロ第1書2‐7)
現在はどれだけ残っているから知りませんが、米国にはチップ制度があります。【チップ(T.I.P.)】とは「To Insure Promtness(迅速さを保証する)」制度だと聞いたことがあります。
私は「迅速で丁寧なサービス」を目指すために【チップ制度】を活用することは名案だと思っています。
まさに【個人】を最大発揮することが可能な制度だからです。将来の為に自己を磨く目的に【チップ制度】のある店で働き、社会や経営など学ぶ人までいるとも聞きます。
たとえば、小さなレストランで給仕する従業員でも彼が担当するテーブルに座るお客にとっては「当店の代表者」としての権限が与えられているような立場です。客は注文だけでなくメニューや店の事情や近辺の観光など様々な質問やお願いを担当従業員が一切の窓口になって受けるのです。
自分の努力の評価は【チップ額(成果報酬)】として即時にハッキリと現われます。従業員の給仕にも「説明責任(Responsibility)と結果責任(Accountability)」がある事は「経営者でもないのに、何故それまで…」と負担を持たせるのではなくて、従業員個人にも善き誇りと威厳を持たせてくれる【善循環】だと感じます。
世界で活躍しているバイオリニスト五島みどりさんの弟も10代前半でバイオリンで活躍していることがテレビで紹介されていることは皆さんもご存知だと思います。
現在米国NYで生活している彼が盛大な在米日本人向けのディナー・パーティーで演奏することになります。テレビではそのリハーサルから本番までを放映しました。
彼はホテル会場での音色感触を事前に知りたくて、リハーサルすることを求めます。10歳前後でもプロの演奏家として素晴らしい演奏をしたい!という【ビジョン】を抱く【プロ意識】に満ちています。
会場では数十名の給仕がテーブル・セットのために忙しく走りまわっていました。給仕の姿には会場オープンまで時間に余裕がない緊張感が充分に感じられました。バイオリニストは迷惑をかけまいとして静かにステージに立って演奏を始めます。
彼が音色を探ろうとリハーサル演奏を始めると、感動的な出来事が起きたのです!
それまで急がしそうにガチャガチャと食器を鳴らして走りまわっていた給仕全員が誰に命じられるわけでもなく、ピタッと手を休めて、演奏者の演奏を静かに暖かく見守っているのです。
バイオリニストは本番さながらの静寂な環境で、観衆の為に演奏しているのと同じ体験であったに違いありません。満足して演奏を終えると、その会場にいた給仕や裏方や関係者全員が拍手喝采して彼の演奏を心から賛美してくれたのです。
きっと本番目前の主役にとって、それは勇気と励ましと自信になった事は確かです。
そこは、それぞれの任務に応じた【プロ意識】から互いを尊重し合う【独立人】が集まる教会であり、もう一つの【愛の演奏会】となっていました。
●真個の聖徒の交際は独立人の交際なり(内村鑑三)
「ディナー・ショー」という一つの【目的】に向かって、各分野のプロが結集した【チーム・スピリット】がそこには存在していました。
裏方と主役の関係は下請け・外注関係ではなく、感動を与えたい!【ビジョン】を共有する思いを一つ、心を一つにした対等な【パートナーシップ】で結ばれている感動がありました。
●キリストの名によって、あなた方勧める。みな語ることを一つにし、お互いの間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合って欲しい(コリント第1書1-10)
●同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって私の喜びを満たして欲しい(ピリピ書2-2)
実際の本番会場ではどうだったでしょうか?予想外のハプニングが起きてしまいます。スケジュールが押してディナー時間が短縮されたために、せっかくの彼の演奏中にも食事と会話に忙しくて、ガチャガチャ、ザワザワという騒音の中での演奏をする事になってしまいます。彼にとって初めての苦い体験のようでした。私自身が満足だったように、きっと将来プロとして活躍するであろう少年にとっても【有名無力・無名有力】を実体験で学べた事は貴重な【ビッグ・ロック】になったと私は信じます。
●何を与えるかということよりも、大切なのはどう与えるかということだ(ゲーテ)
私たちは特別な資格や権限や名声も実績がなくても、【隣人愛】を提供することは【神の愛】に信愛していれば、いつでも実現可能です。さらに重要なことは、世間的常識では、どんなに絶望的で取り返しのつかない状況も何度でもやり直せる【チャンス】が与えられている【神の愛】を信じることです。
欧米では「死刑廃止」が常識です。米国は一度は全廃しましたが、一部の州では再び死刑導入に踏み切って現在になっていると聞きます。死刑廃止も全ての【個人】における再起の【チャンス】を与え、【可能性】を信じる国家的宣言だと思います。「民主主義は多数決」という常識がありますが、【少数意見・マイノリティ】を守る価値観は【キリスト精神】から生まれた【個人主義&民主主義】だと思います。
●個人をもって始まらざる事業にして、偉大なる事業あるなし(内村鑑三)
●目の前の一人を救える者が、世界をも救える(ユダヤの格言)
●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三)
●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。
世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)
●大いなる事業が完成されるためには、ひとつの精神があれば足りる。千の手を動かすために(ゲーテ)
●すべて偉大なことは、小規模に少人数から始まるものだ。あなたはそれを覚悟しなければならない。そして、子供たちを教育するにも彼等が少数派に属することを平気なように導かねばならない(ヒルティ)
●キリストが心にかけた事は民衆自身のことと一致する(クロムウエル)
私たちは少数派で無位無冠の立場である時に【ダイナッミク・パワー】を発揮できる事を信じましょう!
その中で【最大最強のパワー】は【神の愛=隣人愛】の働きで【想念】となった【ビジョン:理想・夢・志】であり、21世紀テーマとなる事を信じましょう!「Seeing is Believing」でなく「 Believing is Seeing」が到来したからです!皆さんの【想念パワー】を【ビジョン:理想・夢・志】に結晶させて、いつでも【有名無力・無名有力】の立場で活躍されることを心より応援しています。