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失敗や挑戦に【優しい社会】!①

◇◇失敗や挑戦に【優しい社会】を目指せ!(その1)◇◇
【2005年4月29日に作成した<第372回>に加筆】<改訂版・再掲載>
★★何故ニューヨーク・マンハッタンは世界で一番エキサイティングなのか?★★

●何を与えるかと言うことよりも、大切なのはどう与えるかということだ(ゲーテ
●私たち一人びとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである(ロマ書15-2)

私たちの生きている社会には、日々信じられないような、驚くばかりの事件や事故が起こり続けています。
今は、悲惨さや不条理さにだけ心を奪われて【神の愛】を見失わないように注意するべき時だと思います。

現在が、人々がが対立・分裂して、【愛】が冷めきった、<社会の危機>のように思われますが、だからこそ【神の愛】に立ち帰る【信仰精神】が再生・復活するには、<個人の絶好のチャンス>だと私は信じます!

●見よ、侮る者たちよ、驚け、そして滅び去れ、私はあなた方の時代に一つの事をする。
 それは人がどんなに説明して聞かせてもあなた方のとうてい信じられないような事なのである(ハバクク書1-5)
●辛いことの背後(ウシロ)には最も歓ばしいことが隠れている。我らは何事にかかわらず勇んで主の命に従うべきである(内村鑑三
●主は待っていてあなた方に恵みを施される(イザヤ書30‐18)
●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中より援(タス)け出し給う(詩篇34‐19)
●見よ、私は新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている。
  あなた方はそれを知らないのか。確かに私は荒野に道を、荒地に川を設ける(イザヤ書43‐9)

皆さんもご存知の「電車事故」は私たちが形成する社会自体が失敗やチャレンジに堅くて厳しいことを示しているように思われます。私自身も出来て当たり前と思っている日本の「定刻通り」という常識も、実は誰かの犠牲の上に実現した命綱無しの「綱渡りの曲芸」のようなものだったことが判明しました。

一方で、失敗やチャレンジに対して優しく柔軟性がある社会の代表的な街がニューヨーク・マンハッタンであると思います。
米国は貧富の差が激しく、弱肉強食で、油断できない社会だと思われがちです。

しかし、私のわずかな駐在経験でしたが、日本には馴染みのの薄い目立たない「生活マナー」が社会を柔軟に優しくして、いつも元気で一体感を生んでいる事を私は発見し感動しました!

以前にも紹介したように、エキサイティングで失敗やチャレンジに優しくさせている大きな要因は「あいさつ」という習慣です。
日本の「あいさつ」は一般的に身内・組織内の目下が目上に、身内・安全判断するための形式的・儀礼的なものです。

一方、米国はいったん部屋を出てから目が合う人と誰でも「ハイ!」と気軽に声を掛け合える雰囲気で満ち溢れています。
アパート(マンション)では同じ階の見知らぬ住人でも、エレベータは何メートルも先から、じっと開けて待っていてくれるような親切は当たり前で、日本でありがちなエレベータの中の居心地の悪い「静寂・沈黙」はありません。

わずか数分前に出会った人とでも、エレベータを出る時には、すっかり心が打ち解けた身内のような雰囲気になっています。
そして<決まり文句>の挨拶を交わすことで、見ず知らずの人でも互いの<これから(未来)>を祝福し、励まし合います。
 
 「今日が素晴らしい一日になりますように![善き夕べを!/善き週末を!](Have a nice day ![a nice evening/weekend])」
 「君(あなた)もね!(You, too !)」

●「今日」という日のうちに、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて、かたくなにならないようにしなさい(ヘブル書3-13)

バスの運転手でも、タクシーの運転手とでも、ビルのガードマンでも、店員とでも、見知らぬ通りの人でも交わす「あいさつ」は単なる形式的・儀礼的でなく、お互いに励ましあうことでチャンレジンする勇気と希望の【原動力】である事に気づかされます!

部屋を出るまでは、内向きで憂鬱で暗くても、外を歩くだけで、私は元気を与えられ、私も誰かに元気を与えていることで街全体が教会の中のように、闇を光に変えて、善循環に満ち溢れるのです!

見知らぬ人同士の「気楽な挨拶」は、ある人にとっては、灰色の世界を、ばら色の世界に一変させるような【希望の光】となり、小さな社会的扶助のおかげで、孤独な最悪の【どん底】に落ち込む前に救出される<チャンス>が至るところに存在していて1匹の【迷える子羊】が99匹の仲間の所に立ち帰られる【神愛の導き】となるのです。

●喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい(ロマ書12‐15)
●先ず人間を改造せよ、そうすれば人間の環境はおのずから変化する(ヒルティ)
●御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです(テモテ後書4-2)
●兄弟たち、あなた方に勧めます。怠惰な者、気ままな者たちを戒め、小心な者、気落ちしている者たちを励まし、弱い者たちを助け、すべての人に対して寛容で忍耐強く接しなさい(テサロニケ前書5-14)

アメリカでは「パブリック・公的」な仕事にある人々、運転手、パーキング従業員、警備員などは、日頃から目が合えば気軽に挨拶する【身近な関係】です。彼等の仕事への感謝の気持ちを積極的に表す心とは「与える喜び」から生まれるものです。

●受けるよりも与える方が幸いである(使徒行伝20‐35)
●与えるということも、多くの偉大な事柄と同じように、ただ実地の練習を通じて学ぶものである。しかし、一旦学んでしまえば、それは人生の最も大きな喜びの一つとなる(ヒルティ)
●何を与えるかというよりも大切なのは、どう与えるかということだ(ゲーテ

そしてこの「与える喜び」である【隣人愛=神の愛】こそが「独り勝ち」せず、出し惜しみしない「Win・Win」の共存共栄精神を産み出すのだと私は思っています。

●各自は惜しむ心からではなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めた通りになすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである(コリント後書9‐7)
●誰でも自分の益を求めないで、他の人の益を求めるべきである(コリント前書10-24)
●【黄金律】
 すべて人に為(セ)られんと欲(オモ)うことは、神が汝等に為し給うごとくに、汝等もまた人にもそのごとくせよ(マタイ伝7‐12)
●何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって、 互いに人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリストイエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなた方の間でも互いに生かしなさい(ピりピ書2-3~5)

★★【その2】につづく★★