【2007年12月30日に作成した<第445回>に加筆】<改訂版・再掲載>
◇◇【神の愛=主イエス】は<落ちこぼれ>を愛す!(その1)◇◇
◆羊飼いと天使(ルカ伝2-8~21)
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。
あなた方は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
これがあなた方へのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。
主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を
探し当てた。その光景を見て羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれた事を
人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、
賛美しながら帰って行った。
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。
これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!
【主イエス】の<降誕>という<史上最大イベント>に招待されたのは【羊飼い】でした。
当時、【羊飼い】という職業は人口調査の対象にもならないような世間的には無に等しい
「アウトサイダー」の存在であったそうです。
にもかかわらず【神の愛】が招待してくれた事実は、現代に生きる<落ちこぼれ>であり、
世間的に無に等しい私も<ビッグ・チャンス!>に導かれる希望があり、感謝感激です!
ご存知のように【主イエス】の降誕は、降誕以前と全く異なる<新時代>を確立しました。
どんな分野でも万事において<新時代>の証言者・預言者や先駆者・先導者は、旧時代の
<アウトサイダー・落ちこぼれ>だといえるのではないでしょうか。
そうです!世間とずれている者こそ、【神の愛=主イエス】に愛され導かれる<特権>に
預かれる<新時代・新たな道>の大切な<コーナー・ストーン>です!ハレルヤ!
●家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主のなされたことで、
私たちの目には不思議に見える
(詩篇118‐22、マタイ伝21‐42、マルコ伝12‐10、ルカ伝20‐17、使徒行伝4‐11、
エペソ書2‐20、ペテロ第1書2‐7)
●キリスト信者たる栄誉の一つは、よわき取るに足らざるこの身をもって、なおも大望を
抱いて、その一部分を遂行しうるにあり(内村鑑三)
●人々が「失われた」と言うところで、神は「見いだした」と言い、
人々が「裁かれた」と言うところで、神は「救われた」と言い、
人々が「否」というところで、神は「然り」と言う。
人々がなげやりな気持や、高慢から、目をそらせるようなところで、
神は他のどこにもない愛のこもった目を向けるのである(ボンヘファー)
●太鼓の音に足の合わぬ者を咎めるな。
その人は別の太鼓に聞き入っているのかもしれない(ソロー)
●雑草とは、まだ美点が発見されていない、草である(エマーソン)
奴隷根性から自由独立解放した人類史上の先駆者であった偉大なる【預言者モーゼ】でも、
モーゼ自身がエジプトで満喫した【この世の勢力:富・権威・名声】の栄華と決別して、
【神の愛】に<召命>されるためには、何と40年間の<放浪生活体験>が必要でした。
異民族の婿養子となりますが、世間的にも家族にさえも目立つ事もない<羊飼い>として、
その後の偉大な生涯とは全く無縁な日々を送っていたのです。
そのようにして世間的にも家族からも<落ちこぼれ>の<無一物>な存在となった時に、
【神の愛】は<新時代>の【預言者・先導者】としてモーゼを選ばれたのだと理解します。
【神の愛=主イエス】が為される事は、全てにおいて時と場所にかなって美しいですね。
●天の下では、何事にも定まった時期あり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒すのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、微笑むのに時がある。
嘆くのに時があり、躍るのに時がある。(伝道の書3-1~5)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
さて現代日本はどうでしょうか?いよいよ<新時代>の幕開けが近いとは思いませんか?
現代日本の栄華を極める【この世の勢力:富・権威・名声】とかけ離れ無縁であるならば、
【神の愛=主イエス】と<新時代・新たな道>で活躍できる<ビッグ・チャンス>です!
私たちは【神の愛=主イエス】が愛される【福音の勢力】に属そうではありませんか!
【福音の勢力】は光ある無限の【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】と
日々新たな【バイタリティ:生活力=生命力+活力】に満ち溢れています!
【神の愛=主イエス】の【福音の勢力】に属する状態について具体的に考えてみましょう。
★★<多数派>よりも<少数派>が大好き!★★
●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三)
●大いなる事業が完成されるためには、ひとつの精神があれば足りる。
千の手を動かすために(ゲーテ)
●全て偉大な事は小規模に少人数から始まるものだ。
あなたはそれを覚悟しなければならない。そして、子供たちを教育するにも彼等が
少数派に属する事を平気なように導かねばならない(ヒルティ)
●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。
世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)
★★<この世の子:大人心>よりも<光の子:幼な心>が大切!★★
⇔探究心・好奇心・愛好精神・素人根性は【有名無力・無名有力】!
●この世の子らは、己が時代の事には、光の子らより巧みで利口である(ルカ伝16-8)
●知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子のような者にあらわした
(マタイ伝11-25、ルカ伝10-21)
●私たちは幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、
幼な子らしく考えていた。しかし、おとなになった今は幼な子らしい事を捨て去った
(コリント前書13-11)
●野心からも、単なる義務感からも、本当に価値あるものは生まれてきません。
本当に価値あるものは、むしろ、人や事物を深く愛する心から生まれてくるのです
(アインシュタイン)
●人間のうちに善をのばしてやり彼らの心に善に対する愛好心を注ぎ込む事が必要である
(ヒルティ)
★★老いて益々若々しく<熱き思い燃える心>の<青年(青春)>まっしぐら!★★
⇔【フロンティア精神:★チャレンジ精神★ポジティブ/プラス思考★オープン・マインド】
●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためでなく、
本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりに
すべきである。 神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)
●青年、壮者とは;
常に不可能を計画する人
常に大改革を望む人
常に詩人的にして夢想する人
常に利害にうとき人
常に危険を感ぜざる人 (内村鑑三)
★★<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】!★★
⇔【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】で【大希望:聖望!聖願!聖欲!】に溢れる!
●楽天主義者は、信じ、試み、そして目標を成し遂げる(ヘレン・ケラー)
●楽天は人を成功に導く信仰なり。希望なくして何事も成ることなし(ヘレン・ケラー)
●偉大な哲学者も事業家も、多くの学者も文豪も、ほとんどが楽天主義者であった
(ヘレン・ケラー)
●楽天主義とは、善を信じ、輝かしい未来の到来を確信し、明日を今日より美しいものに
するための努力を重ねる生き方なのである(ヘレン・ケラー)
私たちが【福音の勢力】として生きる事を自己のの<人生理想>とすることも必要ですが、
それと同時に【隣人・社会】で孤立無援で勇猛果敢に前進し続けている【福音の勢力】の
【同労者・同志】と共に、<心を一つ思いを一つ>の<相愛互助・互助友愛>で結集した
【チーム・ワーク&チーム・スピリット】こそが【御心:聖意・聖旨】だと理解します。
●いつどこでも愛をもって真理の味方をすること、これがまことに我々の日常の活動的
生活の課題である(ヒルティ)
●私たちは神の同労者である。あなた方は神の畑であり、神の建物である
(コリント前書3-9)
●私たちは真理のための同労者となるように、こういう人々を助けなければならない
(ヨハネ第3書8)
世間的に非常識でも【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が満足する【神の愛=隣人愛】に
導かれて勇進できる【福音の勢力】【愛と自由の戦士:神の僕・神の愛子・光の子】を、
世界は待っています!求めています!
●誠実、心の真のありのまま、これ常にいかに貴いかな。実際に自己の心の中に存する事を
語る者は、その方法のいかに拙劣なるも、必ず彼に聴かんと欲する人あるべし
(カーライル)
●自らの意志の主人となり自らの良心の奴隷となれ(リーブ・ラズロー)
●世界に苦痛は満ちあふれていますが、それに打ち勝つための力もまた、
満ちあふれているものなのです(ヘレン・ケラー)
●一番大事なことは、どんな環境が必要かということではなく、どんな考えで
毎日生活しているか、どんな理想を追い求めているか、ということなのです
(ヘレン・ケラー)
★★【その2】につづく★★