◇◇神の名において誓われた二つの【不変の事柄(約束と計画)】(その2)◇◇
【2004年5月30日に作成した<第333回>に加筆】
★★【その1】のつづき★★
ユダヤ民族の成し遂げたように、私たち個人個人にも耐え忍びながらも守りぬくものは【青年の心】に抱き続ける【ビジョン:理想・夢・志】であると私は理解しています。【ビジョン】は自分自身から生まれた存在ではなくて【神の愛=隣人愛】に与えられた貴重な【霊的ギフト・賜物】であり【神の愛】との協働事業であると信じるからです。
●神はあなた方のうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである(ピりピ2-13)
●それでもひたすら神に信頼し続けよ。そうすれば、まもなく、また光と力を見るだろう。おまえが信じたものを、まのあたりに見て、信じたとおりに成るであろう(バンヤン)
●【キリストの手紙】
あなた方は自分自身が私たちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることをはっきり現している(コリント後書3-3)
●愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言する能力を慕い熱心に求めなさい(コリント前書14-1)
●私は霊で祈るとともに、知性でも祈ろう。霊で讃美を歌うと共に知性(理性)でも讃美し歌おう(コリント前書14‐15)
●兄弟よ、霊的なものへ進もうとする信念をすててはならない。あなたは今でもその機会と時間とを持っているのだ(トマス・ア・ケンピス)
「坂の上の雲」の「見果てぬ夢」で、たとえ世間的に愚かで無謀であればあるほどに高き大いなる【ビジョン:理想・夢・志】を抱ける我が【霊性:魂[勇気]・善意・良心】こそが祝福された証明だと信じましょう!
【主イエス】を通じ与えられる【神の愛】の【不変の約束と計画】にある私たちは自らも【ビジョン:理想・夢・志】を抱く【預言の能力】により【神の愛の奇蹟】を呼び起こすことも可能です。
たとえ世間的常識では不可能で無謀で愚かであると思われる現実問題にあろうとも全智全能なる【天の父・創造主】の【神の愛の奇蹟】の実現を創り出しているものは私たちの【礼拝:祈りと感謝】であり【神の愛】に共鳴共感する【魂の叫び】である崇高なる【ビジョン:理想・夢・志】であるからです!
●祈りの時、信じて求めるものは、みな与えられるであろう(マタイ伝21‐22)
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録(賀川豊彦)
●真の祈りはただの祈りではない。一種の預言である。即ち必ず成就すべき事を前もって語に表することである(内村鑑三)
●わが祈祷が聴かれないと言う時に、祈祷以上が聴かるるのである。 祈祷が聴かれないのではない。我等が祈求むるところ、思惟うとろこよりもいたく過(マサ)りて聴かるるのである(内村鑑三)
●主は人の行ないを喜ぶ時、その人の敵をもその人と和らがせる正義によって得たるわずかのものは不義によって得た多くの収穫にまさる (箴言16-7~8)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、 これに対抗することはできるであろう。私は神のおかげで困難になれてきた。神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
●一切の仕事が、神をはなれては困難であり、神とともにあれば一切が可能である(ヒルティ)
【神の愛】の「奇蹟の歴史」と人類が記述してきた「政治的歴史」は「逆さま」であり【主イエス】が人類に教えてくれた【山上の垂訓:天国の道徳】に示されているように世間の常識から観れば、【神の愛】は非常識であることを私たちは実感できるはずです。
【山上の垂訓:神の国の福音・天国の道徳(マタイ伝5‐2~12、ルカ伝6‐20~23)
◆心に貧しき者は福(サイワイ)なり、天国は即ちその人の有(モノ)なればなり。
◆哀しむ者は福なり、その人は安慰(ナグサメ)を得(ウ)べければなり。
◆柔和なる者は福なり、その人は地を嗣(ツ)ぐことを得べければなり。
◆飢え渇くごとく義を慕う者は福なり、その人は飽くことを得べければなり。
◆あわれみある者は福なり、あわれみを得べければなり。
◆心の清き者は福なり、その人は神をみることを得べければなり。
◆和平(ヤワラギ)を求むる者は福なり、その人は神の子と称(トナ)えらるべければなり。
◆義(タダシ)きことの為に責められる者は福なり、天国は即ちその人の有なればなり。
ゆえに【神の愛の奇蹟】を呼び求めるには、世間的常識があり知恵ある者であるよりは素直な【幼な子の心=オープン・マインド】の【愛好精神:dilettante】があることが最も大切だと私は思っています。
●知恵ある者の知恵を滅ぼし、悟りある者の悟りを隠される(空しくされる)(イザヤ書29-14、コリント前書3-18)
●愛は、他のいかなるものにもまして、人を賢明にする(ヒルティ)
●知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子のような者にあらわした(マタイ伝11-25、ルカ伝10-21)
●【神の力、神の知恵であるキリスト(コリント前書1‐26~31)】
◆兄弟たちよ、あなた方が召された時のことを考えてみるがよい。人間的には知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
◆それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
◆有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち無に等しい者を、あえて選ばれたのである。
◆それは、どんな人間でも神の御前に誇ることがないためである。
◆あなた方がキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、私たちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
◆それは「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである
いつでも【レイマン・スピリット(素人根性)】であることは私の唯一の誇りでもあります。【愛好精神:dilettante】【レイ・エキスパート(Lay Expert)⇔非専門家の熟練者】がいかなる分野でも必要とされて活躍できる【有名無力・無名有力】の時代がやって来た!と皆さんも感じませんか?
【神の愛=主イエス】を知っている私たちは既に【不変の約束と計画】に守られているので日々世間的に挫折しようとも、崇高なる【ビジョン:理想・夢・志】を守り育てながら耐え忍び、練られた品性を養い、希望を抱き【神の愛】に支えられ前進し続けましょう!
●青年よ大志を抱け!(クラーク)
●汝の車を星につなげ!(エマーソン)
●失敗は罪ではない、目的が低いことが罪である(内村鑑三)
●【患難とその結果】(内村鑑三:ロマ書5‐3)
患難によりて壊(コボ)たれ、忍耐によりて支え練達(実行)によりて再築し、美わしき義の実を結ぶに至る。練達は希望を生ず。
●患難は忍耐を生み、忍耐は練達(練られた品性)を生み出し、練達は希望を生み出す(ロマ書5-3)
●試練を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたら神を愛する者たちに約束された命の冠を受けるであろう(ヤコブ書1‐12)
●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。
信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走りキリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めている(ピリピ書3-13~14)
私たち自身が勝手につまずき、見離されたと思っても、【不変の約束と計画】だけは【神の愛=主イエス】と共にいつも私たちと一緒です!
●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことは
できないのである (ロマ書8‐38~39)
●もしもあなたがあらゆるものにイエスを求めるならば、必ず(そこに)イエスを見出し得よう(トマス・ア・ケンピス)
●見よ、私が選んだ僕
私の心にかなう愛する者よ
私は彼に私の霊を授け
そして、彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう
彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない
彼が正義に勝ちを得させる時まで
いためられたアシを折ることがなく
くすぶる燈心を消すこともない
まことを持って公義をもたらす彼は衰えず、くじけない
ついには地に公義を打ちたてる
島々も異邦人も、その教えを待ち望み、彼の名に望みを置くだろう
(イザヤ書42-1~4、マタイ伝12‐18~21)
●我は逃れんと欲して、我が神の恩恵の手より逃れることはできない。神は奈落の底にまで、神の手を拡げて我を支え我を救い給う(内村鑑三:詩篇139‐7~8)
●私はあなた(主)の御霊から離れてどこへ行けましょう。
私はあなたの御霊を離れてどこへ逃れましょう
たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ
私が黄泉(ヨミ)に床を設けても、そこにあなたはおられます(詩篇139‐7~8)
私たちも【アブラハムの信仰精神】に学び、【神の愛=主イエス】に信頼して、私に託された【ビジョン:理想・夢・志】に【ミッション:使命・天職】を再発見し、守り育てて現実生活に耐え忍んで【パッション:受難覚悟の情熱・熱意・専念】で前進し続けましょう!
●偉人の生涯は我々に教える
我々もまた高貴に生き得ることを
そして彼亡きあとには 時の砂上に足跡を残すことを。
別の弱い、よるべなき兄弟は人生の荒海を渡りつつ
おそらく、それを目に留めて新たに勇気と奮い起こすであろう足跡を(ヒルティ)
●我々はいつも行為によって完全なものになろうとするが、神はたいてい苦しみを通して我々を前進させようとし給う(ヒルティ)
●多くの人が沢山の涙と大変な労苦を重ねて、やっと得たものを、お前はすぐに得ようと欲するのか。主を待ち望みなさい、雄々しく振る舞い、勇気をしっかり持っていなさい。孤疑せずに、逃げ出さずに、心身をいつも変わらず神の栄光へとささげなさい(トマス・ア・ケンピス)
●我々が神の国に入って行くには多くの苦難を経なければならない(使徒行伝14‐22)
●私は思う。今この時の苦しみは、やがて私たちに現されようとする栄光に比べると言うに足りない(ロマ書8‐18)
●快適な場所に着くまでにあなたは火と水の中を通り過ぎなければならない(トマス・ア・ケンピス:詩篇66-12)
●お前の意図に反しても、それは全くもう駄目というわけではない。目前の感じによって物事を判断するのは間違いである(トマス・ア・ケンピス)
皆さんが【神の愛】の【不変の約束と計画】によって、素晴らしい祝福された人生を過ごして、【永遠の生命】に連なって【来世・天国】での再会を楽しみにしています!
●【ロマ書11‐36】
◆万物は、神より出で、神によって成り、神に帰する。栄光がとこしえに神にあるように、アーメン。
◆すべては、神から、神によって、神のために存在する。神に世々に光栄があるように、アーメン。
◆全てのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている。栄光が永遠に神にありますように、アーメン